1 「初めまして、裏切り者の旦那さま」
【プロローグ】
王太子フェリクスは、あからさまに不機嫌だった。
今日はこの青年の婚礼であり、大聖堂には世界各国から要人が集っている。
その国賓たちの錚々たる顔ぶれは、この婚儀がこの世界において大きな意味を持つことを、言外に物語っているものだった。
けれどもフェリクスの表情には、心底からどうでもよさそうな感情が滲んでいる。
灰色にほど近い黒髪は少し毛先が跳ねており、首筋に掛かる程度の短さだ。左耳には王族の証である耳飾りが揺れ、フェリクスは時折それを煩わしそうにした。
白の軍服の胸元には、王位継承権第一位を表す金色の飾り緒が三重に連なっている。その下に輝く無数の勲章は、すべて戦場での功績を称えたものだ。
その瞳は、髪よりも淡い灰色をしている。
睫毛は長く、彼が冷たい表情をすると、その顔立ちの美しさは一層強調された。
あまりにも整いすぎた顔立ちは、作り物にすら見えるほどだ。
しかしフェリクスの残虐さは、この国での武勇や名声と共に、諸外国にまで響き渡っていた。
「殿下は本当に、あの国の王女を花嫁に迎えるおつもりなのか」
招待客のひとりがついに、小さな声でそう零す。
「これほど不釣り合いな婚姻があるか? かの国は由緒ある国とはいえ、いま国を治めるのは簒奪者だ。兄王を殺して新たな王になるなど、浅ましい」
「それが今回の婚姻によって、この誇り高き国の同盟国となるなど……たかだか王女ひとりを差し出して得るには、あまりにも大きすぎる後ろ盾だな」
「ましてや寄越したのは、聖女と名高い王女ではなく、先王の忘れ形見の方だというではないか」
この程度の囁きであろうとも、フェリクスの耳に届けば大きな問題となる。けれども彼らが話している内容など、フェリクスには予測がついていた。
傍らに見届け人として立つ侍従が、フェリクスにだけ届く声音で言う。
「殿下。まもなく花嫁さまが、入場なさる頃合いです」
「……どうだかな」
侍従の言葉に、フェリクスは嘲笑を交えて返した。
「俺の見立てでは、馬車の中で死んでいる頃だと思うが」
「……お言葉が過ぎます。せめてこの場では、慎まれますよう」
「捜索を出せ。恐らくは国境を越え、この国に入った森辺りで殺されているだろう」
まったく面倒なことではあるが、それは計画の範疇でもあった。フェリクスは目を眇め、淡々と告げる。
「どうせなら死体は早く見付かった方が、話を容易に進められる」
「……仰せの通りに」
侍従は一礼し、壁際に控える他の侍従たちに目で合図をした。
「花嫁は遅いな。殿下の妃となる重圧に、怯え震えているのではないか?」
「はは。そのようなか弱い皇女が、この国の王太子妃など務まる訳もない」
フェリクスはいよいよ茶番に飽き、このくだらない婚儀の場を後にしようとする。
だが、そのときだった。
「――――……」
真正面にある両開きの扉が、大きく開け放たれたのだ。
そこにはひとりの女性が立っている。
その柔らかそうで長い髪は、朝焼けの空に似た、赤と紫が溶け合う色合いをしていた。
凛とした背筋で立つ姿は、彼女に武術の心得があることを窺わせる。けれどもフェリクス以外の人間は、他に視線を奪われたようだ。
「な、なんだ……!?」
国賓たちが青褪めたのは、彼女の纏っているドレスが、血で真っ赤に染まっていたからだった。
(返り血か? ……それにしては)
元は純白だったであろう婚礼衣装には、もはやその清らかな雪色の名残すらない。
婚儀の場である聖堂どころか、およそ人前に出られる姿ではないその女性は、けれども見たことがないほどに美しかった。
顔立ちの作りは少し幼く見えるほどなのに、表情が驚くほど大人びている。体付きはそれなりに柔らかそうなのに色香を感じないのは、手足が華奢な所為ではないだろう。
赤い絨毯の敷かれた道を、彼女は真っ直ぐに歩いてくる。参列者が悲鳴を上げて逃げ出すのを気にも止めず、フェリクスの前で立ち止まった。
そうして微笑み、意志の強そうなまなざしをフェリクスに向ける。
「はじめまして。裏切り者の旦那さま」
「――へえ?」
思わず口の端を上げてしまったのは、心底楽しくなったからだ。
フェリクスは彼女の手首を掴み、自分の方に引き寄せた。もう片方の手でおとがいを掴んで上向かせ、頬についた血を指で拭ってやりながら確かめる。
「アリシア・メイ・ウィンチェスター。……貴殿が俺の花嫁だな」
「今日からは『アリシア・メイ・ローデンヴァルト』です。フェリクス殿下」
彼女の名乗ったローデンヴァルトは、フェリクスの姓だ。
アリシアは間近からこちらを見上げると、フェリクスの手に指を絡めながら、はっきりと望みを口にした。
「……あなた、私の反撃に手を貸してくださらない?」
そう言ってアリシアは、鮮烈なまでに美しく、挑むような微笑みを浮かべてみせたのだった。
【本編 第1章に続く】
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