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紫竜の花嫁  作者: 秋桜
第1章 枇杷亭編
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熊の奥様

 花見会の翌週、竜湖(りゅうこ)からお礼の品が届いた。芙蓉がリクエストしたものだ。


「奥様。これがシシュウの材料ですか?」


ククとシュンが興味深そうに見ている。


「ええ、さすが竜湖様。おくるみに刺繍セットに刺繡の本、花の写真集・・・思っていたとおりのものをそろえてくださったわ。」


花見会で竜湖の刺繡をみて懐かしくなった。刺繡は昔、母が教えてくれた。母の故郷では生まれてくる子のためにおくるみに青い鳥と花の刺繡をするそうだ。

 お腹の子のためと聞くと若様は自分が用意すると言ったが、芙蓉は竜湖に頼んだ。若様のお使いには難しすぎる。


「この子が産まれるのは8月だから、8月の花で図案を作るの。クク、シュン、一緒に花を選んでくれる?」


芙蓉は花の写真集を開いた時、部屋の扉をノックする音が聞こえた。


「若様はやっとノックを覚えてくれたのかしら?」芙蓉は思わず笑った。


「まさか。誰でしょう?」


シュンが扉を開けると、


「奥様。今、よろしいでしょうか?新しい使用人をご紹介したく。」


タタだった。


「ええ、ちょうどよかった。タタさんたちにも聞こうと思ってたの。食堂に行きましょう。」


芙蓉は立ち上がって食堂にむかった。



~枇杷亭 食堂~


「侍女見習いのタートと申します。」


白いワンピースを着たカッコウの獣人が芙蓉に深々とお辞儀をする。タタよりもかなり若く見えるが、羽の色合いはタタによく似ている。


「・・・もしかしてタタさんの?」


「はい。娘でございます。未熟者ですが、一生懸命お仕えさせていただきます。」


タートはかなり緊張しているようなので、


「よろしくね。早速、お仕事を頼みたいの。カカさん、ナナとニニも呼んできてくれる。みんなでこの子のためにお花を選びましょう。」


芙蓉はそう言って、タートに優しく微笑んだ。


「は、はい。ただいま。」

タートは走って食堂を出て行った。

 


~紫竜本家~

 5月のある日、龍栄(りゅうえい)は本家に来ていた。


「母上。ご体調はいかがですか?」


母の私室に入ると、熊族の母は布団から上体を起こした。


「龍栄。わざわざ来てくれたの?ただの立ちくらみなのに・・・恥ずかしいわ。」


母は嬉しそうに龍栄を招き入れた。



「シリュウ石を本家の蔵に届けに来たところです。暑くなってまいりましたのでご無理なさらないで下さい。これ、お見舞いです。」


「あら、蜂蜜!うれしいわ。早速食べるから用意してちょうだい。龍栄にはウイスキーよ!」


母は壁際に控える侍女に命じると、すぐに龍栄に向き直った。



「最近、よくリュウレイ山に行っているそうね。」


「さすがお耳が早い。8月に備えてシリュウ石の在庫を増やしております。」


「あなたも守番(もりばん)をするの?」


「もちろんです。兄弟ですから。族長からもご出産されたらすぐに枇杷亭に駆けつけるように言われております。」


龍栄は険しい顔になった母を見て苦笑いした。



「枇杷亭の奥様は順調なの?」


「私にはわかりかねますが、龍希(りゅうき)殿もよくリュウレイ山に来られているようです。」


本当は妊娠中の妻のそばを離れがたいのだろうが、出産まで時間があり、妻の体調がよいからだろう・・・異母弟もまたシリュウ石の在庫を増やすためにリュウレイ山に通っているようだ。



