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紫竜の花嫁  作者: 秋桜
第3章 後継候補編
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菊の宿

 孔雀族の領空を抜けて、すっかり暗くなったころ着いたのはワシ族の宿だ。

龍希は随分と疲れていたようだ。食事と風呂を済ませて、妻が子どもたちを寝かしつけるのをソファーで寝転がって見ているうちに寝落ちしていた。

 リンリンという音で目が覚めた。子どもたちはもう着替えまですませてリンリン棒を振って遊んでいる。

支度をしている間に出発時間になって、妻と過ごせる時間はなかった。

「芙蓉、今夜は絶対2人きりで過ごそうな。」

「もう。」妻は照れた顔でそう言うと、龍希の頬にキスをしてくれたので、龍希の機嫌はなおった。



 2日目は秋晴れで、予定どおり昼過ぎに黄虎領に入った。

前回と異なり今回は妻子が一緒なので往復4日の余裕のある日程にしている。今日は黄虎の眷属になったワニ族の宿に日没前に着き、明日は昼前に出発して2時間ほどで黄虎本家に着く予定だ。

『ん?煙の臭いがする。』

龍希は馬車の窓を開けた。

おかしいな?ワニ領のほとんどは池で、ワニは火を嫌うはずなのに・・・

「う・・・」生き物が焦げた臭いがして龍希は慌てて窓を閉める。

「うー」

子どもたちも臭いを感じたのだろう。2人して眉をひそめて唸り始めた。

「どうしたの?」

妻はやはりこの臭いも分からないようだ。

侍女たちは気づいているが、妻を不安にさせるようなことは言わない。

「ワニ領は池ばかりで臭いんだ。もう窓は開けないよ。」

龍希が微笑むと妻は安心したような表情になった。

『ワニはまだ人族と争ってるのか。カモメのように妻を襲うことはないだろうな?』

警戒するに越したことはない。

もうあんな思いはごめんだ。



 日が傾き始めたころ、予定の宿に着いた。

「わあ!」芙蓉は思わず声をあげた。

黄色、白、ピンク、オレンジ、赤、緑の色とりどりの菊が鉢に植えられている。

まさに菊の宿だ。

 ワニの女将の案内で離れの豪華な客室に通された。部屋の花瓶にも菊の花があふれんばかりに飾られている。

「奥様はお花がお好きだとお伺いしましたので。お気に召しましたでしょうか?」

「え!はい、とっても美しいですね。」芙蓉は笑顔を作る。

 菊の花は確かに美しいけど、ワニの獣人が怖い、とくにこの大きな口・・・

ワニと入れ違いで竜紗と竜冠が客間に入ってきた。

「お疲れ様でございました。あら、若様も姫様も眠そうですね。私どもが見ておりますので、奥様はゆっくりなさって下さい。」

「お!芙蓉、お風呂に行こう!ここも露天風呂がついてるんだ。」

夫は芙蓉の返事を待たずに、芙蓉の肩を抱いて離れの奧に連れていった。


「やっと二人きりになれたー」夫はお湯の中で愛おしそうに芙蓉の身体を撫でる。

昨晩は珍しく何もせずに寝てしまったからだろうけど・・・

「あなた、外では・・・」

どんなに愛しい夫でも外では絶対に無理。

「ん~だって夜まで待てない。」夫は甘えるような声を出して、芙蓉の首に唇をあてて・・・

「ちょっ・・・ダメです。そんな見えるところにつけないで下さいませ。」

一度、興味本位で夫にキスマークをつけられるか試してみたら、夫の方が気に入ってしまったのだ。

人族の愛情表現なんて言わなければよかった。

なお、夫にはつけられなかった。人の姿の時でも夫の肌?は鱗と同じ固さらしい。

「あ、んん・・・」

芙蓉が恥ずかしさに耐えかねて立ち上がろうとした時だった。


ピー


あ!この鳴き声は・・・

転変した娘が飛んできた。

目を覚まして、芙蓉の匂いを追ってきたのだろう。

 娘は息子と違って噛み癖があるので、竜紗たちでも手をやいている。

「う~」夫は不機嫌な顔で立ち上がると娘を捕まえた。



 あの後、息子も転変して飛んできたので、息子たちが眠るまで龍希は妻にさわれなかった。

やっと2人とも寝て、妻が龍希の布団に入ってきた時だった。

 離れた場所から爆発音が聞こえた。妻にも聞こえたらしく身体がびくりと震える。

続いて、悲鳴と・・・また爆発音が聞こえた。


うわーん

わーん


子どもたちが目を覚まして泣き始めた。

妻が慌てて子どもたちに駆け寄る。

 これは・・・戦いがはじまったな。

こんな時間に?

