鹿の妻
芙蓉たちが黄虎の谷から帰宅した翌々日、芙蓉は子どもたちと紫竜本家の客間にいた。
夫は本家で会議があるらしい。客間に着くと早々に出て行ってしまった。
いつものようにニャアと竜縁が訪ねてきて、おしゃべりをしていた時だった。
客間の扉がノックされる。
「あ、いらっしゃったみたいですね。」
やって来たのは鹿の獣人、龍算の妻だ。
「失礼いたします。鹿族のソラと申します。」
「はじめまして。人族の芙蓉です。龍算様には先日の遠征で大変お世話になりました。」
「はじめまして。白猫族のニャアです。」
「奥様方、私のようなものをご一緒させていただき誠にありがとうございます。」
ソラはかなり緊張しているようだ。
「とんでもないです。ご一緒できて嬉しいです。」芙蓉は笑顔を作る。
ソラは2メートルを超える獣人だが、角も牙も鋭い爪もないので比較的怖くない。
「ソラ様は焼き栗はお好きですか?芙蓉様がお好きと聞いて、竜夢様に用意して頂いたのです。皆で食べましょう。」ニャアも可愛らしい笑顔をソラに向けた。
「まあ!栗は大好きです!」ソラも笑顔になる。
侍女たちはお茶の支度を始めた。
リンリン
「いいなーそれかしてー」
竜縁は、龍陽が振り回しているリンリン棒を羨ましそうに見ている。
「やー。ぼくの」
「もう、龍陽。竜縁様、竜琴のリンリン棒でよければ。この子はまだ上手く振れなくて、鳴っているのを見るほうが好きなのです。」
「やったーありがとう!」
芙蓉から竜琴のリンリン棒を受け取ると、竜縁はご機嫌で振り始めた。
リンリン
リーンリーン
「芙蓉様、ありがとうございます。これは・・・人族のオモチャですか?」ニャアが不思議そうに見る。
「いえ、先日、孔雀族から頂いたものです。」
「え?」ソラが驚いた顔をして大きな声をあげた。
「あ!申し訳ございません。つい。枇杷亭の旦那様は孔雀族と険悪だとお聞きしていたものですから。」
「黄虎の谷の道中に突然ご訪問したのですが、孔雀族の皆さんは歓迎して下さいました。険悪な様子なんて全く。孔雀族のご担当はお館様ですから夫はでしゃばらないようにしているのだと思います。」
「・・・そうなのですね。大変失礼なことを申しました。」ソラは頭を下げる。
「いえ、とんでもないです。」
「ママーこれほしい。」竜縁がニャアを見る。
「お父様にお願いしましょうね。すぐにプレゼントして下さるわ。」ニャアは娘に微笑む。
「ふふ。龍栄様は竜縁様をとても可愛がっていらっしゃいますものね。」芙蓉は微笑ましくて仕方ない。
「はい、夫は娘にも私にもとっても優しいです。」
「・・・奥様方は仲が良いのですね。」ソラは不思議そうに芙蓉とニャアを見る。
「ええ。」
「はい!」
芙蓉とニャアは同時に答えて、顔を見合わせて笑った。
「あの・・・人族と白猫族は、その、揉めていると伺っていたのですが・・・」ソラは伺うように2人を見る。
「え?そうなのですか?」
「まあ、それは知りませんでした。」
芙蓉とニャアはきょとんとする。
「え?では間違った噂話なのでしょうか?」ソラは不安そうな顔になる。
「あ、いえ。私は人族とは没交渉なので。」
「私も白猫族とは何年も連絡をとっていないので。」
「ええ?どうしてニャア様まで?」ソラは驚いた顔でニャアに尋ねる。
「白猫族長のご命令ですから。」
「え?族長はどうしてそんな命令を?」
「ソラ様、あまり他族のことをご詮索されては、ニャア様がお困りに。」芙蓉はすかさず口を挟む。
ニャアに白猫族のことはしゃべらせてはいけない。
「あ、申し訳ございません。」
「いいえ。でも白猫族が芙蓉様の一族にご迷惑をおかけしているのですか?」ニャアは不安そうな顔になる。
「どうでしょう・・・最近、人族の方から様々な種族にご迷惑というか不義理をして争いになっていると聞きましたので。」
芙蓉は困った。人族の話題は避けたいのに・・・
うわーん
息子が泣き始めた。
「え?どうしたの?」
「りゅうようがこわしたー」
見ると息子のリンリン棒の鈴が3~4個、床に転がっている。おそらく紐がほどけたのだろう。
息子はリンリン棒を床や壁にぶつけるのでかなり羽が落ち、棒の先端は潰れている。
「龍陽、ママが直してあげる。」芙蓉は息子のそばにいくと、鈴を拾って紐に結び直した。
「はい。龍陽。優しく扱うのよ。」
リンリン
芙蓉が棒をふると息子は泣き止んで、棒を手にとってまた遊び始めた。
「またすぐ壊れそうね。夫に新しいものをお願いしなくちゃ。」芙蓉はため息をつく。
「ふふ、奥様のお願いならなんでも叶えて下さるのですね。」ニャアが笑う。
「え?まあ、そうですね。でも、龍栄様だって」芙蓉も笑う。
ソラは不思議そうな顔で2人を見ていた。
2週間後、芙蓉は夫からソラの懐妊を聞いて喜んだのだが・・・芙蓉もニャアもソラと二度と会うことはなかった。




