エピローグ
普段は静かな居住区だが、今日ばかりはパタパタと人の行きかう音が聞こえる。それをベッドの中から聞いていた。起き上がるのも辛いほどの体のだるさに、今日隣に立てないことが残念で仕方ない。
今日はルイ様の戴冠式の日だった。陛下は早々にルイ様に王位を譲渡することを決めてしまった。そして王妃様と共に気楽な隠居生活を送ると言っていたけれど、王妃様には猛反対されていたからどうなることやら。
その発言が私のためでもあることを知っている。もちろん、ルイ様が王として即位しても大丈夫なほどの実績を積み、パルシルク殿下との仲も良好、次世代へ任せても国が安泰だという確信があってのことだろうけれど。
それでも私が視た画を、マゼリアが見られなかった即位式を私が生きているうちにと思い奔走してくださったのは事実。その心遣い自体がとても嬉しかった。
とはいえ、そんな記念すべき今日、私はベッドにいるのだけれど。
「フリージア様、お加減はどうですか?」
「アンナ、いいとは言えないわね。
それでも少しは即位式を覗けるかしら……?」
「無理はなさらないでください。
ですが……、もしそうであれば準備いたします」
「そう、お願いね」
何とかベッドから起き上がって、戻ってきたアンナに着替えを手伝ってもらう。はぁ、やっぱり体が重い。もちろん後悔はないけれど。
「そうだ、マリアンナ殿下がこちらにいらっしゃるようですよ。
一緒に見たいと仰っていました」
「マリー殿下が?
久しぶりにお会いするから、とても楽しみだわ」
マリー殿下はつい昨年、国の有力貴族に嫁いでいった。私は無理を言ってその花嫁衣装に刺繍を施した。お世話になっている大切なマリー殿下の結婚式だ。気合を入れないわけがない。当日の殿下の美しさに、手抜きをすることなく刺繍を施してよかったと心から思ったものだ。
着替えが終わったころ、部屋にノックの音が響いた。どうやらマリー殿下がいらしたようだ。
「久しぶりね、フリージア。
体調はどう?」
いいとは言えずに私はただあいまいにほほ笑んだ。それにマリー殿下が顔を曇らせる。いいと言えたらいいのだけれど、きっとすぐにばれてしまうもの。
「少し覗いたらもう戻ろうかと」
「ええ、それがいいわね。
その前にルーアリア様にお会いできることが楽しみだわ」
行きましょう、と誘ってくれたマリー殿下と一緒にルーアリアの部屋に向かう。部屋では乳母がルーアリアのことを抱き上げて待っていた。
「お待ちしておりました、フリージア妃殿下、マリアンナ殿下。
本日はまことにおめでとうございます、フリージア妃殿下」
「ありがとう、ルーアリアはご機嫌ね」
「お母様に会えて嬉しいのですよ」
腕に抱き上げたルーアリアは重く、温かく、その存在を主張している。きゃっきゃっと笑い声をあげてこちらに手を伸ばす様子は本当にかわいらしい。
「まあ、この方がルーアリア様。
可愛らしいわ」
横から覗き込んだマリー殿下がルーアリアの頭をなでる。ルーアリアはなでられて嬉しいのか、マリー殿下の方に笑みを向けていた。
「ねえ、私が抱いても大丈夫かしら?」
「ええ、お願いします」
乳母に抱き方を教えてもらって、マリー殿下の手にルーアリアが移る。少し不機嫌になってしまったけれど、そんな様子すらもかわいい。本当に何をしていてもかわいいわ。産後の肥立ちが思わしくなく、ベッドにいる日にちも増えてしまったけれど、こんなかわいいわが子に会えたのだから後悔はない。その分ルイ様に心配をかけてしまって申し訳ないけれど……。
「マリー殿下、そのまま抱いてあげてください。
会場に行きましょう」
マリー殿下を少し急かして、私たちはバルコニーへと向かった。
―――――――――
バルコニーに近づくとすでに歓声が聞こえてくる。それだけルイ様の即位は民に喜ばれているのだと思うと嬉しくなる。そして、外からは見えない位置に用意された椅子に座ると、ルイ様もパルシルク殿下もこちらに気がついたようで振り返った。
「フリージア!
体調は大丈夫かい?」
「もう、皆それを聞くんだから。
ええ、少しの間なら大丈夫だわ。
それよりも、ルーアリアを」
本当は戴冠式の衣装に身を包んだルイ様に見惚れていたけれど、それに気がつかれないようにルーアリアの話題を振る。それを受けてマリー殿下がルーアリアをルイ様に手渡した。
「ああ、ありがとう。
ははは、マリーに抱いてもらってご機嫌だな」
そう言って、ルイ様はルーアリアを抱いたまま、またバルコニーの先へと戻っていった。数年前、私たちが顔出しをした場で今ルイ様はルーアリアと共に国民に顔を見せている。そしてその傍ではパルシルク殿下が見守っている。
私が視た画がそこにあった。ルーアリアというこれ以上ないほどの幸せの象徴と共に。
ルーアリアがルイ様に抱かれてバルコニーに出ると、先ほど以上の歓声が上がる。ルーアリアもこんなにも皆に愛されているのだ。
しっかりとその姿を目に収めた後に私は席を立った。迷惑をかける前に部屋に戻ろうと思ったのだ。ルーアリアのことがあるからマリー殿下には残ってもらったけれど。
「ねえ、フェルベルト」
少しだけ感傷に浸って、いつもそばにいてくれている人の名を呼ぶ。その人はすぐに私の隣に来てくれた。
「なんでしょうか」
「私、幸せよ。
広い世界を見られて、心を通わせた方と共に入れて、わが子をこの腕に抱けて。
とっても幸せなの」
「はい、なによりです」
急に視界が揺れる。ギフトが見せた画にゆっくりと目を閉じる。きっとこの先も幸せなことが起きる。だからもう大丈夫。
私の名が呼ばれているのを聞きながら、私は意識を手放した。