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「急にこんなことになったのですもの、警戒して疑ってもおかしくありませんよ」
向かい合わせに座った殿下はそう言ってほほ笑む。ひどい態度をとってしまったのに、それをかけらも気にしていないようにふるまってくれる。それどころか慰められてしまうとは……。
「お心遣い、ありがとうございます」
「そんな。
こんな風にまた話すことができてとても嬉しいです」
嬉しそうな殿下もだけれど、周りがほほえましく見守っているのがまたいたたまれない。この人たちは一体どこまで事情を知っているのか。気まずくて殿下の部屋に視線を向けると、見覚えのあるものが目に入った。
「あれ……」
「ああ」
それは私が多くの時間をかけて完成させたポーチだった。どうしてここに、と疑問に思っているうちに、マリアンナ殿下はそれを机まで持ってきてくれた。
「本当にすごいわ、この刺繍。
実はね……、この刺繍、ひとつの試験だったのよ」
「試験ですか?」
「そう。
私の花嫁衣裳を手掛ける針子を選ぶための試験。
この刺繍は私が生まれたときにデザインされた文様でね。
これをドレスだったり、ベールだったり、いろんなところに刺繍してもらうの。
ただ、難易度が高いから誰に頼んでもいいっていうわけではなくて」
「花嫁衣裳、ですか?」
え、もしかしてその役目を私に任せようとしていた?
「あーあ、また選びなおしになっちゃった」
「え、あ、すみません?」
思わず謝ってしまった私に、いたずらが成功したかのようにくすくすと笑う。こんな殿下、見たことない。
「でも。
私にとってはフリージア様と姉妹になれることの方が嬉しいです!
改めて、よろしくお願いしますね、フリージア様」
ああ、なんだか。この方にはかなわないな。なんだか今まで疑って警戒していたことが馬鹿みたいに思えてくる。私が思うのはおこがましいかもしれないけれど、この方はいつでも私にとって親しい方でいてくれたのだ。
「あの、お兄様ともぜひ話してみてくださいね。
きっと何かすれ違っていると思うので」
先ほどまでとは変わって、寂しさがにじむ笑みでそう言われる。ユースルイベ殿下……。確かに、いずれはちゃんと話さないといけない。やっぱり話してみないとわからないことの方が多いから。
でも、でも。勇気がでない。だってもしも拒まれたら? 私が『神の目』を持つから優しくしてくれているだけだったら? そんな思いがわいてくる。
「もちろん、フリージア様のタイミングでいいのです」
「はい……」
私の、タイミング……。一体いつだったら話せるようになるのかな。
「さて、この話はこれくらいにしましょうか。
ギフトの関係で体調を崩されていたとお聞きしましたが、もう大丈夫なのですか?」
「はい、もうすっかり。
本当は今日は王妃様にご指導いただく予定だったのですが、何かご予定が入ってしまったようでして」
「王妃、様……。
そうね、フリージア様は交流を持っているのよね」
なんだかとっても微妙な顔をなされている。きっとマリアンナ殿下もユースルイベ殿下と同じようにまともに交流したことがないのだろう。大丈夫なの? ととっても言いにくそうに聞かれてしまった。
そこからは、マリアンナ殿下と他愛のない会話を楽しんだ。まるであの頃に戻ったかのよう、いやそれ以上に会話を重ねていく。こういう風に会話できることが久しぶりで、とても楽しい時間を過ごさせてもらうことになった。
思っていた以上に会話が盛り上がってしまい、当初の予定よりもだいぶ長居してしまった。外が茜色になってきたことでそろそろ自分の部屋に戻らないと、と挨拶をしようとすると、なぜかマリアンナ殿下に引き留められてしまった。
「あの、もう少しお話しませんか?
せっかくこうしてお話できるようになったのですもの」
「ですが、もうかなり長居してしまっていますが……」
「そう、そうよね……」
ちらりと、何かを気にするように扉を見るマリアンナ殿下。その様子は何かを待っているようだけれど……。焦った様子のマリアンナ殿下に対して、周りの侍女たちは苦笑している気がする。一体? と内心首をかしげていると、扉がノックされた。
途端、ぱっとマリアンナ殿下の顔色が明るくなる。どうやら待っていたものが来たらしい。対応に出ていた侍女がマリアンナ殿下に耳打ちすると、入ってもらって、と返す。
入ってって、一体だれが……?
その疑問はすぐに解決した。
「ユースルイベ殿下……?」
「あ……、こんにちはフリージア嬢。
その、妹が迷惑をかけたみたいで?」
まだ状況を呑み込めていない殿下が、疑問を交えながらそう口にする。その様子が少しおかしくて、くすくすと笑ってしまった。途端、ユースルイベ殿下の目を丸くした。
「迷惑なんてかけられていませんよ。
むしろ私が急にお邪魔してしまってご迷惑を」
「あら、迷惑なんて!
とっても嬉しかったですわ。
花束をくださり、ありがとうございました」
「花束?
とにかく、迷惑をかけたわけでないのならよかった。
まだ病み上がりなのだから、無理をしてはいけないよ」
「ご心配ありがとうございます。
でも、もう大丈夫ですから。
ところで、どうしてこちらに?」
「それはまり」
「それではまた今度、改めてお茶でもしましょうね」
何かを言いかけたユースルイベ殿下の言葉をマリアンナ殿下が遮る。よくわからなかったけれど、おそらくそこまで重要なことではないのでしょう。
そのままユースルイベ殿下に部屋まで送ってもらうことになった。断ろうとしたのだけれど、さすがに部屋が隣だと断る理由がないよね……。