11 無傷の証明
アリシアはフェリクスの侍従に向け、『初夜に別々の寝台で寝るなど、私にとってもフェリクス殿下にとっても不名誉な噂の元になります』と説得した。
真面目そうな侍従は、やがてアリシアの懇願に折れて、『確かにアリシア妃殿下のお言葉こそごもっともです』と同意してくれたのだ。
「侍従さんを叱ったりなさらないでくださいね。どう考えても非常識なのは、新妻を放置してお休みになろうとしているあなたの方なのですから」
「……それで?」
寝台の前に立ったフェリクスは、静かなまなざしでアリシアを見下ろす。
「俺の新妻殿は殊勝にも、自らの体を差し出しにやってきたと」
「もちろんですわ。旦那さま」
アリシアは完璧な微笑みを作り、少し目を眇めてフェリクスを見上げた。
するとフェリクスの視線が、アリシアの左胸に向けられる。華奢な肩紐で吊られているナイトドレスは、谷間も見えていて心許ない。
(……っ)
本当は心臓が跳ねている。緊張と同じくらいの恐怖心で、指先が震えそうになるのを必死に誤魔化した。
(……覚悟はしてきたはずじゃない。これは王女として、妃として当然の務めなんだもの)
「…………」
眉根を寄せたフェリクスが、ゆっくりとアリシアの方に近付いてくる。
彼が寝台に片膝で乗り上げると、重みでマットが歪むのが分かった。その感覚が妙にはっきりと感じられて、思わずアリシアは目を瞑る。
(距離が、近……っ)
フェリクスの手が伸びてくる気配を感じた、そのときだった。
「――――……」
「きゃあっ!?」
アリシアの座っていた上掛けが、フェリクスによってぐいっと引っ張られたのだ。
当然バランスを崩してしまい、アリシアは寝台を転がった。端の方で慌てて起き上がると、フェリクスはこちらに背中を向けながら横たわるところだった。
「お、落ちちゃうところでしたが!?」
「知らん。眠い」
そうぞんざいに言い切って、フェリクスが枕に頭を置く。その様子を見て、あまり知識がないアリシアにも流石に分かった。
(……何もせずに、眠るつもりみたい?)
興味がないのか、魅力がないのか、そのどちらもだろうか。胸だけは柔らかで女性らしい丸みを帯びているが、アリシアの手足は華奢で貧相だ。
(致命的に色気が足りないのかもしれないわ! 夫婦の務めを果たす気になれない妻が相手では、協力関係になれないと言われてしまうかも……!)
「…………」
アリシアが動揺していると、彼は溜め息をついてから言った。
「あの赤は返り血ではなく、お前自身の血なのだろう?」
「!」
やはりフェリクスは、そのことを見抜いていたのだ。
「あの状況で聖堂に現れたお前を見れば、おおよそ予想はつく。国境を越えて賊の襲撃に遭ったお前は、左胸を刺されでもしたのだろう」
「……フェリクス殿下」
「それでもお前が生きていて、なおかつ今は傷が治癒しているのだとしたら、神秘の血の力が関与していると想像される。――未来を見るにあたって払う代償として、その体か命を使ったと考えるのが妥当だ」
なにひとつ訂正するところがなく、アリシアは口を噤む。
「死に戻った花嫁の体を、その当夜に組み敷いて、酷使する趣味はない」
「……!」
見抜いた上で、アリシアを気遣ってくれたのだろうか。
それが分かった以上、観念して息を吐くしかない。
「大筋はあなたの仰る通りです。私は未来を見るために、短剣で心臓を刺しました」
「……待て」
フェリクスが身を起こし、こちらを振り返る。
「まさか、自分で胸を貫いたのか?」
「? そうです」
「……はっ」
淡い灰色の瞳が、面白そうに眇められた。
「どうやら俺の花嫁は、想像以上に何をしでかすか分からないらしい」
「楽しそうにしていただけて、何よりですわ」
皮肉に皮肉を返すため、アリシアもにこーっと微笑んだ。
とはいえ、未来を見るための代償は、フェリクスが先ほど話したものよりももう少し複雑な条件があるのだ。
(誰かに殺されかけた状況で、自ら命を絶つ必要がある。……もちろん、それをありのまま伝える訳にはいかないわね)
それを知られてしまえば、フェリクスが未来視を必要とするときに、拷問の上で自害を迫られる可能性だってあった。
だから寝台に座ったアリシアは、フェリクスに告げる。
「――神秘の血の力を使うには、文字通り、私の血を捧げる必要があります」
「…………」
なかなかに、それらしい嘘がつけたはずだ。
「普段は自分の体を傷付けても、傷が治ることはないのですが。今回は重要な未来視を行うため、多くの血が流れる箇所を刺した所為か、塞がってくれました」
本当はアリシアにとって初めての未来視だったが、慣れたことのように告げておいた。
「刺した場所を、ご覧になられますか?」
「……」
フェリクスは気怠げに寝返りを打ち、アリシアの方に向き直る。
「見せてみろ」
「…………」
冷たいまなざしで告げられて、こくりと息を呑んだ。
「……わかりました」
自分で言い出したことではあるが、やはり緊張してしまう。
それでもナイトドレスの肩紐に触れると、アリシアはそれをするりと左肩から落とした。フェリクスの視線をそこに感じるのは、胸の傷口を確認するためなのだから当然だ。
「……っ」
肌の表面がちりつくような感覚に、浅く息を吐き出す。
ナイトドレスの下、胸元に着けている下着は、胸の下半分を包むものだった。
ゆっくりと指を滑らせ、ドレスをそのラインまでずらし、それ以上は乱れないように手で押さえる。
そうしてまるい膨らみの、下着に収まっていない柔らかな上半分を、緊張しながらフェリクスに晒した。
「どう、ぞ」
「――――……」