龍流の悲劇
~芙蓉の休憩室~
「奥様が一緒だから旦那様はあんなに緊張していたの?」
休憩室内にあるトイレに行き、椅子に座って化粧を直しながら芙蓉は侍女たちに尋ねる。
「いえ、白猫は無関係です。」
シュンが呆れた顔で答える。
「・・・龍栄様の奥様はとてもかわいらしい方なのね。お若いのよね?」
獣人の年齢は分からないがとても幼く見えた。
「今年で10歳になられます。」
「え!」
芙蓉は驚きのあまり大きな声がでた。
龍栄様は旦那様の5歳上と聞いているからとんでもない歳の差だ。
「白猫族は短命ですので、成獣と同時に結婚するのは珍しいことではないのです。ニャア様は5歳で嫁がれました。」
ククが教えてくれた。
成獣と同時に20歳近く離れた夫に嫁いだと・・・龍栄様は優しそうなイケメンに見えてロリコンなのか。いや、妻も成獣しているならロリではないか・・・芙蓉は混乱した。
「そう・・・なのね。お待たせ。戻りましょうか。」
芙蓉が立ち上がった時だった。休憩室の扉が開いて竜紗が入ってきた。
「奥様!龍陽様が転変なさいました。危険ですので龍希様が呼びに来るまでここに居てくださいませ。」
竜紗はそう言うと扉を閉めて内側から鍵をかけた。
芙蓉は真っ青になる。なんてタイミングの悪い。
龍陽は起きたときに芙蓉がそばにいないと転変することが多くなったのだ。
「大丈夫ですわ。大広間には一族が勢揃いしておりますし、私はここでお守りしますので。龍流と同じことは決して。」
「リュウリュウ?」
芙蓉は首を傾げる。
「ああ、ご説明しますね。」
竜紗は昔話を始めた。
もう20年以上前、龍流と胎生の妻との間に息子が産まれ、約1年後に無事に転変した。転変しても胎生の母子の愛着は強く、息子は母にずっとくっついていた。
龍流が外出していたある日、妻は昼過ぎから熱を出し、侍女たちに息子の世話を任せて部屋で寝ていた。息子は匂いで母親を探し当ててしまうので、妻は紫竜が嫌う金木犀のお香を焚いていた。
昼寝から目覚めた息子は母親の不在に気づいて転変し、屋敷中を飛び回って探した。
夕方、少し体調が回復した妻が部屋から出ると息子は匂いで気づいて飛んできたが、相当パニックになっていたのだろう。竜の姿のまま勢い良く妻にぶつかった。獣人の妻は吹き飛ばされ、石の柱に頭を打ち付けて・・・なんと即死してしまったのだ。
帰宅した龍流の嘆きは相当なものだったが、悲劇は終わらなかった。
母親を失った息子はショックからか転変した姿から戻れなくなり、みるみるうちに衰弱していった。
龍流はなんとか転変から戻そうとしたり、雷気を食べさせようとしたが母親の代わりにはなれず、息子は翌日の昼に息絶えた。
知らせを受けて紫竜一族に激震が走った。
竜の子が母親を探して転変することは珍しくないが、故意に母親を傷つけることはない。誰が教えなくとも母親に接触する際には竜の子は母親の種族の姿に戻る・・・と信じられていた。
しかし龍流の悲劇以来、紫竜の妻に金木犀は禁忌となり、胎生の妻を持つ雄竜は特に警戒するようになった。また、これ以降は卵生の種族との婚姻が主流となった。
芙蓉は絶句した。
信じたくないが・・・息子が転変した姿を思い出して身震いする。だから獣人の妻たちは息子に近寄らなかったのだ。
「あの・・・そのリュウリュウ様は今は?」
「妻子を失ったショックからかシリュウ香を作ることができなくなり、リュウレイ山の管理を任せることになりました。
龍流も悲劇の起きた屋敷を離れたかったのでしょう。リュウレイ山に一人籠り、5年くらい経ってからは一族の送迎やシリュウ石の運送など外出もできるようになりました。
それに今日は珍しく新年会に列席しておりますよ。龍希様のご子息のお祝いだけはどうしてもしたいとリュウレイ山に籠って以来はじめて宴会の席に来たそうです。」
竜紗は話し終わるとシュンからお茶を受け取って一気飲みした。
~宴会場~
