初夜のその後② ~結婚は通過点~
突然の訪問にも関わらず、顔パスで王城に入れて取り次ぎもしてもらえた。聖女の名と顔が良い意味で伝わっている事をひしひしと感じて、思わず口元が緩む。
案内された部屋は、王城にしては殺風景な部屋だった。掃除は行き届いているものの、華美な物は置かれていない。言い換えれば、心と向き合うにはぴったりな部屋で、目移りする事なく集中出来る利点がある部屋だ。
そんな場所でジル殿下を待っていると、廊下から重厚な靴音が聞こえてきた。
……この音は殿下だ。
座って待つように指示を受けていたが、扉が開く前に席を立ち、開くと同時に頭を下げる。
「突然お呼び立てして申し訳ありません、殿下」
「そう堅苦しくしなくてもいい。こんな王城に一人で来る程、追い詰められていたのだろう? しかも尋ねる相手がリリアムではなく俺だなんて光栄だな」
見透かしたような発言には、いつもみたいな揶揄うような笑みは含まれていない。私の今の状態を察知して、気遣ってくれたのだろう。ジル殿下の顔付きは、とても穏やかで優しかった。
「お気遣いありがとうございます」
殿下はローテーブルを挟んで反対側の椅子に腰かける。私もそれに倣い着席した。
「で、話とは……?」
「は、はい……。それが、リリアム様の最近の様子が知りたくて……」
殿下の顔が一瞬、ぎょっとなった。それもそうだろう。アムと私は新婚夫婦で、一緒の屋敷に暮らしているのだ。夫の様子を聞きに妻がわざわざ王城に来るだなんて、よっぽどの事だと考えるのが普通だ。
でも、ありがたい事に殿下は私たちの事情について、自ら聞く事はしなかった。
「ああ、最近は仕事に精を出しているようだな。新婚なのに、朝早くから出勤して夜遅くまで働いている。そういう働き方は効率が悪い上に、身体を壊すからやめろと注意をしたが、変化はなかった。もし、それが二人の間で問題となっているなら、俺から再度注意をしよう」
「ありがとうございます。殿下は、リリアム様がなぜ仕事に精を出しているのか分かりますか?」
「いや、それは知らないな」
「そうですか……。たぶん、屋敷には居たくないのかもしれません」
「……何だと!?」
ジル殿下が眉間に皺を寄せ、大きく体勢を変えた。それに吃驚して肩を震わせていると、不機嫌さを少しばかり引っ込めてくれたようだが、それでも細部に苛立ちは表れている。
「……喧嘩でもしたのか?」
「喧嘩ではありませんが、問題ならありました。ここでは話せない事なので、どうぞお察しください」
「なる程……」
「それと、もう一つ。リリアム様は邸宅に帰ると、とある部屋を使用されるそうです。その部屋には使用人も入れないそうで、その……」
「まさか、部屋の中の至る所に粘り気のある真っ黒な液状のものが飛び散っていたとか?」
「え?」
まるで心を読んだかのような口振りに、思わず下がりかけた目線を上げた。ジル殿下と目が合うと、殿下は気まずそうに目線を泳がせる。
「粘り気のある真っ黒な液状のものって、何なのでしょうか?」
やや強めの圧をかけながら、小首を曲げて聞いてみた。
「簡単に言うと、負の感情が体内にある術式と混ざり、暴走を起こしている状態だな」
「暴走?」
「ああ、不安定だからロメリアに近付けなかった可能性もある」
「他の人は大丈夫なんですか?」
「平気だ。暴走を起こす原因となった人物から離れると、むしろ安定する」
「私の所為で、リリアム様は離れた……?」
泥沼に足を取られてゆっくりと沈んでいくような気分になる。藻掻く事も諦めてこのまま沈んでいこうかとさえ思えたのは、きっとこの七日間ろくに寝ていないからだと思いたい。
「ロメリア、顔を上げろ。落ち込む事はない。魔力暴走の原因は、一つだ」
「……えっ、はい。それは何ですか?」
「ふむ……。それは――――」
ジル殿下は思案気な顔を浮かべた後、口角を上に持ち上げ笑った。
「ロメリア、リリアムが構ってくれないなら、王宮に来ると良い」
私ではなく扉の方へ向かって、殿下は大きな声を発した。すると、扉がもの凄い勢いで開く。部屋の中へ入ってきたのは、手負いの獣を連想させるアムの姿だった。鍛錬後だったのか、腰には銀剣をぶら下げている。呼吸は乱れ、目はつり上がり、怒りや興奮が混ざっているのか顔は少し赤かった。
「ジル、どういうつもりで……!」
「どうもこうもないだろ。そんな所で聞き耳を立てていないで、こっちに来い。お前がロメリアに説明をしないから、彼女もほら……」
「くっ…………」
アムは黙って殿下の隣に来ると、気品ある佇まいの椅子横に立った。
私と目が合ったのは一瞬で、あからさまに避けられてしまった事が悲しかった。殿下とは普通に話をしているのに、私とはそうじゃない。瞳にアムの姿を映すだけで、苦しくなる。
私も充分痛々しいけど、案外アムも同じかもしれない。久々に見たアムの顔色はとても悪い。疲れたような眼をしていて、全身ピリピリとした空気を纏わせている。
この場で一番キラキラしているのは、ジル殿下だけだ。アムの反応を逐一確認しながら、アムで遊んでる気がする。
アムと私は、まるでお葬式のように暗いのに。ああ、いたたまれない……。
「リリアム、ロメリアと二人で話してこい。この部屋は防音だから周りに気にせず話せる。ま、例外はあるが人払いはしておいてやる」