廊下からドタドタと足音が聞こえてきた。

「芙蓉、子どもたちとこの部屋に居てくれ。いま、竜紗と竜冠がくる。」

龍希は、不安そうな顔をした妻の唇にキスをすると廊下に出た。

走ってきた竜紗と竜冠が入れ替りで客間に入る。


 龍希は険しい顔をした龍算、龍賢とワニの店主の元に向かった。

「なにごとだ?」

「それが・・・どうやらこの近くの町を人族が襲ったようでして」ワニの店主は真っ青な顔をしている。

「こんな夜中にか?」

「奴らは昼も夜も関係ないのです。今、襲われている町は人族と揉めていた訳でもないのに・・・奴らはワニ族というだけで無差別に襲ってくるのです。滅茶苦茶ですよ。」

「しかし、あの音はなんだ?」

「おそらく人族のシュリュウダンという武器です。牙も爪も持たない奴らは鉄や火薬を使って戦うのです。シュリュウダンの威力は凄まじく、巻き込まれれば我らは命がありません。」

「はあ?ワニ族が人族に殺された?」

龍算は驚いた顔で大声を出した。

「ここは安全なのか?」龍希はワニを睨む。

「分かりません。こんなところまで人族が来たことは今までなかったのですが・・・奴らは不思議な道具で真っ暗な中でも進軍してくると聞いています。」

龍希は舌打ちした。

 妻は夜目が利かないが、人族の発明品は龍希の想像を超えてくる。

「龍希様、不本意ですがワニ族に加勢しますか?」

「ここは黄虎領だ。こちらにまで害が及んでないのに黄虎の眷属に加勢するわけにはいかない。」龍希は唇を噛む。

わずかな危険でも妻子に及ぶ前に排除したいが、今の龍希たちは一族の代表として黄虎領に来ている。

龍希が軽率な行動をする訳にはいかないのだ。

「ん?」

この臭いを感じて安心するのはおそらく最初で最後だろう。

「来ましたね。」龍算と龍賢も安堵している。


「紫竜の皆様、お騒がせして申し訳ございません。」虎豊(こほう)が龍希たちに頭を下げる。

「この宿は安全だと聞いてたんだぞ。」

「安全です。すぐに鎮圧しますので安心してお休み下さい。明日は私どもが本家までご案内します。」虎豊は作り笑顔を崩さない。

 宿の外には虎が10匹以上・・・確かに大丈夫そうだ。

「客間に戻るぞ。」龍希がそう言って立ち上がると、2人は頷いて各々の客間に戻った。

「2人ともご苦労だった。戻ってくれ。」

龍希が妻子のいる客間に戻ると、竜紗と竜冠は妻に一礼して下がっていった。


「あなた、大丈夫ですか?」妻はまだ不安そうだ。

「大丈夫だよ。もううるさい音もしなくなった。俺がそばにいるから安心して休んでくれ。」龍希は笑顔を作る。

「でも子どもたちが・・・」

子どもたちは完全に目を覚まして窓に向かって唸っている。

黄虎の臭いが不快なのだろう。龍希だってそうだ。

「仕方ないな。」龍希はため息をつくと子どもたちの枕元にシリュウ香を置いて火をつけた。

子どもたちはすぐにシリュウ香の方を向いてふんふんと鼻を鳴らす。

「え?子どもたちに嗅がせてもよいのですか?」妻は眉をひそめて龍希を見る。

「ああ、竜の子は親が作ったシリュウ香を嗅ぐと他の臭いが分からなくなるんだ。臭いが分からないと危険だからいつもは子どもたちの前では焚かないんだが、虎たちは寝ずの番をするみたいだから仕方ないな。」

妻は驚いている。


 シリュウ香が燃え尽きる前に子どもたちは穏やかな顔で眠ったが、妻は龍希と身体を重ねた後でもまだ不安そうな様子なので、龍希は妻が眠るまで抱き締めて頭を撫でていた。


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