20 王女のみ知る
そのあとに、フェリクスからペンを取り返す。そして、筆談の音が決して扉の向こうに聞こえないよう注意しつつも書き殴った。
『条件、パレードをする演技。実際にシェルハラード国まで、小隊でもいいから軍勢を率いてもらうこと。その代わり、作戦開始後は私を見捨ててくれて構わない。報酬として――』
曖昧な言い回しで約束はしない。
アリシアが彼に望む沢山のことのうち、なんとか実現しそうな最低限のものを記してから、フェリクスに告げる。
「あなたの望む未来を、なんでもひとつだけ見てあげる」
「…………」
正直なところ、賭けだった。
フェリクスの見たがる未来によっては、先ほどのような推測による誤魔化しではなく、本当に未来視を行う必要がある。
そうなれば、アリシアが未来視を使える回数は残り一回だ。
その上、実際に未来視するところをフェリクスに確認されてしまっては、実際は未来など見ていないときとの差によって怪しまれるかもしれない。
けれど、手段を選んでいられない。
「私がフェリクスに差し出せるものなんて、この力ひとつだけだもの。あなたのために、この血を使う」
覚悟は出来ていた。アリシアは懇願に少しの祈りを込めて、こう重ねる。
「……それが、どんなに痛くてもいいわ」
「…………」
フェリクスはやがて目を伏せ、あまり感情の読めない淡白な声で言った。
「……一考の余地はある」
「!」
その返事に、アリシアは目を輝かせる。
「本当!?」
「余地はあるというだけだ。約束してやる訳ではない」
「考えてもらえるだけでも十分だわ。あと何回か押せば、説得しきれる可能性はあるということだもの」
それに、と後ろの気配を窺った。
扉の向こうのザカリーは、この計画を耳にしているはずだ。今のやりとりだけで、アリシアが彼に渡したい情報は刷り込めているだろう。
「……昼食の時間だったわね。私も一緒に食べていい?」
「好きにしろ」
フェリクスは立ち上がり、さっさと部屋を出て行った。アリシアは、ザカリーを閉じ込めている部屋の扉を改めて見遣る。
「……」
その上で、フェリクスの後について廊下に出た。
するとフェリクスが、アリシアにしか聞こえない程度の声で尋ねてくる。
「お前がひとりきりで乗り込んだところで、玉座に着くまでに殺されて終わりだろう」
はっきりと聞き取れるのに、決して遠くまでは響かないような声量だ。フェリクスは恐らく、こうした密談に慣れていた。
「お前の国の王城も、王を守る要塞としての役割を持っているはずだ。国王はパレードの際、最難関となる玉座の間に閉じ籠るぞ」
「そうね。玉座の間は奥まった場所にあって、滅多なことでは攻め入れない……」
アリシアはフェリクスを見上げ、にこりと笑う。
「叔父さまはきっとそう考えるわ。だからこそ、私ひとりでも討てるのよ」
「――隠し通路か」
アリシアが言わんとしていることを、フェリクスはやはり見抜いてしまった。
「そう。玉座の間が落とされた際、王が逃げ出すための通路が存在するの」
長い廊下はまだ終わらず、食堂に向かうための階段は遠い。アリシアは辺りに人の気配がないことを探りつつも、彼に告げる。
「叔父さまはその存在を知らないわ。だからこそ、油断しきっているところの首を狙える」
「国王すら認識していない抜け道を、都合良くお前だけが把握しているか」
「当然でしょう?」
アリシアは、生きていた頃の両親がこっそり教えてくれた日のことを思い出しながら目を眇めた。
「私だけが、あの国の正統な王女なのだもの」
「……は」
それを聞いて、フェリクスが笑う。
「本当に玉座を奪還したあとはどうするつもりだ。お前が俺を捨てて、国に返り咲くのか」
「ふふ、未来視の結果によっては有り得るかもね? 国のための最善の方法は、そのときに未来を見て決めるわ」
冗談か本気か分からないよう、敢えて軽口を叩いておいた。けれども叔父を排したあとは、それこそが次の問題だとは理解している。
(……いまはフェリクスの妃であることを、最大限に利用しようと試行錯誤しているけれど。いざ私が玉座を取り戻したあとは、『レウリア国王太子妃』という立場が却って枷となる……)
アリシアがよほど上手くやらない限り、故国はレウリア国の属国となるだけだ。
考えている策はあるものの、フェリクスが味方になってくれる保証はない。
(なんなら敵になる可能性が高いわね。今ですらこの人、私が何かお願いしたときの第一声は、基本的には却下で返ってくるし……)
「なんだその顔は」
「いいえ別に、なーんにも」
アリシアが母譲りの顔でにこっと笑えば、とびきり美しく見えるのは知っている。しかし当然ながらフェリクスは、そんな顔で誤魔化されてくれそうもなかった。
とはいえ、特に興味もなさそうだ。