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紫竜の花嫁  作者: 秋桜
第1章 枇杷亭編
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雪光花

 翌朝、芙蓉はあくびを噛み殺しながら、若様に手を引かれて雪の積もった林の中を歩いていた。

『眠い・・・昔、町のおばちゃんたちが言ってたとおりだった。なんで男は場所が変わっただけであんなに元気になるのかしら?』芙蓉は不思議で仕方ない。


 ふと、甘い匂いが漂ってきた。匂いはどんどん強くなる。

「いい香り」

芙蓉はうっとりとなって匂いのもとを探す。

林を抜けて開けた場所に出た。

「わあ!」芙蓉は歓声を上げた。

雪の上に薄黄色のかわいらしい花が咲いている。匂いはこの花たちからだ。

初めて見る。おそらくこれが目当ての雪光花なのだろう。

芙蓉の眠気は吹き飛んだ。



「くさい・・・」龍希は芙蓉からは見えないように顔をしかめた。

 獣人の何倍も鼻が利く自分にこの花の匂いは強すぎる。

かつて母も芙蓉のように喜んでいたが、父も匂いにやられて真っ青な顔をしていた。

なのに母が死ぬまで父は毎冬この場所に家族旅行に来た。母を喜ばせるためだけに。

母が死んでからは二度とここに来る気はなかった

が・・・

『俺もまた来年もここに来るんだろうなあ。』

大喜びしている芙蓉を見ながら龍希はため息をついた。


 次の瞬間、龍希の身体がピクリと震えた。

複数の獣人が近づいてくる足音が聞こえる。

花の強烈な匂いのせいで獣人の匂いが分からない。

龍希は舌打ちした。

向こうもこちらの匂いに気づいていないのだろう。

そうでなければ獣人が龍希に近づいてくるはずがない。


「芙蓉。そこを動くな。」


龍希は獣人が来る方を睨みながら、背後の芙蓉に低い声で命じる。

「え?」しゃがみこんで花の匂いを嗅いでいた芙蓉が驚いて立ち上がった。

「あ・・・」芙蓉は恐怖で身をすくめた。

 体長4メートルを超えるゴリラの獣人がドスドスと近づいてきた。身体の横幅は龍希の2倍以上ある。

その数歩後ろには雌ゴリラの獣人4匹が続く。雄ゴリラの妻たちのようだ。

「なんで人族がこんなところに居るんだ?」雄ゴリラが不愉快そうな顔で龍希たちを睨む。

「もしかして番い?」

「まさかまだ雛でしょ」

「知らないの?人族って私たちの子どもより小さいのよ。」妻たちがクスクスと笑う。

「ねえ、ゴウラン様。私、あの雌がほしいわ。息子のおもちゃにちょうどよさそう。」妻の一人が意地の悪い笑みを浮かべて芙蓉を指差した。

「仕方ないな。どうせすぐ壊すのに。」ゴリラの獣人はにやりと笑うと芙蓉に近づいていく。


龍希は無言でゴリラの獣人に立ちふさがった。


「あん?」ゴリラの獣人が丸太よりも太い腕を伸ばして龍希の頭をつかもうとした瞬間、ゴリラの左腕が切り裂かれ身体から離れて宙を舞う。

深紫に輝く鱗を見てゴリラは目を見開いた。

「あ・・・」それが最後の言葉だった。

ゴリラの獣人は胸を長い爪で深くえぐられ、首を落とされて絶命した。



 巨大なゴリラが若様の頭に腕を伸ばしたところで芙蓉は思わず目を瞑り顔をそむけた。

どさっと何かが倒れる音がして血の匂いが漂ってくる。

芙蓉は恐怖で動けない。

足音が近づいて・・・いや遠ざかっていく。

「・・・?」

 芙蓉はそっと目を開けて顔をあげる。ゴリラの首と胴体が地面に転がっていた。

「え?」

何がおこったの?

てっきり若様が・・・あれ?若様はどこ?


 若様が雌ゴリラの獣人たちに向かって歩いていた。

着物の袖から出ている右手は人間のものではない。手は深紫に輝く鱗に覆われ、長く鋭い爪が伸びていた。

 雌ゴリラたちは皆、涙を流して震えているが、若様は容赦なく右腕で獣人たちを屠っていく。

芙蓉は最後の獣人が血飛沫をあげて倒れると同時に気絶してしまった。



「ん・・・」芙蓉が目を開くと木の天井が見えた。

「芙蓉様!」カッコウの声だ。

「タタさん?」芙蓉は上体を起こす。

ここは・・・宿の離れの部屋だ。

「ああ、よかった。」タタはほっとした表情で水の入ったコップを芙蓉に差し出したので、

芙蓉はありがたく飲んだ。

「若様は?」

部屋にはタタしかいない。

「お風呂です。ゴリラの血と死臭を落としてくると。」

「あ・・・」芙蓉は先ほどの出来事を思い出して真っ青になった。


 若様は一体何の獣人なの?


