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翌日はいつもとは違う気怠い朝だった。いつもだったら、もっとすっきり起きられるのだけれど。しばらくぼーっとしながら、今日のことを考える。何をしなくてはいけないのだったか。
もう、『ことりの庭』で働くこともない。じゃあ、何かやることはあるのかな。
「フリージアお嬢様、目を覚ましていらっしゃいますか?」
まどろんでいると、知らない声が聞こえた。いきなり現れた声に、ばっと起き上がると、優し気にほほ笑む女性が立っていた。
「あら、お目覚めですね。
初めまして、私はこの離宮でメイドを務めております、サンリアと申します。
朝食の準備ができておりますので、身支度をして食堂へ参りましょう。
マリアンナ殿下がお待ちです」
「マリ、マリアンナ殿下が?」
マリーさんと言いそうになって、慌てて訂正する。彼女は第一王女なのだ。さん、で呼んでいい方ではない。そして、彼女を待たせてはいけないと、慌ててベッドから出る。ドレッサーの前に座って髪をとかそうとすると、やんわりと止められてしまった。
「身支度は私共でいたしますので、お嬢様はそこに座ってください」
え、と思っていると、いつの間にかほかにも女性が増えている。同じお仕着せを着ているから、全員この屋敷のメイドなのだろう。もうずっと自分で身支度していたから、違和感がぬぐえないものの、されるがままになっていた。
そうだ、貴族の令嬢ってこんな感じだった。もう遠い記憶の中でしか、こんな生活を送っていない。髪はきれいに結われて、お化粧も軽く施される。服もいつの間にか決められていて、着替えを手伝われた。
「さあ、これで大丈夫です。
参りましょうか」
優しく微笑むものの、逆らえない空気を持つサンリアさんの先導で、私は食堂へ向かうこととなった。
食堂ではもうマリアンナ殿下が座って待っていた。いけない、王女を待たせてしまうなんて。慌てて謝ろうとすると、先にマリアンナ殿下から話かけてきた。
「あ、フィーアさん、じゃなくてフリージア嬢!
おはようございます」
「おはようございます、マリアンナ殿下。
遅れてしまい、申し訳ございませんでした。
それと、私に対してそのように話される必要はありませんよ」
「あ、そ、そうだよね……。
お兄様はもう王城へ戻ってしまったの。
2人だけだけれど、朝食をいただきましょう」
「はい」
席に着き、食事をいただく。王家の離宮で供される食事だ。とてもおいしいのだろう。でも、私にはそれの味があまり感じられない。上品な薄めの味付けよりも、少し大雑把な濃い目の味付けのほうが今の私にはあっている。
「あの、おいしい、かな?」
「はい、とても」
でも、そんなことを言えるはずがない。頭の奥底に眠ってしまった貴族令嬢の常識をたたき起こして、そつのないはずの笑みを浮かべる。これで問題ないはず。だけれど、どうしてかマリアンナ殿下は一瞬変な顔をしていた。すぐに、よかった、と笑ってくれたけれど。
食事が終わると、家庭教師だという女性が部屋にやってきた。今日一日でマリアンナ殿下、そして私の荷物を整えると聞いていたけれど、それはすべて使用人の仕事らしい。
「お嬢様は長い間平民の中で生活されていましたから……。
ひとまず、最低限のマナーだけお教えします。
王城へ行かれてから、また一から指導いたしますね」
心配そうにそう言っているけれど、私を下に見ているのわかるからね。フリージア自身が下級貴族の出とはいえ、無駄にプライドが高かった両親のおかげでかなりマナーは身についている。それに加えて、今までの記憶もあるのに。
この人はどこまでわかっていて、そう言っているのだろうか。ああ、でも。今の私に自分の意思なんていらないんだった。よろしくお願いいたします、その言葉と共に貴族の令嬢らしくほほ笑んで、私はカーテシーをした。
「あら……。
こちらこそ」
ぱちくりと瞬きをする先生。さっきまであんなに偉そうにしていたのに、なんだかおもしろい。そう思ったことをばれないように、変わらない笑顔を保っておく。
「んん、ごほん。
では授業を始めていきましょうか」
その言葉で始まった授業は、正直簡単だった。やっぱり何度も繰り返したことは体に染みついているみたい。
「か、完璧なようですね。
これでしたら王城での授業は必要なさそうですね。
そ、それでは」
結局あの人は何だったのだろうか。最後は逃げるように去っていったし。ようやく一人きりになれて、一息つける。お昼を挟んで一日授業をしていたからさすがに疲れたかな。しばらく一人になりたいと思っていたのに、ノックする人がいる。
「はい」
「お嬢様、お手紙をお持ちいたしました」
「手紙……?」
困惑しながらも入ってきたサンリアさんから手紙を受け取る。そこに書いていたのはリミーシャさんの名前。え、リミーシャさん、私に手紙を⁉ 確かに渡すようにお願いはしたけれど、返事が来るなんて。
「それと、お嬢様がおっしゃっていたのはこちらでお間違えないでしょうか」
そういって差し出されたのは、確かに私が頼んだものだった。刺繍をして、皆にあげようとしていたもの。
「はい、そちらであっています」
「お嬢様、私に敬語を使われる必要はございません」
「あ、ごめん……」
鋭い視線に思わず謝っていると、それも必要ありません、と言われる。まあ、それは確かに。ただの使用人には不必要なのだろう。サンリアさんは私に紅茶を入れると部屋を出て行ってくれた。よかった、あの人がいると息が詰まるから。
本当に一人になれて、受け取った手紙を見つめる。ここには何が書かれているのだろう。お世話になったのにろくな挨拶もせずに消えたことへの文句? 嘆き? わからない。いつまでそうやって見ていただろう。結局私は手紙を見る勇気が出なくて、開けることがないまま置いた。紅茶はもうすっかりと冷めていた。