孔雀族
10月のよく晴れた朝、龍希は妻子を連れて枇杷亭を出発した。御者台には疾風とタタが、馬車の中には妻の侍女2人が一緒に乗っている。
護衛兼世話役の4人は本家に集まって別の馬車に乗り、上空で合流する予定だ。
息子と娘は相変わらずどっちも妻の膝に座ろうとけんかしている。兄妹とはこんなものなのだろうか?
一人っ子の龍希には分からない関係だ。
しょっちゅう喧嘩していると思えば、二人で仲良く遊んだり、手を繋いで寝ていたり・・・龍希はそんな子どもたちが愛おしくて仕方ない。
日が傾き始めたころ、馬車が下降し始めた。
「ん?もう宿か?」
日没を過ぎて着く予定だったが、一角獣たちの調子が良かったのだろうか?
いや、違う。進行方向から雨の臭いがする。まずい・・・
一角獣は雨の中は飛ばないのだ。雨に濡れた地面も嫌がって進まない。
馬車が地面に降りて止まったので、龍希は窓を開けた。前の馬車も同じく着地していて、竜紗が向かってきた。
「龍希様、この先は雨が降っているようです。進路を変更せざるを得ないのですが・・・南側は孔雀領です。」
「げっ・・・北側は?」
「取引先ではないので通れません。カモメの件で鳥族とは今険悪で・・・」
「まじかよ!しばらく待てば雨が止まないかな?」
「一角獣たちがイライラしていますのでここも雨が降るようです。諦めて、孔雀族に遣いを出して下さいませ。」
「俺じゃなきゃダメだよな・・・」
「当然です!あなたが遠征のトップなのですから!さあ!早く!」
「はー仕方ないな。タタ、悪いが遣いに行ってくれ。」
御者台のタタは翼を広げると孔雀族本家に向かって飛んでいった。
「あーめんどくせえ!」龍希は窓を閉めると愚痴った。
「孔雀族は大歓喜でしょう。龍希様と直接話ができるのですから。」
シュンの愉快そうな顔がなんとも腹立たしい。
「孔雀族は族長の担当先です。孔雀の奥様との結婚の条件でございました。しかしあくまで族長個人との約束ですので、孔雀は龍希様に取引を引き継いでほしいのです。龍栄様が熊族との取引を担当されているのと同じように。ですが、龍希様は孔雀との交流を一切拒否してこられましたから。」シュンが妻に説明する。
「母上の言い付けだからな。それに孔雀の取引量は熊の20分の1以下だぞ。俺が担当するような相手じゃない。」
成獣と同時に後継候補になった龍希の担当は大口の取引先ばかりだ。龍陽が生まれてからは主要取引先しか担当していない。
孔雀族は族長が引退したら取引を打ち切ってもおかしくないほど小口の取引先なのだ。
30分もしないうちにタタが雄の孔雀と一緒に戻ってきた。
龍希は一人で馬車から降りる。
「お目にかかれて光栄です。枇杷亭の旦那様。孔雀族長の遣いで参りました。孔究と申します。本家にご案内いたします。」孔雀は深々とお辞儀をする。
「あーいや、黄虎領の方角に孔雀族の領空を通らせてもらいたいだけなので。わざわざご本家にお招き頂くなんてそんなお手間をおかけするわけには・・・」
「遣いの方からお伺いしております。今夜の宿のお近くまで案内するものを只今手配しておりますが、旦那様ご一行をこんなところでお待たせする訳には参りません。長くお引き留めはしませんのでどうか・・・」孔雀は営業スマイルを浮かべたまま、羽を広げて浮き上がる。
「では・・・族長にご挨拶だけ。」龍希は諦めた。
孔雀族の本家は林の中にあった。熊や白鳥などの主要取引先の本家と比べると1/3ほどの大きさで装飾も質素だ。
シリュウ香の転売で儲けていてもこれでは・・・取引するメリットはないな。
龍希はそう思いながら孔雀族長の待つ応接室に入る。
「おお!枇杷亭の旦那様!お会いできて光栄でございます!」初老の雄孔雀が満面の笑みで挨拶する。
確か族長は母の弟だったか?どうでもいいが。
「お邪魔いたします。族長殿。いつもご贔屓にして頂きありがとうございます。本日は突然、厚かましいお願いをしまして申し訳ございません。」龍希は営業スマイルで軽く頭を下げる。
「なにを仰います!お安い御用でございます!ああ、旦那様にお越し頂けて一族は皆喜んでおります!大したおもてなしはできませんがご休憩していって下さいませ。」
「いえ、そんな。あまりご迷惑をおかけするわけには参りません。族長にご挨拶も致しましたし・・・」
リンリン
「ん?」
足元で鈴の音がする。
見ると息子が鈴と色とりどりの羽がついた棒を振って遊んでいる。
このおもちゃは・・・
「龍陽!どこから持ってきた?」
「もらた」
息子が指差した先には、妻たちにお茶を勧めている孔究がいた。娘はリンリン棒を持って、振らずに棒をかじっている。
「大したおもちゃではございませんが、若様と姫様のお気に召したならようございました。」孔究は龍希に作り笑顔を向けるが、
『悪意とは言わないが、嫌な感じだな。』
まあ孔雀は龍希に対しても恨みしかないだろう。
「それは孔究の羽で作ったリンリン棒でしてな。孔雀の匂いを嫌がる種族もおりますが、やはり血が近いからですかな。」孔雀族長は嬉しそうに息子を見る。
「血が近い?」どういう意味だ?