芙蓉がタタに尋ねようとした時、部屋の扉が開いた。

「芙蓉!」

着替えをすませた若様が入ってくると両膝をついて芙蓉を抱きしめた。

右手は人間そっくりの手に戻っている。

「怖い思いをさせてすまなかったな。」


なぜ若様が謝るのだろう?


 タタは静かに扉を閉めて部屋を出て行った。

「若様、お怪我はございませんか?」芙蓉は一番気になったことを訊いた。

「は?ああ、もちろん。」若様はキョトンとして答える。

「怖かった・・・」芙蓉の両目から涙があふれた。

芙蓉は若様の胸に顔をうずめて泣いた。



 芙蓉は泣き疲れて眠ってしまったようだ。次に目を覚ました時には日が暮れていた。

若様は芙蓉を心配してもう一泊することにしたそうだ。

芙蓉はお風呂に入って身体を温め、食事をとってようやく落ち着いた。

「もう大丈夫です。ありがとうございました。」芙蓉はお風呂まで付き添ってかいがいしく世話をしてくれたタタにお礼を言う。

「顔色が戻られましたね。無礼なゴリラのことなどお忘れください。さあ、若様のところに参りましょう。」タタは優しく微笑むと、芙蓉を隣の部屋に案内した。

  

 若様は窓辺のソファーに座ってキセルをふかしていた。

芙蓉を見ると向かいの席を指差す。

芙蓉が座ると、タタは若様に白い陶器でできた箱を渡した。

「芙蓉、プレゼントだ。」若様はそう言ってその箱を芙蓉に手渡した。

芙蓉はきょとんとしてその箱を見る。宝石入れのようだ。蓋には昼間見た雪光花の絵が描かれている。

芙蓉は少し迷って蓋を開けた。

 宝石入れの中には、バレッタと指輪が1つずつ入っていた。どちらも真珠と黄色の鉱石でできた雪光花そっくりの花飾りがついている。

「サイズを調整致しますね。」タタがそう言って近づいてきた。

「お手を失礼します。」そう言ってタタは芙蓉の左手を取ると薬指に指輪をはめる。

「・・・」


このカッコウは分かってやっているのだろうか?


いや、獣人が人の風習を知っているはずがない。偶然だろう。芙蓉はそう思うことにした。

「つけ心地はいかがですか?」タタが芙蓉を見る。

「あ、ちょうどいいです。」小さな指輪は芙蓉の薬指にぴったりはまっていた。

タタはにこりと芙蓉に笑いかけると一礼して部屋を出て行った。


「ありがとうございます。」芙蓉は若様に頭を下げる。

「ああ。」そう言って若様は手招きするので、芙蓉は立ちあがって若様の横に座った。

 後頭部に手を回され、キスされそうになったところで若様が動きを止めた。気まずそうに目を背けて手を離す。

「どうされました?」芙蓉は驚いた。

「あ、いや・・・今夜はシリュウ香がないんだ。すまん。」若様はなぜか謝る。

「ないとお困りになるのですか?」

「ないと芙蓉が嫌だろ?」

「え?私は別に。」

あの匂いは好きだが、なくても芙蓉は別に困らない。

若様はぽかんとして芙蓉を見る。


『え?そんなに驚くこと?』


芙蓉は訳が分からない。

若様はなにやら悩んでいるようだが、芙蓉は困った。

 命の恩だけでも重いのにプレゼントまでもらってしまった。今まで以上に愛想よくふるまって夜はしっかりサービスしなければと芙蓉は決意したばかりだった。

自分は妾だ。

施しを受ける立場ではない。


「今夜は可愛がってくださらないのですか?」芙蓉は両手を若様の首に回して、耳元でささやいた。

すぐに芙蓉の背中に両手が回され、ソファーに押し倒されて唇が重ねられる。

『なんだったのだろう?今の茶番は?』

芙蓉はすぐに考えるのをやめた。獣人の考えなど分かるはずもない。



 芙蓉は知らなかった。シリュウ香は元々、夜伽を嫌がるシリュウの妻を無理矢理その気にさせるために開発されたものであることを・・・


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