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紫竜の花嫁  作者: 秋桜
第3章 後継候補編
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ニャアの受難

 3月中旬、龍栄は妻子と一緒に山あいの宿にきていた。

鶯亭はまだ朝方、雪がちらつく日もあったのに、南方にある鴨族領はもうすっかり雪が解けて、厚手のコートは必要ないくらいの暖かさだ。

 ここを選んだのは、妻と娘の好物のヤマメが食べられるからだ。とれたての新鮮なヤマメに2人とも大喜びで龍栄は嬉しくなった。


 朝食を済ませ、食後の散歩がてら宿の裏山を散策することにした。

「ママ!おさかないる!」子猫姿の娘は大はしゃぎで小川に手を突っ込んで、冷たさにビックリして白毛を逆立たせた。

妻はそれを見て大笑いしている。

龍栄も笑った。

 娘はあと3ヶ月で2歳になる。母の種族、子竜、二足形の3つの姿にコロコロ変わりながら、すくすく育っている。

最近は二足形でいる時間が長くなってきて、紫竜の匂いも強くなってきた。まあ今夏に3歳になる枇杷亭の若様の匂いほどではないが・・・

「あなた、もっと上流に行きましょう」

妻が龍栄に笑顔で話しかける。

「ああ、行こう。」


なんと穏やかで心があたたかくなる時間なのだろう。

家族がいる幸せを龍栄が噛みしめている時だった

「ん?」

わずかに血の臭いと死臭と・・・なんだこの臭いは?

初めて嗅ぐ、だが危険だ!龍栄は本能的に察した。

妻子はまだ気づいていないのか、臭いがする方向にどんどん歩いていく。


「ニャア、竜縁!」


龍栄の大声に驚いた2人が足を止めて振り返る。

「どうし・・・」


ピー!


竜縁が突然転変して空に舞い上がった。

どうやら娘もこの危険な臭いに気づいたようだ。


シャー


だが、突然の転変に驚いた妻は本能的に竜の子から遠ざかろうと更に臭いのする方に跳び上がって移動してしまった。

「ニャア!大丈夫だ!すぐに行くからそこを動かないでくれ!」

早く妻をこの危険な臭いから遠ざけなければ!

と、妻の姿が龍栄の視界から消えた。


ドボン


妻がいたそばの小川から水しぶきがあがる。

龍栄は真っ青になった。

妻の身体が突然ぐらりと傾き、小川に落ちたのだ。


 龍栄は慌てて小川に飛び込んで、水中の妻を抱え上げた。水の深さは龍栄の膝ぐらいだが、妻は全身びしょ濡れで意識がない。体温が低く、呼吸も・・・

「旦那様!奥様!」

龍栄のジャガー族の執事と妻の侍女2人が慌てて駆け寄ってきた。

「早く水からあがってお着替えを!濡れた服では体温を奪われ・・・ひい!」

執事が悲鳴をあげて空中を見る。紫の子竜が・・・


ピーピー


娘の鳴き声がおかしい。龍栄は振り向くと同時に慌てて頭を下げた。猛スピードで飛んできた子竜が龍栄の頭をかすめてまた飛び上がった。

「竜縁!落ち着け!」

母の異変を察した娘は転変したままパニックになっているようで滅茶苦茶に飛び回っている。

こんなスピードでぶつかったら・・・獣人の妻も使用人たちもひとたまりもない。

龍栄は意識のない妻を抱えて川岸にあがると、侍女たちに妻を託し、子竜を捕まえることに専念した。龍栄も転変すれば一瞬だが、その後疲労で動けなくなる危険があるのでできない。



「ニャアは?」

龍栄は息を切らしながら侍女たちの元に駆け寄った。娘を捕まえてなだめるのに思った以上に時間がかかってしまった。娘は転変の疲れか、先ほどまでの大暴れが嘘のようにスヤスヤと龍栄の腕の中で眠っている。

 妻は乾いた服に着替えさせられ、呼吸も浅いが戻っている。だが、やはり意識はなく、体温がいつもよりかなり低い。

「ダーエが本家に向かっています!奥様を宿に運びましょう。とにかくお身体を温めなければ!」

猿の侍女、ブブが寒さに震えながら叫ぶ。着物1枚になっているので、妻が着ている服はブブが着ていたものだろう。


ワシ族のダーエはどのくらいで本家に着くだろうか?