妻が大広間を出てすぐ息子が目を覚まして泣き始めた。
偶然か匂いで気づいて起きたのか・・・
龍希はすぐに立ち上がって妻を呼びに行こうとしたのだが、
「龍希、待て。」
族長が制止する。
「すぐに転変して飛び回ります。」
「分かっておる。飛び回らせればよい。お前たち、自分の妻を守りなさい。使用人たちはすぐに部屋から出ろ。竜紗、龍陽が落ち着くまで龍希の妻には休憩室に居てもらおう。」
竜紗はすぐに部屋を出て行った。
使用人たちが続いて部屋を出る。
「ちょ・・・父上。」
「何を怒っておる?今日は龍陽の転変祝いも兼ねるといっただろう。お!」
赤子の泣き声が止まった。
ピー
甲高い声をあげて紫の小竜が現れ、飛び上がって天井にぶつかった。
「龍陽!」
龍希が呼んでも息子は見向きもしない。
首を左右に振って天井近くをふらふらと飛び回っている。
妻を探しているのだろう。
「おお!」
一族のものたちは歓声をあげて天井の小竜を見る。
反対に獣人の妻たちは真っ青な顔になって身をすくませ、隣に座る夫にしがみついた。
「あら!龍希のウロコとそっくりの深紫。この子も力が強いわね。」
竜湖は嬉しそうに小竜を見上げている。
ピーピー
息子はさらに甲高い声で鳴くと先ほど妻が出て行った扉に向かって飛んで行った。
これだけ紫竜が居るのに妻の匂いが分かるのだろう。龍希よりも鼻がいい。
「龍緑!」
族長の命令と同時に、龍緑が扉の前に立ちふさがった。龍緑は龍海の息子で今年20歳になるが、成獣前なので妻はいない。
龍陽は勢い良く龍緑にぶつかり、跳ね返された。
「若様は大丈夫ですよね?」
龍緑が床に転がった龍陽を心配そうに見る。
「心配いらん。傷などつかんよ。龍陽が疲れて戻るまで遊んであげなさい。」
族長は熊妻の側に移動していた。
さすがの熊も笑顔を作る余裕はなく真っ青な顔をしている。
息子はふわりと宙に浮くと牙をむき出しにして龍緑に嚙みつこうとする。
が、龍緑は牙を避けて龍陽の首をつかむとぶんと空中に投げ飛ばした。
息子は今度は爪をつきたてようと龍緑に飛び掛かるが、龍緑はひょいと避けると息子の腹をつかんで投げ飛ばす。
「うまいじゃないか。龍緑」
龍海は感心している。
「いや、若様を傷つけないか怖いんですけど。龍希様!代わってくださいませ。」
龍緑は困った顔で龍希を見るが、
「・・・この間、龍陽の爪を折って妻に死ぬほど怒られた。」
「ちょっと!」
龍緑だけでなく周囲から悲鳴が上がる。
「手加減してくださいよ!大切な若様になんてことを」
龍海は本気で怒っている。
族長からも怒りの視線を感じる。
『余計なことを言ったなあ。』
龍希は舌打ちした。
てっきり妻の侍女が報告していると思っていた。
5分ほど経つと、息子は疲れたのだろう。
ふらふらと龍希のところに飛んでくると人族の姿に戻って泣き始めた。
龍希はおくるみを拾って裸の息子を包んだ。青い鳥と色とりどりの花の刺繡は昨年妻がしたものだ。
ぐったりして泣いている息子の口元に雷気を発生させた指を持っていくとパクパクと食べ始めた。
「元気な子だ。さすがは龍希の息子だな。」
自分の席に戻った族長はまた目に涙を浮かべている。
「若様は大丈夫でしょうか?」
龍緑が龍希に駆け寄ってきた。
「問題ない。もう泣き止んで雷気を食ってる。」
龍希は龍陽を抱いたまま、妻を呼びに大広間を出た。
「芙蓉。待たせたな。」
休憩室の鍵がかかっているので外から声をかけると、すぐに扉が開いて竜紗が出てきた。
「龍陽!」
妻が立ち上がって向かってきたので、龍希は部屋に入って、息子を妻に渡した。
「転変したと・・・今日は怪我をしていませんか?」
「大丈夫だ。」
「よかった。」
妻は愛おしそうに息子の頬をなでる。
また母親の顔だ。面白くない。
「奥様、大広間に戻りましょう。若様もご一緒に。」
ククが息子の新しい服を妻に渡しながら促した。
龍希は妻の肩を抱くと一緒に大広間に戻った。