母は凄まじい顔をしている。侍女を追い出して部屋には龍栄しかいないからだろう。


龍栄は黙ってウイスキーを飲み始めた。早く帰りたいが、酒を飲みきるまでは母の愚痴を聞かなければならない。



「どんな汚い手を使って人族を捕らえたの?あなたは知ってるんでしょう?」


「汚い手なんて。結納金を支払ってお迎えになったと聞いています。」


龍栄は営業スマイルで答える。

母にも教えられないことは多々ある。異母弟のやらかしはトップシークレットだ。



「そんな話を信じるのは馬鹿な妻だけよ。」


「花見会でご覧になったでしょう?ご夫婦仲が悪いように見えましたか?」


「完璧な作り笑顔だったわね。相当な訓練を積んだ商人の娘よ。素の感情が全く見えなかったわ。」


龍栄は苦笑いする。

母は本当に獣人だろうか?洞察力が高すぎる・・・だから龍希派から嫌われているのだ。



「あの孔雀そっくり。竜湖に取り入ったところも。」エイナは鼻で笑った。

あの大嫌いな孔雀を思い出す・・・


 エイナは23の時に3歳下の夫に嫁いだ。夫は力が強く次期族長候補として期待されていたが、2度の流産の末、結婚7年目にようやく生まれたのは娘の竜帆(りゅうほ)だった。


義父は妻を変えろとよく夫を怒鳴っていたが、夫は毅然としてエイナを守ってくれた。

絶対に別れない、これ以上の妻はいないと毎日のようにエイナを慰めた。


だから結婚10年目に龍栄が生まれた時エイナは嬉しかった。ようやく妻の仕事を果たせたと。

二度と妊娠できない身体になったが気にならなかった。この頃には夫を信じ切っていたからだ。


ところが義父だけでなく当時の族長まで孔雀との縁談を勧め始めた。一族全体で子が減り始めている、息子一人では後継者争いに決着がつかないと夫に頭を下げて懇願した。


そのとき夫は初めて迷った顔をした。


エイナはそれが許せなかった。一人で実家に戻り、慌てて迎えに来た夫に孔雀の縁談をきっぱり断るまで戻らないと伝えた。


なのに、まさか14年近く連れ添った夫がたった1年足らずの別居でエイナのことを忘れるなんて夢にも思わなかった。

 

孔雀と再婚し、その翌年に息子が生まれてしまった。夫が族長となって本家に移った後、竜帆が泣きながらエイナを迎えに来た。

 夫はまだ完全にはエイナを忘れていない、戻ってきてほしい、あの孔雀はダメだ、夫への忠誠心などみじんもない、作り笑顔だけが取柄の鳥頭だと娘は訴えた。



エイナは子どもたちのために夫の元に戻ったのだが、5歳になる息子は母を完全に忘れており、エイナを殺そうとした。

竜帆が慌てて止めたが、夫は不思議そうに見ているだけでエイナを守ろうとはしなかった。


エイナはようやく理解した。紫竜の雄がどんな生き物かを。


 1年近く後、夫はエイナの寝室にも通うようになったが、孔雀はエイナを目の敵にする義父一派に取り入り、紫竜一族での居場所を確保していた。義父亡きあとは娘の竜湖が一派を受け継ぎ、孔雀とその息子の後見をした。


孔雀は夫に一切の期待をしていなかったが、生涯、夫の巣の中から出ることはなかった。夫は孔雀が死ぬまで妻の機嫌を取り、信頼を得ようと苦心していた。



エイナは悔しかった。



なんで夫はあんな孔雀を気に掛けるのか?

孔雀の作り笑顔の下にある夫への憎悪に気づいていたはずなのに・・・孔雀は死ぬまで夫を苦しめ続けた。


エイナは今も孔雀が憎くて仕方ない。

そして悔しい。もう、夫も息子も孔雀のことでエイナを慰めてはくれない・・・孔雀のことを全く覚えていないからだ。



「ねえ龍栄。明日が誰の命日か覚えてる?」


「命日ですか?えっと、母上のご家族・・・のことですよね。」


下を向いて酒を飲んでいた息子は驚いた顔をしてエイナを見る。



「竜帆の13回目の命日よ。」



息子は困った顔をしている。

そうだろう。



龍栄は11年目に最愛の姉のことを完全に忘れた。



紫竜の雄はそういう生き物だ。

家族でも妻でも自分の巣から離れた生き物のことはしばらく会わなければ完全に忘れてしまう。

巣の中にいる妻には狂気的な執着をするくせに・・・

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