娘の役割
芙蓉は旦那様が鶯亭に出かけてすぐ枇杷亭の庭にある四阿に出た。
「奥様。どうされました?」ククが心配そうな顔で芙蓉を見る。
「もしも・・・龍陽じゃなくて娘が産まれていたら旦那様はあんな風にがっかりされたのかしら?」
芙蓉は目を伏せる。
「まさか!むしろ大喜びされたでしょう。」
「え?でも、娘は跡継ぎにならないんでしょう。」
「姫様も紫竜一族には欠かせぬ大切な存在です。それに龍希様は龍栄様に先に息子が産まれることをずっと望んでおられたようですから。」
「なのに龍陽が生まれたから・・・」
「あ、そういうつもりでは・・・まさか姫様じゃないと文句を言ったのですか?」ククが険しい顔になる。
「まさか。私にそんなこと仰らないわ・・・」芙蓉は困ったように笑う。
『顔に全部出てるだけ』
「紫竜の姫様の役割って?」
「一番はやはり神殿の巫女様ですね。成獣前の姫様だけが竜神様の声を聴くことができるそうです。竜神様から名をもらってはじめて竜の子は紫竜一族の一員と認められますので巫女は欠かせぬ存在です。巫女様の後任ができて、皆様大層お喜びでしょう。
それから取引先との関係は雌竜なくして維持できません。婚姻はもちろん、他族からの商品購入、雄竜との縁談、獣人の奥様方のお相手など・・・皆さま忙しくしておられます。さらに竜の子の教育も大切な仕事です。竜湖様はこれらに加えて族長の相談役もされていますね。」
「・・・竜湖様は朱鳳に嫁がれた後も紫竜のお仕事をされてるのね。人族とは大違い。」
「そうなのですか?嫁がれても紫竜での役割は変わりません。死ぬまで紫竜一族ですから。むしろ結婚前より役割は増します。竜湖様は朱鳳と紫竜の取引の拡大、縁談の復活のために奔走しておいでです。竜紗様も同じく象族と・・・まだお子様たちもお小さいのにとても勤勉な方です。
それから・・・まあ若様!」ククが驚いた顔になる。
「え?」
芙蓉は息子を探す。
確かシュンと一緒に四阿横の紫陽花を触っていたはずだ。
「う~」
満面の笑みで龍陽が蛇を握っている。
「きゃあ!」芙蓉は思わず悲鳴をあげた。
蛇は苦手だ。
子どもの頃、蛇をもった兄に追いかけまわされてからずっと・・・
蛇はグネグネと身体をくねらせ、口を全開にして龍陽を嚙もうとしている。
「いや!捨てて!」
芙蓉は真っ青になって呼びかけるが・・・息子は分かっていない。
シュンが蛇を取り上げようとするが、息子は嫌がって暴れる。
蛇を握った手をぶんぶん振り回して・・・・
蛇が龍陽の手から抜け出し、芙蓉のいる四阿の中に這ってきた。
「きゃああ!いや!来ないで」
芙蓉はまた悲鳴をあげた。
四阿の出口はヘビのいる所だけ。逃げ場がない。
「奥様。すぐに捕まえます。」ククが蛇に手を伸ばそうとした時だった。
「あ~!」
龍陽の大声とともに蛇に小さな雷が落ちる。
黒焦げになった蛇から黒い煙があがり、生き物が焦げた嫌な臭いが漂ってきた。
芙蓉は途端に気持ち悪くなる。
「おえ・・・」
口元を押さえようとしたが間に合わず、その場で吐いてしまった。
吐しゃ物の臭いにさらに気持ちが悪くなり、その場に膝から崩れ落ちる。
「奥様!」
シュンとカカが真っ青な顔をして駆け寄ってきた。
「芙蓉!」
龍希は真っ青な顔で妻のいる食堂に駆け付けた。
守番を終えて鶯亭から帰ってくるなり、カカから妻が怪我をしたと知らされて肝が冷えた。
しかも庭の四阿で?
留守中には外に出るなとあれほど言ったのに・・・カカたちは何をしていたんだ?
さすがの龍希も怒り心頭だったが、妻から血の匂いがして真っ青になる。
「血が出るほどの怪我をしたのか?」
「あ、いえ膝を擦りむいただけです。」妻は気まずそうに答える。
「なんで?」
「え?石の床に膝を打ったので・・・」
「石?それじゃ血はでないだろう?」
「・・・出ますよ。私には身体を守る鱗はないですから。」
『噓だろう!?』
龍希は信じられない。
そんなに弱いのか人族の表皮って?
「あの、旦那様?それより大事なお話が・・・」
「妻の怪我以上に大事なんてない!
怪我が治るまで絶対に外に出さないからな!
あれほど俺が居ない時には庭に出るなって言ったろう。
守番も休む!治るまで側から離れないからな!」
「いえ、それより・・・うっ」
妻は手で口を押えると立ち上がって流し台に走る。
水を流しながら吐いている。
『ん?』
なんだか前にも見たような・・・いや、まさか
「これも怪我のせいか?」龍希はシュシュを見る。
「いえ、つわりです。」
「つわりって何?・・・は?いやいや、授乳中は妊娠しないだろ?」
「何を馬鹿なことを仰っているのですか?人族の妊娠検査薬で確認しましたので間違いございません。」シュシュとシュンは呆れた顔になる。
「え?」
どうやら龍希はまた人族について勘違いをしていたようだ。
『いや、まさか・・・だってむこうは娘が産まれたばかりなのに・・・まずい』
「つわりだったのね。授乳中は月の物がないから気づかなかった。」
まあ心当たりは山ほどある。
芙蓉は吐き気がすこし落ち着き、座って白湯を飲んでいた。
「ではいつ頃ご出産になるかは・・・分かりませんね。」シュシュ医師は困った顔をする。
「う~ん。妊娠は3~5月ころかしら。それだと出産は年末か1~2月頃だけど、はっきりとは・・・」芙蓉は指で数を数えながら答える。
「奥様、ありがとうございます。そこまで絞れれば十分でございます!旦那様、いつまでほうけてらっしゃるのですか?すぐに本家、族長にご報告に行ってくださいませ。」
シュシュとシュンはまだ呆然となっている旦那様を食堂から追い出した。
「旦那様はお疲れなのに・・・申し訳ないわ。明日じゃダメなの?」
「何を仰います!これほど嬉しい知らせはございません!姫様の誕生に奥様のご懐妊ですよ。一族は大喜びで今日は眠れませんでしょう。」
シュシュとシュンはもう泣き始めた。
『いや、大げさ・・・』




