鶯亭の妻
「はーい。ニャアちゃん!ご機嫌いかが?」竜湖は鶯亭の応接室で白猫の獣人に笑顔で話しかける。
「お久しぶりです。竜湖様。お会いできて嬉しいです。」ニャアは無表情で答える。
『相変わらずねえ。この子は苦手だわ。』
竜湖はちらりと龍栄を見る。龍栄は妻の前なので営業スマイルを浮かべているが、常に無表情で無口な妻に手を焼いていると妻の侍女から聞いている。
竜湖ももう5年目の付き合いになるが、この白猫は感情も考えもまったく読み取れない。作り笑顔が完璧な龍希の妻やあの熊だって驚きや怒りなどの感情が垣間見えることはあるというのに・・・
「今日は新年会のお誘いに参りましたの。枇杷亭の新しい奥様と若様もいらっしゃいますよ。是非お会いになられては?」
「枇杷亭の奥様・・・は紫竜の妻なのですよね?」
ニャアが珍しく質問をしてきた。だが、竜湖は質問の意味が分からない。
「え、ええ。龍希の妻ですから。」
何を当たり前のことを訊いているのだ。だが、驚くべきことにあのニャアが困った顔をしている。
「奥様。よかったら私に教えてくださいませ。奥様のお困りごとを。」
「?・・・困ってはいないです。ただ、・・・紫竜の妻なら白鳥の奥様とどうして違うことをなさるのかと思って」
「は?」竜湖は声をあげて驚いてしまった。
龍栄は意味が分からず首をひねっている。
「白鳥とどう違うのです?」
「え、だって白鳥の奥様は卵を・・・」ニャアは竜湖の表情をみて途中で黙る。
『こいつは見ていたのね。そして・・・』竜湖は思わずニャアを睨んでしまった。
ニャアは元々、鶯亭に仕える侍女だった。まだ鶯亭に白鳥の妻が居たころ、ニャアは掃除係として白鳥と面識があったらしいが、白鳥が卵を割るところを目撃していたなんて初めて聞いた。
龍栄の前妻はとんでもない馬鹿だった。白鳥族は紫竜の主要取引先の一つで、族長の長男である龍栄の妻として家柄は全く問題なかった。
しかし、嫁いできた白鳥のココは政略結婚が不満で仕方なかったらしい、なんと2回続けて自分が産んだ卵を割ったのだ。結婚の際、紫竜本家から与えられた侍女が監視役と知りながら隠しもしなかった。龍栄との離婚が目的だったのは間違いない。
族長と竜湖は2回目の卵破壊の直後、龍栄の隙をついてココを実家に送り返した。この馬鹿娘のせいで紫竜と白鳥族は険悪になり、白鳥族が離婚を受け入れてリュウカを返却したのはココを追い出してから半年も経った後だった。
その後、熊の紹介でニャアの異母姉と龍栄の再婚が決まった。だが、嫁いできたのはニャアだった。ニャアは白鳥の別居後、人員削減のため暇を出され実家に戻っていたが、鶯亭に嫁いできたときに龍栄の執事が気づいた。驚いてニャアの実家に問い合わせるとあっさり花嫁のすり替えを認めた。
しかし公にすれば龍栄だけでなく紫竜の面子にも傷がつくのでそのままニャアを新妻とすることになった。その後、ニャアは2回流産したが、胎生の妻の場合、故意かどうか非常に判断しにくい。ニャアはココと違って、龍栄との離婚を強く望んでいる様子はなかったので静観していたが・・・今のニャアの発言で確定した。
『龍栄はなんと妻に恵まれていないことか・・・』
竜湖は龍栄に同情した。竜湖は龍栄のことを嫌いではない。ただもう一人の甥の方がどうにも可愛いのでつい比べてしまうのだ。
「まさか奥様は白鳥と同じことを?」竜湖は怒りを抑えて質問する。これ以上睨むと龍栄が黙っていない。
「はい。白猫族長から白鳥の奥様を見習って紫竜の妻らしく振舞うようにと命令されましたので。」ニャアはいつもの無表情で答える。