「孔究は、旦那様のお母上であるキーラ様とワシ族の夫との間の子でございます。キーラ様再婚時に私の養子になりました。」
「ああ、そうでしたか。龍陽、ちゃんとお礼を言ったか?」
そういえば竜湖が昔そんなことを言っていたような・・・まあ他種族である以上は赤の他獣人だ。興味ない。
「あいがと、おじさん。」息子は孔究に頭を下げる。
「なんとも賢いご子息ですなあ。旦那様、来年にはこの孔究が族長になります。どうぞよろしくお願いいたします。」
「左様ですか。担当者である族長に伝えておきます。」
「・・・旦那様はわが一族をご担当下さらないのですか?」
「族長が担当することは孔雀族のご要望だったと聞いておりますが?」
「はい、キーラ様が嫁がれる時にそうお約束しましたが、今の族長殿は・・・その、旦那様に次のお子様がお出来になれば引退されると。」
「族長の交代は後継候補の誰かに2人息子が生まれたときです。族長引退後も取引が可能な限りは担当者は変わりませんし、取引の引継ぎは現担当者が決めますので、私には何も分かりません。」龍希はキッパリ言った。
変な期待を持たれてはかなわない。
「そ、そうですか・・・現族長殿はわが一族を嫌っておられますからな・・・」孔雀族長は伺うように龍希を見るが、龍希は聞こえないふりをして出されたお茶を飲む。
「・・・」
懐かしい味だった。
この孔雀の匂いも・・・どうにも落ち着かない。
「族長、あまりお引き留めしては。」孔究が族長を見る。
「ああ、そうですな。この孔究が宿の近くまでご案内します。わが領には雨はふっておらぬようです。」
「ありがとうございます。このお礼は後日。あまり遅くなると妻子に負担がかかりますので、名残惜しいですが、本日はお暇いたします。」営業スマイルを浮かべて龍希は立ち上がった。
「あなた、大丈夫ですか?」
馬車に戻り、孔究の後をついて飛び始めたところで妻が心配そうに龍希の顔を覗き込む。
「ん?ああ、なんともない。すまなかったな。面倒事に付き合わせて。」
「私たちは何も。美味しいジャスミン茶を飲んで休ませて頂きました。孔究様が子どもたちの相手をして下さったのですよ。あの音のでる棒を2人とも気に入ったみたいで。」
「ああ、ジャスミン茶か。そんな名前だったな。あのリンリン棒も・・・なんで子どもはあんなのが好きなんだろうな。」
「?」妻は首を傾げる。
龍希が子どものころ、母は毎日ジャスミン茶を飲んでいた。龍希はあの匂いがあまり好きではなかったはずだが、今日久々に嗅いで嫌な感じはしなかった。というか旨かった。
あのリンリン棒も・・・昔よく振り回して遊んでいた。母が抜けた毛で作った龍希のリンリン棒はあんな色鮮やかではなかったが・・・母の匂いがするので毎晩、布団に持っていって一緒に寝ていた。
こんなに母のことを思い出したのは初めてかもしれない。
もう名前を忘れて、顔だって曖昧になってきたのに・・・
リンリンと息子たちが鳴らす鈴の音を聞きながら龍希はなんとも言えない気持ちになった。




