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紫竜の花嫁  作者: 秋桜
第1章 枇杷亭編
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身請け

それから約1時間後

「お時間です。」

部屋の外から聞こえる声は遊郭の店主だ。

「また延長するよ。」

そういって若様は延長料金を小窓から店主に渡す。


『もうさすがに無理・・・』


浮舟は呆れてしまった。


「9時閉店ですので最後の延長になります」

店主はそう告げて下がっていった。

声こそ挙げなかったが心底驚いているに違いない。



「疲れたろう。休んでくれ。」


若様はそう言って布団の横に座り、かばんからキセルを出してふかし始めたが、浮舟は困った。


疲れて眠いけど2度も延長してくれた客を放置して寝るわけにはいかない。

せめて話相手にならなければ・・・


「遅くなっては奥様に怒られませんか?」


若様ははじめて不機嫌そうな顔になった。

「妻はいない。夏に別れた。」


話題を間違えた。妻との初夜を前に卒業しにきたのだと思っていたのに。


「まあ、どうして?」


「側室腹の次男坊は嫌だとさ。」


若様は自虐ぎみに笑う。

「そんなくだらないことで!?」

浮舟は驚いて声をあげる。


商人の離婚は珍しくないが、多くの理由は子ができないことや商売の都合だ。

というか元妻は夫の生まれも知らずに結婚したのだろうか。


「くだらない?君も結婚するなら長男がいいだろう。」


何の嫌味だ?

遊女にされた時点で結婚など無理だ。人気の妓女なら身請けもあろうが、最下層遊女の浮舟はこの店で早死にする未来しかない。


「・・・私は若様がいいですわ。お若くして甲斐性がある若様はとても魅力的な殿方です。長男かどうかなど商人としての才能や努力とは何の関係もございませんもの。」


客をおだてるのも遊女の仕事だ。


「浮舟は俺のところに来てくれるのか?」


若様は驚いて、浮舟の顔をじっと見る。


「はい。あ、でも・・・私は借金を返し終わるまでこの店から出られないのです。」


「いくらだ?」

「さあ、兄が作ったものですので。」

「は?なんで兄は自分で返さない?」

若様は本気で疑問に思っているようだ。

浮舟は呆れた。


世間知らずのお坊ちゃまにもほどがある。


「ここはそういう場所です。借金のかたに娘や姉妹を売るのです。私の兄は商才のないぼんくらで、父が死んで店が傾くとすぐに私を売り飛ばしました。」

「なんでそんな男が跡取りになったんだ?」

「長男ですから。」

浮舟は吐き捨てるように言った。


もう自分の話はしたくない。涙が出そうだ。

若様はみじめな遊女の身の上話を好むタイプではないだろう。

話題を若様に戻そう。客をおだてるのが仕事だ。



「この店では身請けはどうすればできるんだ?」


「はい?」

予想外の言葉に浮舟の声は裏返った。


このお坊ちゃまは身請けという言葉は知っているらしい。身請けをちらつかせて遊女を口説くのは珍しくないが今更してどうするのだ?


