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知らない、こんなこと。こんな風に思っていたなんて、知らない。だって、サラシェルト様は私との婚約が決まった後はずっと気まずそうだった。だから嫌なのだろうと思っていた。
ほかの女性にステラの花を渡していた画を視て、私がどれだけ傷ついたか。それなのに、まさか私を王太子妃から解放するためだったなんて、誰が想像できるというの。そんな、あまりにも突飛ない考えなんて……。
「この日記帳はね、サラシェルト殿が亡くなった後に見つかった。
見つかった、とは少し違うか。
いつか『神の目』を持つものが現れたら渡してほしいと言われていた。
この日記帳から、王室はいくつかの戒めを得てね。
『神の目』を持つあなたが現れるまでの保管もかねて、代々の国王が引き継いでいた。
でも、これは望むのならば君のものだ」
日記帳を持つ手が震える。どうして、涙があふれていくのだろう。今私の中に占めている感情はフリージアのものとは違う。きっと、それは私の中に眠るマゼリアの感情。嬉しいと、そう叫んでいる。言ってほしかったと、そう叫んでいる。言葉になりきらない感情が涙となってあふれていく。
「長い時を経てしまったが……。
バニエルタ王国として改めて謝罪させてほしい。
『神の目』のギフトのために、それを持つものを酷使させてきた歴史を。
ギフトによって命を縮めていると、その自覚すらなかったのだ。
知らないことが免罪符になるわけではない。
だが……、すまなかった」
「そんな!
一国の主が頭を下げるなど!」
「だが、これを謝ることができるのは私だけだ。
一国の、バニエルタ王国の主である私だけなのだ。
本当にすまなかった」
「あの、本当に頭を上げてください……。
確かに苦しい時も多くありました。
それこそ、もう二度と王城に行きたくないと思うほどには」
私の言葉に陛下が顔を曇らせる。そんな陛下がまた口を開く直前、無礼なことだと知っていたけれど、あえてそこに言葉をかぶせた。
「けれど、幸せなことも確かにあったのですよ?
ちゃんと……、幸せだったことも。
だから、謝る必要なんてないんです」
「フリージア嬢……」
今でも覚えている。手に抱いた赤子の温かさを、大切な人の笑顔を、それで心にあふれたあの感情を。きっと、相手とどういう関係性をつくるかは私の行動次第でもあるのだ。私はそれが分かっていたのに。それなのにできなかった。相手にばかり言葉を求めてしまっていた。相手からの想いを同じように返すことしか知らなかった。
「そうか、ならこれ以上言うのはよそう。
きっと私も言葉ではなく行動で示さなければならないのだろうから」
「陛下……」
本当に陛下は良い方だ。知っていたけれど、今それをあたらめて感じている。もう冷めてしまったけれど、十分おいしい紅茶に口をつける。もうすっかり遅くなってしまっているだろう。そろそろお暇するべきかな、そう思っていると陛下がこちらをじっと見つめている。え、なんでしょう。まだ何かある……?
「私から言うものでもないかもしれないが……。
どうかユースルイベとゆっくり話してみてくれないか?
同じ過ちを、もう繰り返したくないんだ。
父親として頼む」
「え、え?
あの……」
「こんなことを言って困らせてしまっていたら、すまない。
だが、どうしてもこのままではいけないと思ってな」
陛下が気まずそうに視線を逸らす。そんな陛下に何も言い返せなかった。私だってわかっている。というか、この日記帳を通して改めて実感してしまった。だけれどきっかけがないのよ。今更どう誘えばいいのかわからなくなってしまっている。
「なに、フリージア嬢から何かをする必要はない。
我が息子はそこまで甲斐性なしではないと、私も信じたいのでな。
だが、ユースルイベが向き合う覚悟ができたとき、どうか逃げないでやってくれないか?
拒んでもいい。
だが、まずは話を聞いて向き合ってくれ。
それだけでいいから」
「……、はい、そうします」
本当にユースルイベ殿下から向き合ってくれるのなら。きっと逃げずに向き合おう。私だってまたサラシェルト様のようなことは繰り返したくないから。
「うん、ありがとう」
少しためらうように、陛下の手が私に伸びる。そしてそのまま優しく頭をなでられた。一体いつぶりだろう、こんなことをしてもらったのは。その手の温かさに勇気をもらって、私は自分の部屋へと帰っていった。