12 朝焼けの色の髪
アリシアの胸元の真っ白な肌が、ランプの灯りに照らされた室内に浮かび上がる。
そこに傷ひとつ無いことを、フェリクスにも分かってもらえるだろうか。
どきどきしていると、フェリクスが緩慢に手を伸ばしてきた。
「!」
間近に迫ってきた男性の手に、反射的に目を閉じる。
けれどもフェリクスが触れたのは、傷があったはずの胸元ではない。
「……あ」
彼の指が、鎖骨の辺りに掛かっていたアリシアの髪を梳く。
「本当に、朝焼けのような色をしているんだな」
(……シェルハラード国において、この髪色を持つことが、神秘の力を持つ王族の証明……)
フェリクスはそのことも知っているらしい。アリシアが瞬きをしていると、フェリクスは髪から手を離し、仰向けに寝返りを打つ。
「傷が完全に治癒していることはもう分かった。着直していいぞ」
アリシアは急いで肩紐を直しながらも、フェリクスの背中を見遣った。
「……ドレスの赤色が私の血だったということを、少しも疑っていらっしゃらないのですね」
アリシアがどんな未来を見たかも告げておらず、心臓を貫いたところを見た訳でも無いのに、こんなにも簡単に信じても良いのだろうか。
そんな疑問に対し、フェリクスは事も無げに返した。
「あれが他人の返り血なら、あのような広がり方はしない。左胸を中心にしていた上に、血飛沫のひとつも飛んでいないのだからな」
(返り血や、流血を見慣れている人間の発言ね)
フェリクスが戦場で上げている功績が、王族としての指揮ではなく実戦によるものだということは、疑いようもなさそうである。
「お前のあの姿を見るまでは、神秘の力など馬鹿馬鹿しいと思っていたが。姉妹のうちお前の方にしておいて、正解だったな」
「迷信だと思っておいでなら、何故私を?」
「どちらの王女にも興味はなかったが。神秘の力を継ぐと言われる髪色を持った王女の方が、外交や民心掌握には都合が良い。――主に、死体の使い勝手が良さそうだった」
(この人……)
アリシアがじとりと彼を見詰めていると、フェリクスは思わぬことを言う。
「妹の方にしておかなくて、正解だっただろう? お前を襲わせた人間こそ、シェルハラードの聖なる王女とも名高いその妹なのだから」
「……」
こちらから何も語ってはいないのに、すべてをフェリクスに暴かれてゆくような感覚だ。
「妹姫はどうやら、姉のお前が邪魔だったと見える。だがその理由は、お前が未来視の力を持つからではなく――妹姫の慈悲深さの象徴と名高い『王室の奉仕活動』が、実際にはお前の功績によるものだからといったところか?」
重ねられてゆく的確な推測に、アリシアはこくりと喉を鳴らした。
「……どうして、そこまでお分かりに」
「未来視の力に嫉妬をするほど、あの国がその能力を有効活用できていたとは思えない。第一にそんな能力を持つ王女を、先王の子とはいえ他国には出さないはずだ。お前の故国の人間は、未来視の力が実在することを知らない」
フェリクスが何故アリシアに事情を聞かないのか、これを聞いているだけでよく分かった。
恐らくは尋ねるまでもないのだろう。彼はアリシアの抱えるものくらい、大半は想定出来ているのだ。
(……どこまでを彼に打ちあけるか、そんな計算すらさせてくれないんだわ。一番守るべき秘密だけを守ることに集中しないと、とても敵わない)
アリシアは観念するも、ちょっとした訂正を加えておく。
「妹のティーナが私を殺そうとした一番の理由は、どうやら他にもあるようですが」
「ほう?」
「あの子はあなたと結婚したかったようです。強くてお美しい、大国レウリアの王太子さま」
「は」
アリシアがそう告げると、フェリクスはくだらなさそうに嘲笑を浮かべる。短めの黒髪が枕に散っていて、その無防備さに何処か色気があった。
「だが、お前が俺を夫にして成したい『反撃』とやらは、妹が欲しがった男を見せびらかすことではないだろう」
「もちろんです」
アリシアは改めて背筋を正し、彼に告げる。
「私の命は本来であれば、両親の死と共に失われるはずでした」
「……」
五歳のアリシアがどんな運命を辿ったか、フェリクスであれば把握しているだろう。
彼が妃を迎えるにあたり、花嫁となる相手の面倒ごとを調査していないとは考えにくい。
「それを救ってくれたのは、他ならぬ民の声です。私はあの国の王女であり、国民に恩を返さなければなりません」
「政治を知らぬ民はただ、感情で物を言うだけだ」
フェリクスの言葉は冷めていて、心底からつまらなさそうだった。
「多くの国民が危機に陥った際、お前の存在を差し出せば助かると言われていれば、そいつらはどうしていたと思う? 民衆はそのようなとき、平気で王族の首を使えと騒ぎ出すぞ」
「この命ひとつで大勢が救えるのなら、それは単純な損得勘定ですね」
アリシアは微笑み、自らの左胸に手を当てた。
「私を助けてくれた国民が、いつか私の死を願っても構いません。小さかったあのときに助けてくれた、その事実が私を生かしたのですから」
「……」
「フェリクス殿下」
彼の名前を呼んで笑みを消し、決意を込めたまなざしを真っ直ぐに注ぐ。
「あの国を叔父から取り戻し、王女としての務めを果たす。――私はそのために、持ち得るものすべてを投じます」
「……お前の力も、この俺もか」
先ほどの嘲笑とは打って変わり、フェリクスは何故か機嫌が良さそうに目を眇めた。




