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紫竜の花嫁  作者: 秋桜
第1章 枇杷亭編
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守番

「奥様。窓をお開けしますね。」昨晩から降り続いた雨が止んだのを見計らって、シュンがリュウカの部屋の窓を開ける。

 外からの風を感じて芙蓉は深いため息をついた。

「外に出たい。もう3週間もお日様の下に出てない・・・」

7月に入り、若様は一切外出しなくなった。

「芙蓉の産卵まではもう外出しないからな。」

そう言われて二重の意味で笑ってしまった。

「どこのカラスとお間違えで?」

つい皮肉を言ってしまったが、若様は首を傾げるだけだった。


「私は卵を産みません!」


本気で驚いているから余計に腹立たしい。

 それにしてもどうしてこんなに閉じこもるのだろう?

若様は「外は危ないから」と言うが、自分の2倍以上あるゴリラの獣人を瞬殺したくせに何を言っているのだ?

 


「芙蓉。」若様が扉を開けて入ってきた。

「いい加減ノックを覚えてくださいませ。」芙蓉は機嫌が悪いのだ。

竜湖(りゅうこ)竜紗(りゅうさ)が来た。」若様は不機嫌な顔でそう言うと芙蓉の手を取って立たせる。


「はーい!芙蓉ちゃんお元気?」芙蓉が執務室に連れてこられて座る間もなく、竜湖が執務室に入ってきた。

3歩後ろに竜紗が申し訳なさそうな顔をしてついてきた。

「覚えてる?花見会の時にかんざしで芙蓉ちゃんを試した竜紗。」

「竜湖様!私は呼ばれただけです。」竜紗は慌てているが、芙蓉は別に気にしていない。

「お越しになるとは聞いていませんけど。」若様は不機嫌な顔を隠しもしない。

「いい桃が手に入ったから芙蓉ちゃんに持ってきたの。カカに渡したから、待ってて。竜夢(りゅうむ)が仕入れたものだから間違いないわよ。」

「桃ですか!ありがとうございます。」芙蓉は思わず笑顔になった。

「・・・竜紗は何の用だ?」若様は竜紗を睨む。

「龍希様、そんな怖い顔で見ないでくださいませ。族長から守番(もりばん)を拝命致しましたので、ご挨拶に参りました。」竜紗は恐る恐る答える。

芙蓉は首を傾げた。

『モリバンって何?』

「出産の時に部屋の中で、芙蓉ちゃんとその子を護衛する役割よ。ちなみに私は龍希の守番ね。」竜湖が教えてくれた。

『護衛じゃなくて監視でしょ。出産直後に妻が赤子を殺さないように。』芙蓉はそう思いながら笑顔を作り、竜紗に頭を下げる。

「よろしくお願いいたします。」


「こちらこそよろしくお願いします。この間、人族の出産を見学しましたので、奥様のお役にたってみせます。」

「は?」

竜紗はとんでもないことを言っている。

「お気になさらず、用意されたのは族長ですから。」竜紗は笑顔でそう言うが、

「いや、用意って何を?」芙蓉は意味が分からない。

「毒見役と同じく調達したの。」竜湖が代わりに答えてくれた。


 つまり・・・妊婦の奴隷を買って目の前で出産させたと?

『そこまでする?』芙蓉はぞっとした。

「あ、私は胎生の出産を見たことがなかったので特別に。通常は奥様の種族の医者を立ち会わせるのですが、若様がお許しにならなかったので。」芙蓉の表情を見て竜紗が慌てて補足する。


 そうだろう。人族の医者を呼ぼうものなら芙蓉も赤子も容赦なく殺される。


「本当は人族の病院で見学したかったのですが、時間がなく。」竜紗はまたとんでもないことを言う。

「時間があっても無理ですよ。戸籍がないと。」芙蓉は苦笑いする。

「コセキとは何ですか?」

「人族は子が産まれると、いつ、どこで誰の子として生まれたのかを紙に書いて、町の役所で保管するのです。この紙を戸籍と言います。人族の病院に勤めるにはこの戸籍のコピーが必要になります。」

「コセキはどこで買えます?」

「買えないです。絶対に。」

「残念です。」竜紗はしょんぼりしている。

「・・・芙蓉ちゃんのコセキはどこの町にあるの?」

「もうないですよ。」芙蓉は無表情で答える。

「なんで?」

「家族が、私は死んだと届け出て戸籍を消しているはずですから。」遊郭に娘を売った家族はそうする。人身売買の証拠を残さないために。

「なるほどね。」

たぶん竜湖は勘違いしているだろうが芙蓉は黙っていた。



「失礼します。」カカが器に盛った桃を運んできた。

「あら、いいタイミング!さ、芙蓉ちゃん。毒見済みだから大丈夫よ。」

「いただきます。・・・ん~甘くて美味しいです。」

「よかった。籠りきりで退屈でしょう?今日は私たちが話し相手になってあげる。」竜湖も桃を口に運ぶ。

「庭にすら出してもらえないんです。」芙蓉はすがるように竜湖を見たが、竜湖は困った顔になった。


「あ~ごめんね。でも、紫竜の妻の運命だと思ってあきらめて。まあ、長くても1年くらいの辛抱だから。」


「はあ?」芙蓉は思わず叫んでしまった。

「い、1年ってどういうことですか?」

「あんた、また言ってないの?」竜湖が若様を睨む。

芙蓉も思い切り睨んだが、若様は目を逸らして黙っている。

「竜の子が産まれると、その子を狙ってよくないものが寄ってくるのよ。それは龍希と男の守番たちが撃退するから芙蓉ちゃんは何も心配いらないわ。で、大体半年~1年で竜の子が転変するともう襲撃はなくなるから、外に出られるようになるの。」

「???」

芙蓉は色々とツッコみたいが竜湖は真剣だ。

「そのよくないものというのはそんなに危険なのですか?」

「妻子は安全よ。龍希の巣の中にいれば。でも庭はダメ。屋根がないから。」

「テンペンというのは?」

「竜の子は母の種族の姿で生まれてくるでしょ。それがある時、竜の姿に変化するのよ、それが転変。」

「転変したら、私は・・・どう子どもに関わればいいのでしょうか?」正直、どんな姿になるのか予想もつかないが、人の赤子の姿ではなくなるのだろう・・・

「大丈夫。転変しても、子どもはすぐにまた母の種族の姿に戻るから。」

「え!なんで?」

「私たち成獣もそうだけど、転変した姿ってすごく疲れるの。体力のない子はなおさらね。転変してもすぐに戻るわ。それから段々成長するにつれて、母の種族の姿から二足形になっていくの。」

「ニソクケイ?」また知らない言葉が出てきた。

「今の私たちみたいな姿のことよ。」

「・・・」芙蓉は疲れてしまった。理解が追い付かない。


「奥様、お疲れですか?」竜紗が心配そうに芙蓉の顔を覗き込む。

「今日はもう帰ってください。」若様が芙蓉の肩を抱いて引き寄せる。

「そうするわ。ごめんね。芙蓉ちゃんはゆっくり休んで。」竜湖は竜紗を連れて部屋を出て行った。

芙蓉は若様の肩に頭を預けて目を閉じた。


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