16 うそつき
『俺は、お前に協力するとは一言も言っていないが』
『う……!』
そうなのだ。
アリシアは叔父を玉座から引き摺り落としたいが、それにはフェリクスの力が必要不可欠である。とはいえフェリクスがアリシアに価値を感じている点は、未来視の力のみだった。
(顔、と言われたのは無視をすることにして……)
未来視を上手く使って交渉しつつ、残り回数があと二回だということは隠さなければならない。
『あなたのしたいことって、一体なんなの?』
それが分かってさえいれば、新しい価値を提供する方法もあるはずだ。アリシアの問い掛けに対し、フェリクスは事も無げに言った。
『――攻め滅ぼさなくてはならない国がある』
『!』
そのあとで、ふっと挑むように笑みを浮かべる。
『と、言ったらどうする?』
『……』
アリシアはその挑発を受け取って、にこりと微笑んだ。
『めちゃくちゃにしたい国を持つ夫婦同士、支え合えたら嬉しいわ』
『はっ』
どうせこの先、清廉潔白な王太子妃でいられるとは思っていない。
叔父が殺される未来にフェリクスが存在していなかった以上、彼の目的はアリシアの国ではないのだから、そこに口出しをする筋合いはなかった。
『俺が何をするつもりかは、未来を見れば確実に分かるのではないか?』
『血を捧げる為に、痛い思いをする回数は減らしたいわ。それに、あなたの目的が失敗するとしたら、未来を見に行っても答えを得られないかもしれないし』
『ほう』
『未来は変わるわ。しかも、その未来に辿り着くことの出来た要因がなんだったかまでは分からない。見ることの出来る範囲には、限りがあるの』
未来視に慣れていないことが気付かれないよう、敢えて断定系で言い切っておいた。
『私は、愚かな叔父によって国が蹂躙される未来を見たわ。それを変えるための第一歩として、この王都の牢獄に案内してほしい』
『……』
『そこで気が向いたら、未来視をするところを見せてあげるかもしれないわ。この力をどう使うのかは、あなたも知っておきたいのではない?』
『……言っておくが』
皿のものを綺麗に食べ終えたフェリクスが、静かにナイフとフォークを置いた。
『俺の一時間は、小国の命運くらいは左右できる価値を持つ。面白いものを見せなければ次はないぞ』
『ふふ! 決まりね』
アリシアがにこーっと笑って告げると、フェリクスはアリシアが食べ終えるのを待つ様子はなく、立ち上がって食堂を後にした。
その背中を振り返って見送りつつ、アリシアは目を眇める。
(攻め滅ぼしたい国、ね……)
***
「――さて。ご機嫌よう、ティーナの飼い犬さん」
「…………」
鉄格子が嵌められた石造りの牢前で、アリシアは敢えて丁寧な挨拶をした。
牢の中には、体格の良いひとりの男が座り込んでいる。その両手、両足首には鉄製の枷がつけられ、獄中でも自由に身動きが出来ないようにされていた。
首筋まである長さの赤髪は、赤黒く変色した血で固まっている。双眸には深い憎悪を宿し、真っ直ぐにアリシアを睨み付けた。
「昨日、あなたたちに殺されかけて以来ね」
この男は、アリシアに最初に剣を向けてきた男だ。アリシアは彼の目の前で、彼の殺気を利用して未来を見た。
「あなた以外の賊はみんな気を失っているらしくて、お喋り出来る人が他にいないの」
「……」
「ね。フェリクス」
アリシアが振り返った先には、フェリクスが獄卒用の椅子に腰を下ろし、冷めた様子で両腕を組んでいる。
「その男がこいつらの代表格だろう。昨日の俺の尋問でも、唯一声すら漏らさなかった」
「ティーナに対する忠誠心の強さかしら。ね、この牢の鍵を貸してくれる?」
アリシアがフェリクスにねだると、彼は先ほど騎士から受け取っていた鍵をアリシアに放った。
「お前にこの男を喋らせることが出来るか、手並みを見せてもらうとしよう」
「あら。わざわざ語らせる必要は、ないかもしれないわよ?」
フェリクスが僅かに目を眇める。アリシアは牢の鍵を開けながら、ゆっくりと賊に語った。
「男を惚れさせて虜にするティーナの手腕には、敵わないわね」
「……」
案の定、男の視線が強さを増す。アリシアは牢の扉を開くと、枷で拘束された男の方に歩み出した。
(……人間を最も浅慮にさせる感情は、きっと怒りだわ)
脳裏に浮かぶのは王妃の姿だ。幼いアリシアを虐げた彼女の目には、いつも強い憤りが揺らいでいた。
(フェリクスではなく、私の挑発だからこそ意味がある)
目立たないように持ち込んでいた短剣の鞘を抜き、いつでも使えるように刃を晒す。
アリシアは賊の男を見下ろして目を眇め、憎まれるのに相応しい強気な表情を作った。
「愛嬌のある子が得をするのかしら。ティーナはにこにこと上辺だけ微笑んで、男に甘えていればいいのだもの」
「…………」
(いいわ。もっと怒りなさい)
わざと無防備に身を屈め、鎖付きの枷が嵌まった腕でも届く範囲に身を寄せる。
「――何も出来ない、お姫さまなのに」
アリシアが囁いた、その次の瞬間だった。
「ティーナさまを、侮辱するな!!」
(来たわね!)
明確な殺気が迸り、男の手がアリシアの首を掴もうとする。瞬時に躱したアリシアの前で、枷についた鎖が男の行動を阻んだ。
アリシアはそのまま短剣を翳し、自らの手の甲を一気に斬る。
「――――……」
フェリクスが観察する中で、アリシアの手から赤色が散った。
一方で昨日の死に戻りを見ている賊が、警戒してひどく顔を顰める。
「……お前が昨日も使った、妙な技……!」
(昨日のそれとは、違うのだけれどね)
手のひらで傷を押さえながら笑い、目を閉じた。
これで舞台は整ったのだ。アリシアはフェリクスに説明した通り、『誰かに殺されかけた上で血を捧げる』という偽りの条件を満たした。
(さあはったりを貫くわよ、最大の敵はフェリクス……! まるで未来を見てきたかのように、堂々と騙る……)
そう覚悟をしたアリシアは、瞼を開く。
「このままあなたが辿るであろう、未来が見えたわ」
「未来が見える、だと? 本気で言っているのか」
「そうよ。教えてあげる」
落ちる血が、牢獄の床をぱたたっと叩いた。
「あなたは、私の殺害に成功するの」
「――!?」