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紫竜の花嫁  作者: 秋桜
第2章 夫婦編
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商人の結婚

雪で覆われた道を明日香(あすか)は白い息を吐きながら荷物を背負って歩いていた。

町で唯一の薬屋の呼び鈴を鳴らす。


「明日香さん。さ、中に入って。」

芙蓉の義姉が中に招き入れてくれた。


「雪の中ありがとうございます。夫は町の外に買い付けに行っているし、義母は足を負傷して動けないし、私は店番があるしで、買い物に行けなくて困っていたんです。」


芙蓉の義姉はそう言って、明日香にストーブの前の椅子をすすめ、熱いお茶をいれてくれた。


「配達も私の仕事だから気にしないで。それに困った時はお互い様よ。いただきます。」

明日香は熱いお茶をすする。


「注文の品が揃っているか確認してください。それとこれは母からおばさんに。お見舞いの生姜湯のもとです。」


「ありがとうございます。義母はさっき痛み止めを飲んで寝たところなの。起きたら喜びますわ。」


芙蓉の義姉は明日香の荷物の中身を確認するとカウンターに行き、代金と白い小さな包みを持ってきた。


「これは私から明日香さんに。悪縁が切れたお祝いです。」

芙蓉の義姉はにこりと笑う。


「まあ!ありがとう。」

明日香は笑顔で受け取った。


明日香は先月、正式に元夫と離婚が成立したのだ。昨年5月に明日香は娘を連れて実家に出戻り、10月に元夫の実家から手紙が届いた。

明日香とすずを返せとの内容に、明日香の父と兄が半年分の生活費をもって夫が迎えに来いと返事すると12月に明日香とすずの戸籍が届いた。

 明日香の戸籍は結婚時に夫の町の役場に異動させている。その戸籍を返されたことによって正式に離婚が成立したのだ。

すずの戸籍を明日香に送ることは元夫がすずの親権を放棄したことを意味する。


明日香の父も兄も激怒していた。

迎えにくる金もないのに妻子を返せとは何事かと。

特に兄は昨夏に女児が産まれ、末娘を溺愛しているので同じ父親として許せなかったらしく、元夫の所業を商人仲間に言いふらしたのだ。

離婚理由が明日香にあると思われては再婚に支障が出るので、明日香も両親も黙認した。



「娘を売ろうなんて信じられない!その上それを結納金になんて・・・詐欺よ!漁船でも山小屋でも自分が出稼ぎに出ればいいのに!」


芙蓉の義姉は顔をゆがめる。


「ほんとにそうよ。すずといい正月を迎えられたわ。ねえ良縁があればぜひ紹介してくださいな。」

明日香は晴れやかな笑顔で返事する。


「私の実家に相談すればと思うんだけど。いまちょっと・・・」

芙蓉の義姉の顔が曇る。


「どうなさったの?今、お客さんもいないみたいだし、よかったら聞かせて。」


芙蓉の義姉は待ってましたとばかりに明日香の向かいの椅子に座って話し出した。



「明日香さんも知ってるでしょう。昨年、南東にある堺町(さかいまち)で大きな落雷があって大火事になったらしいじゃない。薬草園や製薬工場も燃えて、薬が品薄になったせいで仕入先から大幅に値上げされたの。あの義妹の件で怒らせた仕入先だから融通をきかせてもらえなくて・・・そしたら夫が私の実家から薬を仕入れられないかって言い出したんだけど、実家は薬の仕入れなんてしてないの。

私、無理よって言ったんだけど、新たに仕入れてもらえばいいだろう、私から手紙でお願いしろって。有り得ないでしょ。そんな簡単にできることじゃないし、頼むにしても店主である夫が私の実家に頭を下げに行く話じゃない。」


「そうね。」

明日香は驚いた。



芙蓉の兄はそんな非常識な人間だっただろうか?



「なのに、夫は・・・私を殴って怒鳴ったのよ!女の分際で口答えするなって。すぐに手紙を書かなきゃ外に放り出すぞって。11月の夜に。」


芙蓉の義姉は目に涙を浮かべる。


「どうしようもなくて夫が言うとおりに手紙を書いて実家に送ったけど・・・案の定、実家の父は激怒して、夫が謝罪にこなきゃ取引を打ち切るって手紙が・・・」


「え!待って!怒るのは分かるけど、取引がなくなったらあなたの実家も困るでしょう?」


「ううん。元々、この店には消毒用のアルコールを年に10本程度売っているだけだったから、取引がなくなっても実家は困らないの。」


「え!じゃあなんで?」


芙蓉の兄は結婚したのだ?

