生い立ち
陽の光が顔に当たり、段々と意識が浮上してくる。
う~ん、気持ちいい。顔が……ちょっとくすぐったい? まさか……。
――――パチッ。
上体を起こさず目を開けると、やっぱりいた。
顔の上に、毒蜘蛛がいる。
でも、甘いわね。私はもう、こんな事では動じない。確かに昔は毎朝のように悲鳴を上げていたけど、もう慣れた。エリオット、悪いわね。姉さんは強く逞しくなったのよ! 吃驚して怖がって、エリオットに泣いて助けを求める姉さんはもういない。
顔に張り付いている毒蜘蛛を刺激しないように、そっと持ち上げ、床の上に優しく置く。
弟のエリオット曰く、毒の生物は扱い方や接し方を間違えない限り、毒を刺してくる事はないらしい。もちろん、その持論はこの世界特有のもので、私がいた前世とは色々と事情が異なっている。
決して雑に扱わず、恐れず、心を寄せて接すれば、毒の生物たちは人間を襲う事はない。そう言う意味では、街の外にいる魔物の方がよっぽど怖い。奴らはどう扱おうが構わず襲ってくるのだから。
「エリオット! また毒の生物たちが逃げ出して、私の部屋に来ているわよ」
……ったく。管理だけはしっかりしておいてと言ったのに。エリオットが可愛すぎて、あまり強く怒れないのよね。
「ごめん、姉さん」
エリオットは申し訳なさそうにドアを開けて、顔を覗かせる。たぶん、ずっと扉の外にいたのだろう。
もう可愛いから、許す。
「昨日、姉さんが落ち込んで帰ってきたのを見たんだ。だから、僕心配で……。毒蜘蛛に姉さんの様子を見に行ってもらったんだ」
「そんな事だろうと思った。でもね、私以外の人にこんな事しちゃ駄目よ。みんな怖がって逃げてしまうし、お友達だって……」
「僕、友達なんていらないよ。姉さんさえいればいい」
「う~ん、そういう訳には……。私だって結婚したら家を出ていくのだし」
「でも、姉さん。昨日お酒の匂いをさせて帰ってきたっていう事は、上手くいかなかったんでしょう? リリアム様だっけ? 社交界の悪夢って言われてる……」
――――うっ! 鋭い! ああ嫌だ、昨日の記憶が蘇ってきちゃうじゃない……。大体、なんでエリオットが知ってるの? 私がリリアム様を探っていた事。しかも、リリアム様の二つ名まで知っているとは……。
「結婚なんて上手くいかなくて良いよ。姉さんはずっとお屋敷にいて?」
ああ、可愛いエリオット。
至極色の髪に黒曜石のような大きな瞳。あどけなさの残る顔をしているのに、時折大人びた顔を見せる。利発で頼もしくて、将来は研究者になりたいと言っていた。エリオットならきっと夢は叶えられるし、社交界に名を轟かせるような人物にもなりそうね。
将来が楽しみ。
だから、だから……。
私がいつまでも家にいる訳にはいかない。私がいつまでも家にいれば、お父さまとお母さまはもちろん、エリオットにも迷惑をかけるから。
それに、私だってそんなパラサイトみたいな事したくない。
「ごめんね、皆に迷惑かけちゃうから、ずっとはいられないのよ」
「迷惑? 誰が迷惑なんて言ったの? 姉さんは僕が養うんだから家にいるべきだよ」
――――ああ、怒った顔も可愛い。
「僕は姉さまと結婚するんだよ。本気だから。だって僕と姉さまは――――」
「はい、その話は終わり。着替えて身支度を整えるから、エリオットは部屋の外へ出て?」
エリオットの恨めしそうな目が突き刺さる。
ごめんね、言葉の途中で話を切ったりして。言いたい事は分かるし、それを言ってしまえば不毛だから。
閉じられた扉をぼんやりと見つめながら、ごめんなさいと呟いた。
私、ロメリア・グレイスは一つ嘘を吐いた。子爵家の長女だと言っていたけど、正確には養子として引き取られて、子爵家の長女になった背景がある。養子として引き取られる前は、孤児院にいて。その前は、捨てられた赤子だった。
そう、私は両親に捨てられる運命にある赤子に転生したのだ。
でも、運が良かった。名前も身分も何にも持たない私は、名前も身分も与えられやっと人間らしくなれた気がする。
本当なら、優しい両親や弟のために、家に利をもたらす価値ある結婚をしなくてはいけないのだろうけど。
お父さまやお母さま、エリオットには嘘がすぐばれてしまうから。私が顔を歪めて嫌々結婚するのは望まない人たちだ。だから、私が出来る家族孝行は私自身が幸せになる事。
私自身が望んだ方法で幸せを掴む事。
「あら、あなたもベッドで寝ていたのね?」
洋服を着替えて身なりを整えていると、ふと昨日の毒蠍が目に入る。
すっかり忘れていた私の話相手。愚痴相手とも言うわね。
「大人しい毒蠍なら、きっとエリオットが気に入るはずね。エリオット、そこにまだいるんでしょ?」
「……うん。着替え終わった? 入っても良い?」
「うん、良いわよ」
おずおずとエリオットが部屋の中へ入ってくる。
「エリオットにプレゼント。昨日、舞踏会でこの毒蠍を拾ったの。綺麗でしょ?」
「……こんな蠍、初めて見た。姉さん、もしかしてこれ……。いや、まだ結論を出すには早過ぎる、か」
「やっぱり珍しい種類よね?」
「うん。本に載っている種類なら全部覚えているけど、この蠍はそのどれにも一致しない。毒針が水晶みたいに綺麗なのは初めてだ」
エリオットはすっかり研究者の目をしてる。お礼を言い、毒蠍を大事そうに抱えて、自分の部屋に戻ってしまった。
「私も……。いつまでもしてしまった事にくよくよしないで、チャンスを取り戻すべきよね」
将来有望なエリオットに触発されたかもしれない。
今度の舞踏会の時、もう一度リリアム様とお話してみよう。それで可能性がないなら、今度はすっぱり諦めるから。
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