そう言うと、ジル殿下はアムの方を向いて意味深な笑みを浮かべた。
この部屋が防音でも、魔術師にはあまり効果がないのかもしれない。先程、アムが扉の外で聞き耳を立てていた事を視野に入れ、そう解釈をした。
「仲直りが済んだらそのまま帰れ。七日間は仕事に来なくていい。リリアムの代わりにエドが死ぬ気でやるだろう。とりあえず、失った七日間を取り戻して来い。これは命令だ」
「分かった」
「あ、ジル殿下。配慮していただきありがとうございます」
お礼をして、深々と頭を下げた。ジル殿下は静かに頷いた後、アムの肩をポンッと叩く。戦場に兵士を一人送り出すような面持ちで、殿下は扉から出て行った。
扉が音を立てて閉まる。その瞬間、呼吸をするのも躊躇われる程の静けさが襲った。身体が緊張で固まる前に椅子に座ると、アムも向かい合う椅子に座った。
な、何か言わなくちゃ。殿下がくれた折角の機会だから……。
「あ、あの……。魔力暴走の原因って何ですか? 殿下は魔力暴走を起こす原因となった人物と離れると、安定すると言っていました。私、アムに何か……?」
「していない。ロメリアは悪くない。ただ、なぜジルなんだ……」
「はい……?」
「僕を訪ねてくれれば良かった話だ。前にも言った筈だ。一人で王城に行くのもジルに会うのもやめてくれと」
胸の奥がチリッと痛んだ。
アムは子供のように拗ねた発言をしたが、私もいつものような砕けた話し方はしていない。他人行儀のような話し方をわざわざしている。
でも、さすがに話の論点をすり替える事はしない。今、この場であの時の約束の話を引っ張ってくるアムは、ズルいと思う。
私は以前、『ジルに呼び出されても一人で王城に行くのは禁止』とアムに言われていた。嫉妬からか、殿下に対抗意識があるのかは定かではないけど、まさかこの場でそんな小さな事を持ち出すなんて……。
私の中でなにかが爆発した。
「だったら私を繋ぎ止めておけば良かったのよ。ずっと放っておいたのはアムでしょう?」
「そうか、じゃあ今日から七日間は部屋に監禁しよう」
「え……? ちょっと待って。私たち、こんな話をする為に時間を割いている訳じゃ……。そもそも、アムが初夜から今日までの間、私を放っておいた事から全ては始まったのよ?」
「初夜は疲れているだろうから、ロメリアを気遣ったんだ」
「一緒に寝てくれなかったじゃない」
「そ、それは……」
「それは?」
「……だったから」
「もう少し大きな声でお願いします」
「寝込みを襲いそうだったからだ」
思わぬ奇襲を受けた気分だ。
アムの本音が聞けて、照れ顔も見れたけど、まだ肝心な事が分かっていない。それなのに、こんな事で満足しそうな自分がチョロくて嫌になる。にやけそうになった自分の頬を抓りたい。
「わ、分かりました。私に幻滅したのかと考えていましたけど、杞憂で良かった。誤解が解けてほっとした」
「……そうか、それは良かった」
「いいえ、良くないです。では二日目~七日目のご説明をどうぞ」
私の表情筋はだいぶ解れてきたけど、追求の手はまだ緩めない。せっかく殿下が与えてくださった機会だ。この際、綺麗さっぱりモヤモヤを解消して、以前のような関係に戻りたい。
ま、だいぶおかしなテンションだけど、やり遂げるのみ!
「魔力暴走が原因だ。それでロメリアに近付けずに、距離を置いた」
「どうすればその暴走は止まりますか? 今は止まっているようにも見えますけど……?」
「今はかなり抑え込んでいる。気を抜くと、この部屋は粘り気のある真っ黒な液状のもので汚れてしまうだろう」
「あ……、それはごめんなさい。アムに無理させるつもりはないのよ。その症状は治るかしら?」
「……分からない」
「分からない……? そんなの駄目よ。分からないだなんて、イヤ!」
たくさん障害物を乗り越えてここまで辿り着いたのに、指一つ触れられないまま結婚生活を過ごすなんて、何の拷問よ……。
思い切り立ち上がり、ローテーブルを避けてアムの前に来ると、そのままアムに抱き付いた。その瞬間、頭にべちゃっと何かが降ってくる。頭を触ってみると、そこにはあの例の黒いものが手に付いていた。
こ、こんなものに引き裂かれたくない!
それでもアムから離れないでいると、それはバケツをひっくり返したように激しく部屋中を黒く汚した。アムに関われば関わる程、酷くなるのだと結論付けて、仕方なくアムから離れる。
――――なる程、アムもこれじゃあ近寄れないわね。私もアムも真っ黒だ。
「ごめんなさい……」
「いや、俺が悪い。ジルにもこの部屋がこうなった経緯をそれとなく濁して説明しておくから、気にしないでいい」
「でも……」
「それよりも、着替えと拭く物を借りよう。続きは屋敷で」
「はい」
それから私たちは王城で働く使用人を呼び、事情を説明し、部屋の掃除を頼んだ。着替えと拭く物を借りて身なりを整えてから、王城を出て馬車へ乗り込む。
「汚れた服は洗濯して、後日送り届けてくれるらしい」
「それはありがたいわね」
馬車の中も離れて座る。先程の事もあり、目線も合わせづらかった。いつあの黒いものが出てくるのかと思うと、迂闊な行動は出来ない。
問題は、この状況をどうやって打破するかね……。
そんな事を考えていると、段々と眠気が襲ってきた。どうやら馬車の心地いい揺れが睡眠不足の身体を誘っているらしい。あっという間に、私の視界は暗くなった。




