23 崩れそうな疑念
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ザカリーはその日、アリシアに伴われて馬車に乗り、国境まで向かっていた。
(この女。本当に俺を飾りとして、連れ回すつもりか?)
ザカリーが囚われてから今日までの数日間、アリシアはことあるごとにザカリーを傍に置いている。こちらがアリシアを睨み付け、何も喋らなくとも、一切構う様子はない。
(ティーナさまからの贈り物を受け取りに、わざわざ国境まで出向いているらしいが……)
この馬車は、三人掛けの座席が向かい合った六人乗りだ。
アリシアはそのうちの片側に、ひとりで優雅に座っている。
ザカリーはその向かいに腰を下ろし、左右には騎士が座っていた。他にも数人の騎士がつけられているが、彼らは馬車の外を並進する形で歩いていた。
大粒の雨が窓硝子を叩き、馬車の中には雨音が響いている。外の景色を見ているアリシアは、今通っている道が、自分の花嫁道中とは違う道行きであることに気が付いただろう。
(ティーナさまのご命令により、俺たちはあの森でアリシアを待ち構えた。御者も侍女も同志だったからこそ、馬車は敢えて迂回路となる森を通った訳だが……)
シェルハラード国とこのレウリア国の王都を繋ぐ最短距離は、いま進んでいる山道だ。
真摯に外を観察しているアリシアは、まるでこの国の地理を頭に叩き込んでいるかのように、何かに集中している様子だった。
(王女アリシアは、公務をこなすために必要な勉学には興味を示さず、日々城を抜け出して城下を遊び歩いているとの噂だった。しかし)
ザカリーの中では、小さな違和感がどんどん膨れ上がっている。
『そのパレードを利用すれば、私たちの身辺警護のためと偽って、少数精鋭の騎士たちをシェルハラード国に連れてゆくことが出来るもの。王都や城を守る防御の内側に、軍勢を潜り込ませる。これが出来たら、戦争は勝ったも同然のはず』
彼女のあの物言いは、本当に幼少期から何も学ぼうとせず、自由奔放に遊び歩いていた王女のものだろうか。
(俺とてこれでも傭兵だ。故郷の村を守るための自警団から、腕を見込まれて国外に招かれた。それなりに軍略を齧ってきた中で、アリシアの戦略が的外れだとは思えん)
ザカリーがアリシアを一瞥すると、彼女は雨の降る空を見上げ、ぽつりと呟いた。
「あの雲の色。フェリクスの瞳の色みたい」
「……」
その瞬間、ザカリーの左右に座る騎士たちが、戸惑いの色を浮かべたのが分かる。
「なにか?」
「い、いえ。何もございません、アリシア妃殿下」
騎士たちは慌てて首を横に振るものの、ザカリーには騎士たちの言いたいことが察せられる。そのうちアリシアの視線に耐えかねたのか、ひとりが観念したように口を開いた。
「妃殿下は、その……恐ろしく感じてはいらっしゃらないのですか?」
やはり、その手のことが気に掛かったようだ。
ザカリーから見ても、あのフェリクスという王太子は只者ではない。
単純に戦場慣れしているというだけでなく、誰かを殺すことに躊躇がない、まさしく残虐な男だった。ザカリーの仲間もフェリクスに拷問され、耐えかねてティーナの名前を紡いでしまったほどだ。
けれどもアリシアは、きょとんと瞬きをして首を傾げる。
「恐ろしい、とは?」
「……!? あ、アリシア妃殿下はフェリクス殿下と、非常に仲睦まじくお過ごしのようですが……」
狼狽えて言う騎士に対し、アリシアはきっぱりとこう答えた。
「別に、仲睦まじくなんかないわ」
「へ」
むうっと口を尖らせたアリシアは、窓の外を再び見遣る。
「夜は私がまだ起きているのに、すぐに寝室のランプを消してしまうし。一緒に寝ると毎晩必ず寝台が狭いと文句を言われるし、上掛けも貸してくれないのよ」
「…………」
「もっとも私の寝相の方が勝っているらしくて、朝起きたら私が奪っているのだけれど。食堂に降りるときも、私がフェリクスの後ろを付いて歩いていたら、意地悪して急に立ち止まるの」
「………………」
「私があの人の背中に鼻をぶつけたら、ものすごく楽しそうに笑っていたし」
(それは、十分に仲が良いというのではないのか?)
ザカリーは内心そう考えたが、騎士たちも同じ意見だったようだ。
とはいえ、そんなことはどうでもいい。そう考えていると、ゆっくりと馬車が止まった。
「この先は、隧道になっているのね」
アリシアが窓を覗き込んだので、ザカリーも少し顔を上げて確認する。
馬車道を遮っている岩肌は、その側面を貫くように大きくくり抜かれていた。
この隧道こそが、国境までの道のりを短縮出来ている要因だ。ザカリーもこのレウリア国に滞在している間、何度もこの隧道を使用した。
「ここでは外の騎士が松明に火を着け、先行して御者を誘導します。なにぶん隧道の中は、夜のような暗闇ですので」
(……?)
説明をする騎士の横で、ザカリーは再びアリシアの様子に違和感を覚えた。
アリシアは何かを観察するように、じっと隧道を見詰めている。かと思えばいきなり扉に手を伸ばすと、馬車の外へと降りてしまった。
「アリシア妃殿下!?」
(あの女、何を……)
大雨の中、駆け出した背中を見て息を呑む。翻るドレスの裾が泥に汚れ、彼女はすぐにずぶ濡れになるが、それを気に留めている様子はない。
「――追わないのか」
ザカリーは左右の騎士たちに尋ねた。彼らも分かってはいたようで、ザカリーの手枷の鎖を掴む。
「く……お前も来い。逃げようなどと考えるなよ」
(悪いが、今はそれどころではない)
アリシアが一体何をしようとしているのか、それを理解する必要があるのだ。そんな感覚が、どうしても拭えなかった。
(何故だ? 俺はどうしてこんなにも、アリシアの行動が気に掛かる……?)
ザカリーは、騎士によって手枷の鎖を引かれながら馬車を降りる。
傭兵であるザカリーすら顔を顰めたくなる雨の中、並進していた騎士を連れたアリシアは、隧道の入り口で何か見上げていた。
彼女の足元では、隧道の中から泥水が流れ出ている。美しい靴を汚しているが、アリシアはそれを一瞥すらしない。
(噂では、民の納めた税で私腹を肥やし、自身の宝飾品やドレスを買い漁るのに夢中になっていたはずだ。ティーナさまもアリシアの浪費癖には心を痛め、涙を零されていた……そのはず、だが)
「アリシア妃殿下! このままではお風邪を召されます。隧道にご興味がおありなのでしたら、天候の良い日に……」
「この隧道――」
騎士の言葉を遮るように、アリシアが呟いた。
「もうすぐ潰れて、壊れるわ」
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