14 フェリクス(第2章・完結)
びっくりしてアリシアが息を呑むと、もう一度目を開いたフェリクスがこちらを見遣った。
「なんだ」
「い、いえ。そのようなことを仰られるのは、少し意外だったもので」
「……ふ」
(どうして満足そうなのかしら……)
フェリクスは、そのまま目を瞑る。
「話し方も、そのように畏まったものでなくていい。お前の自然体のままにしていろ」
「で、ですが」
フェリクスが再び寝返りを打ち、アリシアに背を向けた。その襟元から覗くうなじの背骨がごつごつしていて、彫刻のように美しい。
「……フェリクス」
アリシアはこくりと息を呑んだあと、彼の傍にそっと手をついて、小さな声で確認する。
「……初夜、本当に、何もしない?」
「しない。――抱かれたいのか」
「っ、違うわよ!」
「だろうな」
本当にどうでも良さそうに言われて、アリシアはほっとした。
(これに関しては、王女として最低限の閨教育すら受けてなくて、絶対に失態を見せてしまうもの……。この様子なら、フェリクスとはずっと何もない?)
念の為に、彼の背中をつんつんと指でつついてみる。
「……つつくな」
「くすぐったい?」
「…………」
煩わしそうに上掛けで阻まれて、確かに大丈夫そうだと確信した。
「ずっと白い結婚でいられそうで、よかった」
アリシアは隣に寝転び、もぞもぞと就寝の体勢に移る。
「……おい」
「なあに? 私も眠くなってきちゃったの」
「お前にも部屋をやっただろう」
「いらないって言っちゃった。だって、夫婦は同じ寝室で眠るものでしょう? 私の両親はそうしていたわ」
五月とはいえ、今は夜だ。上掛けをもらえないと少し肌寒いが、こういうときの寝方なら心得ている。
「それに私、フェリクスしか頼る人がいないの」
フェリクスの大きな寝台には、使いもしなさそうな枕がたくさん並んでいる。
そのうちのひとつを借りたアリシアは、木箱に藁を敷いた寝台と比べ物にならない寝心地に感動しつつ、体を丸めて両手を太ももの間に挟んだ。
「妻の座を揺るぎないものにするために。朝まで一緒にいた既成事実は……作らせて、もらわない……と……」
「…………」
「それに……明日、朝……牢…………囚人……脅迫………………」
「『脅迫」……?」
最後まで宣言したかったのに、甘い眠気がすべての意識を攫ってゆく。
「『俺しか頼る人間がいない』だと? 嘘をつけ。お前のような人間は、誰に頼る必要もないだろうに」
アリシアが寝息を立て始めたあと、フェリクスが身を起こして溜め息をついたことなど、もちろん知る由もない。
「……いくらなんでも、肝が据わりすぎだ」
すうすうと眠るアリシアに、フェリクスは嘆息してから上掛けを乗せる。
そうして互いに背を向けて、初めての夜を過ごしたのだった。
***
「どういうことなの。……どうしてなの、フェリクス殿下とお姉さまの婚姻が無事に終わっただなんて……!!」
その知らせを受け取った王女ティーナは、自室でひどく動揺していた。
部屋の隅に飾ったトルソーには、ティーナのための婚礼衣装を着せている。
計画では今頃ティーナは、『大好きな姉の死』という悲報に泣き暮れながらも、レウリア国との同盟のために姉の代わりを申し出ているはずだった。
それが失敗し、姉が王太子妃になっただなんて有り得ない。
有り得ないはずなのに、姉の殺害を命じた面々からは、一向に報告がこないのだ。
「ティーナさま、夜分遅くに失礼いたします」
閉ざした扉の向こうからは、侍女の声がした。
「明日の慈善活動についてですが、どのようなご準備をなさいますか? 不慣れで申し訳ございません。引き継いだばかりで何も知らず、ティーナさまがいつもやっていらっしゃる内容をご指示いただければと」
「……ごめんなさい、実は少し体調が悪くて……」
咄嗟に空咳を繰り返して、弱々しい振る舞いで侍女に返した。
「お姉さまが出立なさってから、寂しくて食欲が落ちてしまったの」
「そ、それはいけません!」
ティーナがついた嘘を信じて、侍女が廊下で慌て始める。
「薬湯をお持ちいたしますので、ティーナさまはすぐに寝台へお入りください」
「いいえ、いけないわ……。私が風邪などを引いていたら、あなたに伝染してしまうかもしれないもの」
「ですが、ティーナさまのお体こそが……」
「私は平気」
扉に向かってにこりと微笑みながら、念の為トルソーに布を掛ける。
「でも、今夜は言われた通りにもう休むわ。寝台の中で、お姉さまのことを考えながら眠りましょう」
「……はい。ティーナさまに、素敵な夢が訪れますように」
侍女の足音が遠ざかる。ティーナは布を掛けたトルソーを見据え、強くくちびるを噛み締めるのだった。
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第2章・完結
第3章へ続く