結納金
「お母さん、いっていきます!」
「いってらっしゃい。学校でしっかり勉強してくるのよ。」明日香は笑顔で愛娘を見送った。
ここは明日香の実家だ。明日香は今年の5月に娘のすずを連れて出戻ってきた。
明日香の元夫は昨年の春、大切な商品を侵入者に盗られる大失態を犯した。元夫が仕事中に酒を飲んで眠り込んでいたのが原因なので、保険金は下りず、金には代えられない商人仲間からの信頼を失った。元夫の実家の店は多額の損害を被り、元夫は専用エリア外で獣人相手に商売をする闇営業に手を出し、明日香とすずも無理やり同行させた。獣人に襲われそうになったら明日香かすずを囮にしようと考えていたのだろう。
しかし、年末までにろくに稼げず、元夫の実家は元夫を見限り、義妹に婿を取らせることにしたようだ。だが、多額の損害の補てんすらできていない元夫の実家に、婿への結納金を用意できるはずがない。なんとすずを売った金を結納金にあてようとしたのだ。
激怒した明日香はすずを連れて1月の深夜に元夫の実家を飛び出した。
愛娘を売ろうとするなんて許せない。それに結納金は商人が自分の甲斐性を嫁・婿に示すためのものだ。それを商売で得た金ではなく、家族を売った金で用意するのはルール違反どころか詐欺に他ならない。明日香は元夫を見限った。
手元のわずかな銭で始発のバスに乗って町を出たが明日香の実家がある水連町まではバスを乗り継いで20日以上かかる。
到底お金が足りない。
だから明日香はバスを降りた町で馬車に乗った20~30代の男の商人に自分を売り込んだ。どんな労働でもするから自分と娘を近くの町まで乗せてくれと。商人は明日香の顔と身体を値踏みするように見てから馬車に乗せてくれた。そうして10数人の商人の馬車を乗り継ぎ、約4ヶ月かけて明日香はすずと実家にたどり着いた。
明日香の父は、事情を聞いて激怒した。勝手に離婚し、娼婦のまねごとをして帰ってくるとは何事かと。明日香は10数発げんこつで殴られたが、父は明日香の顔は殴らなかったのですでに答えは出ていたのだろう。明日香とすずを実家に置き、6歳になっていたすずを小学校に入学させてくれた。
タイミングもよかった。兄嫁が第3子を妊娠中で実家は女手が足りていなかった。明日香は兄の子らの子守りと店番をしながら、再婚先を探している。
「こんにちは。明日香さん。」
「あら!いらっしゃい、若奥様。」
来店したのは芙蓉の義姉だ。隣町の中級商人の三女で昨年の10月に芙蓉の兄と結婚して薬屋を手伝っているらしい。
「素敵なかんざしですね。」
「ありがとう。夫がくれたものなの。でも・・・」義姉の表情が曇る。
「どうされたの?」
「・・・肉屋のおばさんに言われたの。去年義妹がつけていたかんざしじゃないかって?」
「まさか!義妹はお嫁に行ったのでしょう?かんざしを置いていくはずがないわ。」
「そうよね・・・。でも」
芙蓉の義姉は店内を見回し、ほかに客がいないことを確認すると明日香に小声で言った。
「ねえ、明日香さん。義妹はどこに嫁に行ったの?」
「え!どうして私に?」先月この町に数年ぶりに戻った明日香が知っているはずもない。
「夫も義母も教えてくれないの。西の遠方の商人としか言わない。おかしくない?名前はおろか何を扱う商人かすら教えてくれないのよ。」
「ごめんね。私も知らないの。でも・・・父と兄が不思議がってた。あなたの旦那さん、大口の仕入れ先と芙蓉の縁談を断って、怒らせたって。」
「やっぱりそうなのね!噂話で聞いたの。私には何も教えてくれない。もう嫁に来て半年以上たつのに。」芙蓉の義姉は悔しそうに唇を噛んだ。
明日香は昨年11月に芙蓉と会ったことは誰にも言っていない。すずにも口止めした。
「薬屋のおばさんと私の母は仲がいいから、今度それとなくきいてみてって頼んでおくわ。」
「ありがとう。ごめんなさい、長話しして。いつものとそのキャンディーを3つくださいな。」芙蓉の義姉はレジ横のかごを指差す。
「毎度ありがとうございます。」明日香は手早く商品を袋に詰め、代金を受け取った。
「これはすずちゃんと甥御さんたちに。」芙蓉の義姉はキャンディーを明日香に渡すと店を出て行った。
『いい人。育ちの良さが出てる。芙蓉の兄はどうやって結納金を・・・おじさんが死んだばかりで、しかも大口の仕入れ先を怒らせて、余裕があったはずが・・・じゃあやっぱり』
明日香は悩んでいる。
芙蓉の言ったことを鵜吞みにはできない。奉公に出されたと言っていたが、芙蓉の着物はかなり質が良く、どう見ても使用人の恰好ではなかった。向こうから声をかけてこなかったら気づかなかった自信がある。
なのに、どうしてあんな危険な場所に一人で?
関わらない方がいいことはたくさんある。特に明日香のような立場の弱い女には。
でも芙蓉は愛娘を助けてくれた。
芙蓉の義姉は出戻りの明日香に普通に接してくれ、すずにも優しい。
「ふう・・・」明日香は深いため息をついた。




