19 望みを綴る
アリシアに連れ出されたザカリーは、王城の一室に放置されていた。
どうやらここは本来なら、主君に仕える侍従が待機するための部屋のようだ。さほど広さのないその部屋に、ザカリーはひとりで残されている。
けれども隣室には、あの女がいるのだ。
ザカリーが背を付けた扉の向こうからは、小声に押さえているつもりかもしれないが、はっきりとアリシアの声が聞こえてきていた。
「これより、シェルハラード王室への反撃を行うわ。そのためにフェリクス、あなたの力が必要なの」
(必ずやティーナさまのために、あの女を……)
両手首に手枷を嵌められたまま、ぐっと拳を握り込む。
しかしザカリーの脳裏には、先ほど覚えた違和感が残っていた。だが、それを振り払うように目を瞑る。
(……いまはただ、ティーナさまのご恩に報いることだけを考えろ)
***
「どうして俺が、お前に力を貸さなくてはならない?」
「………………」
アリシアの切り出した言葉に対し、フェリクスが言い放ったのはその一言だった。
この国の王城は、主城を東西と中央に分割している。
フェリクスとアリシアの居住区は東側にあり、中でもこの部屋は、歴代の新婚夫婦が語らう為に作られた部屋なのだそうだ。
けれど、椅子に気怠げに座ったフェリクスの双眸は、アリシアと会話をする気すらなさそうだ。
「……こほん。まあ聞いてちょうだい、フェリクス」
「朝食のときにお前の言い出した『一時間』はとっくに終わった。こちらはすでに公務に戻ったあとであり、いまは昼食の予定時刻だ」
「昨日嫁いで来たばかりの新妻が、夫とお喋りしたいってお願いしてるのに……?」
「俺は腹が減っている」
美しすぎて人形みたいに整った男でも、食欲はあるのだ。当たり前のことではありつつも、アリシアは興味深く感じた。
「では迅速に済ませましょう。なるべく早く終わらせるように努力するわ」
甘えてみても意味がないことを確認し、アリシアはさっさと話を進めることにした。
「この辺りの国々には古くから、王族が国を越えて花嫁をもらった場合、妻の故国に訪問を行うのが慣例でしょう?」
「だからなんだ」
「面倒だとは思うけれど、この慣例を果たしてほしいの」
そんな話をしながらも、卓上に白紙の紙を広げる。フェリクスはつまらなさそうに眉根を寄せるが、なんとか席を立たずにいてくれた。
「そのパレードを利用すれば、叔父さまを討つことが出来るかもしれない」
アリシアはそんなことを話しながら、静かにペンを走らせる。
「私たちの身辺警護のためと偽って、少数精鋭の騎士たちをシェルハラード国に連れてゆくの」
「…………」
「王都や城を守る防御の内側に、軍勢を潜り込ませる。これが出来たら、戦争は勝ったも同然のはず」
そう言って、紙に書いた一文をフェリクスに見せた。
『ザカリーというあの賊に、この会話を聞かせた上で逃すわ』
「…………」
扉の向こうで賊が聞いていることくらい、フェリクスも気が付いているはずだった。
アリシアはその上で、引き続き『表向きの作戦』を話す。
「さすがにこのレウリア国に対して、『私の故国と全面戦争をして』なんてお願い出来ない。だからこれは、旦那さまへのささやかなおねだりよ」
「は。……随分と、高くつく我が儘を言う妃だな」
「あなたの私兵を使い、パレードに油断しきった王だけを討つのであれば、このレウリア国にも失うものは少ないのではないかしら?」
再び紙に書き記した文章を、フェリクスに見せた。
『あの男に偽りの情報を持ち帰らせれば、叔父さまは反対に私たちを迎え撃とうとして、パレードの際に仕掛けてくるはず。それを利用して混乱させて、私ひとりが城に乗り込む』
そして、叔父を討つ。
『嘘でもいいから、「分かった」と声に出して、この作戦を了承して』
その懇願を込めてフェリクスを見据えれば、フェリクスはまっすぐにこちらを見返した。
(強い、まなざし……)
フェリクスがアリシアの方に手を伸ばした。
かと思えばアリシアからペンを奪い、美しい持ち方で握る。
「――お前は」
「!」
アリシアが書いた文章の、『嘘でもいいから』から始まる文節が、フェリクスの引いた線によって途中まで消された。
アリシアは思わず目を見開く。紙の上に残ったのは、アリシアの綴った懇願のうち、ほんの短い文章だけだ。
『この作戦を了承して』
(……この文章だと、あの賊に嘘を聞かせるだけじゃなくて。本当にフェリクスに、軍を動かすことをねだる意味に……)
フェリクスはその灰色の瞳で、正面からアリシアに問い掛けた。
「『この願い』に頷いてやることで、俺に何を差し出す?」
「!」
アリシアはきゅっとくちびるを結ぶ。