竜湖は困惑してしまった。堕胎の自白に間違いないはずだが・・・殺意どころか悪意すら感じない。
「白猫の族長は白鳥の卵の件をご存じだったの?」
「いいえ。白鳥の奥様から誰にも漏らすなと命じられましたので、私は報告しておりません。」ニャアは無表情のまま答える。
やはり敵意も悪意も感じない。
竜湖は両腕を組んで考えこんでしまった。
「竜湖様?」龍栄は困った顔で竜湖を見る。
龍栄が話を全く理解できていないのが幸いである。4人の子どもを生まれる前に妻に殺されたなど知らない方がいい。
「龍栄。奥様と二人でお話したいの。」
「それはご容赦ください。」龍栄は即答する。
そうだろう。紫竜の雄はそういう生き物だ。だが、龍栄はいつだって龍希を意識している。
「龍希は私を信頼して奥様と二人で話をさせてくれるわよ。女には女にしか話せない悩みもあるの。」
「え?」龍栄は驚いた顔になる。
「龍希殿が・・・本当に?」
「私が嘘をついたら分かるでしょ。」竜湖はじっと龍栄の目を見る。
龍栄は困った顔で妻を見た。
「竜湖様のご要望とあらば。」ニャアは無表情でそう答えた。
龍栄は黙って部屋を出て行った。
「さて、奥様。白鳥と同様に実家に戻ることをお望み?」竜湖は単刀直入に質問した。
「いいえ、実家には二度と戻らぬようにと族長に命じられております。白鳥の奥様は実家に戻ることをお望みだったのですか?」
「じゃあなんで白鳥が卵を壊したと思っているの?」
「私にはわかりません。私は馬鹿ですから自分で考えることはせず、ただただ周りと同じように動けと命じられています。」
竜湖は思わず舌打ちした。
ニャアは実家でろくな扱いをされていないとは思っていたがここまでとは。先代族長の末娘でありながら成獣前から鶯亭に奉公に出され、異母姉の身代りで嫁入りさせられ、龍栄に嫁いだ後は実家から一切の音沙汰がない。
「白鳥ではなく枇杷亭の新しい奥様を見習う気は?」
「それは紫竜一族からのご命令ですか?」
「ええ。」
「・・・昔、母から結婚したら実家よりも夫の一族の命令を優先するようにと教えられましたので、ご命令どおりに致します。ただ、私は枇杷亭の奥様にお会いしたことがないのですが、どうやって真似をすればよいのでしょうか?」
ニャアは困った顔になった。どうやら嘘はついていない。
「ご心配なく、紫竜本家からきた侍女が教えてくれますわ。それに新年会で枇杷亭の奥様にお会いになれますし。
その前に、奥様のご実家から来た侍女を全員解雇して、紫竜本家の侍女を1名増やしましょう。枇杷亭の奥様は実家から侍女を一人も連れてこず、紫竜本家の侍女2名を使っておいでです。」
「畏まりました。ただ、実家の侍女たちが私に従うかどうか・・・」
「ご心配なく。龍栄にやらせますから。」
竜湖はにっこりとほほ笑むと廊下で待っている龍栄を呼びに行った。
白猫族の侍女は皆殺しだ。
~紫竜本家 族長執務室~
「そんなわけで龍栄の妻の侍女を一人増やしてください。」
鶯亭から真っ直ぐ本家にやってきた竜湖は頭を抱えた族長に告げる。
「・・・大丈夫なのか?」族長の眉間には深いしわが刻まれている。
当然だろう。白猫に孫を2人も殺されたのだ。
「信じ難いことですが、龍栄の妻からは殺意も悪意も感じませんでした。見張りとして段の孫娘をつけて様子を見ましょう。また妻を変えるとなると龍栄が気の毒ですし。」
「そうだが・・・」
「もうすぐ白猫は発情期に入ります。最後にもう一度だけチャンスを与えましょう。」竜湖は譲らない。
「・・・分かった。儂よりもお前の方が妻たちに詳しいからな。」
「当然です。それが私の仕事ですから。」