商人にとっては結婚も商売の手段にすぎない。主要取引先との関係維持、新たな取引先の確保など商売上のメリットを求めて結婚する。



「不思議でしょう?私の実家も疑問に思ったの。でも夫が提示した結納金が一番高くて、きっと薬屋がうまくいっているから、商品の新規開拓をしたいんだろうって。父はそう思って私を嫁がせたの。

でも・・・結婚から1年以上たっても夫は実家との取引を拡大する様子はなくて。なのに実家が扱っていない商品を新たに仕入れてくれなんて・・・父が怒って当然よ。」


「ほんとにね・・・」

明日香はそれしか言葉が出ない。



「そしたら義母が義妹の嫁ぎ先に頼みましょうって。もとは義妹の結婚が原因なんだし・・・でも」


「どうしたの?」


芙蓉の義姉は薬屋の店内をもう一度見回し、ほかに誰もいないのに小声になる。


「義母も義妹の嫁ぎ先を知らないらしいの。」


「ええ!?」

明日香は驚きのあまり声をあげてしまった。


「有り得ないでしょう?でも確かにそう言ったの。いい加減、芙蓉の嫁ぎ先を教えて!一緒に頼みに行きましょうって。義母が夫に。」


明日香は絶句した。


母親が娘の嫁ぎ先を知らないなんて有り得ない。

主要取引先との縁談を蹴ってまで嫁がせたならなおさらだ。



「夫は今度は義母に激怒して。女が口出しするな、嫁いだ妹に頼るなんて恥だって言って、義母を殴ったの。それで足を・・・。

何が恥なのか私にはわからなかったけど口出しできなくて・・・」


芙蓉の義姉はまた目に涙を浮かべる。


明日香は冷や汗をかいた。

一昨年、芙蓉に会ったことを思い出した。



「・・・ねえ、これからの話は2人だけの秘密にしてくれる。」



明日香は覚悟を決めて芙蓉の義姉を見た。

あまりにも彼女が気の毒だった。



「え?ええ、もちろん。私、この町で信頼できるのは明日香さんだけなの。」


芙蓉の義姉は真面目な顔になる。


「この町の役場は他と違って、ほかの町に嫁に行った娘の戸籍のコピーを置いてるの。どこに嫁いだか書いたメモと一緒に。」


「え!?」

芙蓉の義姉は驚いているが、まあ、そうだろう。

絶対に口外できないこの町役場の違法行為だ。



「昔、嫁に行った娘の戸籍の取り違い事件があって、それ以来こっそりとね。だから役場に行って芙蓉の戸籍のコピーを見れば嫁ぎ先が分かるわ。」


「でもたとえコピーでも他人の戸籍は見れないわ。私は血縁者でもないし。」


「役場に(よう)っていう名のおばさんがいるの。その人に少しいいお酒をもって行けばこっそりコピーを見せてくれるわ。あなたは芙蓉の義姉だし。休日の一人当番の時を狙ってね。」


「・・・義母はそのことを知ってるのよね?」


「ええ、でもおばさんはしないと思うわ。楊おばさんと仲が悪いから。」


「ありがとう。ちょっと考えてみる。」

芙蓉の義姉は迷っているようだ。


「そろそろ店に戻らなくちゃ。長居してごめんなさい。」

明日香は立ち上がってコートを着ると空になったリュックを背負って薬屋を出た。



もうすぐ日が暮れる。


明日香ができるのはここまでだ。

芙蓉の兄はおそらく・・・なんて馬鹿なことを。薬屋も家族も全てを破滅させる所業だ。だが、


なぜ?


明日香はまだ疑っている。

何か別の・・・芙蓉の嫁ぎ先を変えざるを得なかった理由があるのではと・・・だから芙蓉に会ったことは誰にも話せない。



どうか明日香の予想は外れていますように・・・明日香は芙蓉と義姉の幸せを祈ることしかできない。


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