こう、娘を頼む。宿まで起きないはずだ。」龍栄はジャガーの執事に子猫姿の娘を渡すと、妻を抱きかかえた。

執事と言えども娘を雄に抱えさせるのは嫌だが、寒さに震えるブブには任せられない。



~鴨の宿~

「きゃあ!奥様!」

鴨の女将はぐったりして頭の濡れた妻を見て察したようで、すぐに暖かい部屋に布団を敷いて妻を寝かせると、仲居たちがどんどん火鉢を持ってきて妻の身体を温める。

「旦那様はお風呂に・・・」

「いや、大丈夫だ。」

龍栄は乾いた服に着替えると、温かい甘酒を飲んだ。

本当は風呂に入って身体を温めたいが、こんな状態の妻からは離れられない。娘も目を覚ましたらまたパニックになって転変するかもしれない・・・



 まだ妻の意識が戻らないうちに、本家からシュグ医師と竜湖、竜夢がとんできた。

「母は柘榴亭の奥様のそばを離れられませんので代わりに参りました。」妊娠中の妻が最優先だから仕方ない。

それにシュシュ医師の二女も優秀な医者だと聞いている。

シュグは早速、意識のない妻の容体を見ている。

「一体何があったの?あんたがついていながら・・・」

龍栄は竜湖と竜夢に先ほどあったことを説明した。

「奥様が意識を失ったのはその危険な臭いが原因かもしれません。原因が分からないことには治療のしようが・・・」

「分かったわ。龍栄、その臭いの場所に案内してちょうだい。私は竜縁を抱いて一緒に行くわ。竜夢、あんたは奥様のそばに」

「・・・分かりました。」龍栄は重い腰をあげた。

妻のそばを離れたくないが仕方ない。

娘だって連れて行きたくないが・・・竜夢が居るとはいえ妻の側には置いておけない。

転変した娘はあの臭いで死ぬことはないはずだ。



 龍栄はシュグと、娘を抱いた竜湖と一緒に先ほど妻が落ちた場所に戻り、臭いの方に歩いていく。

「うえ・・・なんなのこの臭い」竜湖は両手で鼻を覆う。

臭いで目を覚まし、転変して暴れる娘は龍栄が抱いている。

獣人の血と死臭と・・・得体のしれない危険な臭いはどんどん強くなる。

龍栄の本能は早く逃げろと告げているが、意識を失ったままでは妻の命が危ない。

脂汗をかきながら龍栄は重い足を一歩ずつ進めた。

「大丈夫ですか?旦那様、竜湖様」2歩後ろをついてくるシュグは平気そうだ。

「あんた、この臭いが平気なの?」今にも吐きそうな顔で竜湖がシュグを見る。


「血と死臭とは別の臭いのことですよね?いい臭いではありませんが、私は気分が悪くなるほどでは・・・あ!」


シュグと同時に龍栄も臭いの原因を見つけた。

雄鹿の獣人の死体と・・・なんだこの筒は?

「死んだのはかなり前のようです。死体があまり腐っていないのは、おそらく最近まで雪の下に隠れていたのでしょう。この変な臭いはこの筒からのようですが・・・これは一体何でしょう?」シュグが死体を観察しながら首をひねる。

「金属でできた筒なんて初めて見たわ。竜紗に聞くしかないわね。死体は鴨族と鹿族に知らせましょう。」竜湖は左手で鼻をつまみ、右手で筒を風呂敷に包んだ。

筒に素手で触れないように、しかも片手で作業するので時間がかかったが仕方がない。



 龍栄たちが宿に戻った頃には日が暮れて外は真っ暗になっていたが、妻はまだ目を覚まさない。だが、体温はだいぶ戻ってきた。

 娘は落ち着きを取り戻したが、眠る妻のそばから離れない。龍栄も妻の側で眠れぬ一夜を過ごした。

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