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外が暗く沈んだころ。よし、と気合を入れなおして自分の恰好を見てみる。今まで着ていたようなものとは違う、町娘が着るような服装はなんだか新鮮。今まではずっと貴族として生きてきたから。
あの日、この家を出ると決心してからもうすぐ2年。あれからいろいろと準備に奔走していた。両親にばれないようにお金を動かすことが一番大変だったけれど、協力者となってくれたアンナのおかげで何とかなった。
「本当に行かれるのですか……?」
「うん。
ナフェルのこと、よろしくね」
ギフトが明かされる10歳の直前。いなくなるなら今しかなかった。ナフェルが心配でぎりぎりまで残っていたけれど、もう限界だった。
あれから何回かギフトによって過去や現在、未来の画を視ることがあったけれど、まだ耐えられる痛みしか襲ってこなかった。中身も無視しても大丈夫なもの。何もなかったかのように過ごすことができた。
アンナにも話せなったギフトのこと、きっとこれからも誰かに話すことはないだろう。
「お嬢様、こちらを」
「ありがとう」
アンナから指輪型の小さな魔道具を受け取り、それを指にはめた。市井では目立ってしまうこの髪と目の色を変えてくれる魔道具だ。はめたことを確認すると、アンナが指輪に触れ、目をつむる。すると、指輪はその姿を消した。それが、アンナがもつ隠匿のギフトの力だった。指輪があるはずの部分に触れても何も感じない。大成功だ。
「……あまりお力になれず、申し訳ございません」
「そんなことないわ。
アンナがいてくれて助かったもの。
この服も、魔道具も、行先も。
きっとアンナがいてくれなかったら何も手に入らなかったわ」
「どうか、お元気で。
幸せになってくださいね?」
「ええ、アンナも」
ぎゅ、と最後に抱きしめる。温かいアンナ。アンナにこの家を出たいと打ち明けたのはギフトが発現してから数か月後のことだった。もうこの家にいるのは限界だと、あの両親といるのは限界だと打ち明けたのだ。
まだ幼い私が一人で生きていけるわけがないと、初めは反対していた。それでもたくさん、たくさん会話を重ねていって、次第に理解してくれるようになった。今ではこうして唯一の味方でいてくれる。
「もう、行くわね。
馬車に乗り遅れてはいけないもの」
「はい……」
きっともう会うことはないだろうとおもいつつ、また、と言われてアンナと別れる。こっそり準備したはしごで下まで降りる。そして魔道具を起動する。髪を確認すると、この国で一番よくある茶髪に変わっていた。きっと瞳も緑に変わっているだろう。
少しだけ、名残惜しくなってナフェルの部屋のほうを見る。この2年ほどでナフェルはあまり寝込まなくなった。きっとこれからもっと元気になって、もっと自由に行動できるようになる。どうか、あなたが幸せでありますように。
想いを振り切って私は裏口からこっそりと屋敷を出ていった。手にはアンナが用意してくれた紹介状を握り締めていた。朝、アンナが私がいないことを屋敷中に伝えるまでにアンセルゼ領までいかないと。
小走りでアンナに教えてもらった乗合馬車の乗り場を見つけた。幼い子が一人、目立つかと思ったけれど、アンナが言っていたように周りは気にしていない様子だった。平民はこの歳でも一人で行動することがあるって本当なのね……。
「あの、アンセルゼ領都まで行きたいのですが……」
「ああ、じゃあこの馬車だ。
金はあるか?
銀貨2枚だ」
「あります」
これもアンナに用意してもらった布袋から銀貨2枚を取り出す。子爵令嬢として金銭の直接的なやり取りは教えてもらわなかったけれど、私は知っている。でも、実際にやり取りをするのはほとんど初めてで、少しだけ緊張しながら銀貨を手渡した。
「はい、ちょうど。
どこか適当なところに座ってくれ。
もう出発する」
「わかりました」
馬車に乗り込むと、一度お客さんの目が私に集まる。でも、すぐに興味なさそうにそらされた。その中には私と同い年くらいの子もいる。少しほっとした。間もなく、馬車はゆっくりと動き出した。そこから終点のアンセルゼ領まで、私は荷物を抱きかかえたまま眠りについた。