しかし、それを指摘して客を不愉快にさせるわけにはいかないので、仕方なく浮舟は答えた。


「店主がまた呼びに参りますので、ぜひお話をしてくださいませ。」

「店主?さっきの年寄りか?」

「はい。延長頂いたお客様は店主がお見送りをするのです。」


「そうか。浮舟は商人の娘なのか?」


話を戻された。浮舟は心の中で舌打ちする。

「父は小さな町のあばら家で薬屋を営む下級商人でした。」


「・・・薬屋ならシリュウコウを知っているか?」


「いいえ、初めて聞きました。どんなお薬なのですか?」

「いや、知らないならいい。」

若様は顔をそらす。


これ以上追及してはだめらしい。


「若様はどんな物を扱っていらっしゃるのですか?」

若様が口を開いた時だった。



「旦那様、お時間です。」

店主の声がした。

「ああ。」

若様は身支度を整え、かばんを持って扉を開ける。

「お楽しみいただけましたか?」

初老の店主はにこやかに問う。


「町で一番安い店の割にはな。」


若様はさっきと打って変わって素っ気ない。

「誰がそんなことを。高級店ではありませんが、遊女は厳選しております。」


『噓つけ。この町で最安値の遊郭なのでしょう』


浮舟は着物を着ながら心の中でつぶやいた。


「身請金も一番安いのか?」

「大切な遊女たちですので。たたき売りなど致しませんよ。最低でも50は頂きます。」


50万円?その10分の1以下で買ったくせに・・・この店の遊女に50も出すバカはいない。

もういいから早く帰ってほしい、疲れて眠い。

浮舟はあくびをこらえながら願った。



「最低50ねえ。」

若様は薄ら笑いを浮かべている。

「ですが、二度も延長頂いた旦那様にだけ。5日以内に30一括ご用意いただければ残金は勉強させていただきますよ。」

店主は手をもみながら告げる。


30万円なんて上級商人でも3ヶ月でやっと稼げる額だ。用意できるわけもない。

店主も客を追い出してとっとと店仕舞いしたいのだろう。



「30一括で売るんだな」

若い客が確認する。


『空気読んで、さっさと帰れよ』


店主は心の中で思いながらも、営業スマイルは崩さない。

金払いはいい客だ。

旅の商人の口コミは大事にせねばならない。


「5日以内ならですよ。」

店主は念押しする。

「よし。取引成立だな。」

若い客はそう言って、財布から「参」と書かれた銀の板を差し出した。


「は?え?ええ!?」


店主は驚愕した。

銀の板はこの町の銀行が発行しているものだ。参の板は銀行で30万円と交換できる。


『まさか本当に身請けする気か?』


店主は信じられない。

受け取って銀の板を確認するが、本物で間違いない。


「浮舟、支度をしてこい。昼にはこの町を出る予定なんだ。」


若い客は笑顔で遊女を見るが、浮舟はぽかんとしている。


「お、お待ちください!」


店主が声を張り上げる。

「当店にはもっとよい遊女が居ります。せっかく身請けいただくのですから、ほかの遊女もご覧になってください。すぐに連れてきますので」


若い客は不愉快そうに店主をにらむ。


「お前は金を受け取ったんだ。浮舟はもう俺のものだ。」


『浮舟などどうでもいい。こんな金儲けの機会はまたとない。もっと高い妓女を売りつけてやる。』


店主は客の前に立ちふさがると、振り返って店の男に命令した。

「おい、胡蝶と白蘭をつれてこい」

店の二大看板だ。もう寝ている時間だが、たたき起こして連れてくればよい。

頭でそろばんをはじきながら、店主は客に向き直った。


眉間にしわを寄せた客の顔が目の前にあった。

次の瞬間、店主は首をつかまれ、足が床から浮いた。

浮舟が悲鳴をあげ、店の男が慌てて駆け寄る。


「とっとと浮舟に支度させろ。」


店主の首を右手でつかんだまま、若い客は怒気を含んだ声で命じる。


店主は息ができない。

顔がみるみるうちに青くなっていく。


「畏まりました。すぐに支度させますので、どうか父をご容赦ください。」

店の男、店主の息子が慌てて客に土下座する。

若い男は手を離した。

店主は尻から床に落ち、ゼーゼーと空気を吸い込む。店主の首には真っ赤な手の跡ができていた。

 


店の男は立ち上がると、震えて立ちすくんでいる浮舟の肩をつかんで奥の控室に無理矢理連れていった。

控室では男の妻と母がてん末を見ていたようで、浮舟の着替えと荷物を用意し始める。


「い、いや。」


浮舟は涙を浮かべて首を横に振るが、思いやる者は一人もいない。


30分もしないうちに着替えさせられ、化粧を直され、わずかな荷物を風呂敷に包まれて、浮舟は買い手に引き渡された。


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