義兄さんとは呼びたくない俺が、義兄さんと呼ぶ理由
エリオット視点。時系列的には、少し前のお話になります。やや話が長めで好みが分かれるお話なので、暇な時にお読みください。
ジル殿下に呼ばれて、王城に出向く。ジル殿下の執務室は王城の中央ではなく、二階の奥の隔離されたように配置された一室にあった。王太子という身分なのに、随分日陰に置かれた部屋を不思議に思いながら、俺は扉に手を伸ばした。
「失礼します」
入退室のマナーに気を付けながら前を見ると、殿下の前に来るようリリアムに指示された。言われた通り前に進むと、殿下は俺に言った。
「エリオット・グレイス。今日からリリアムがお前の魔術指導者だ。鍛錬に励め」
豪奢な椅子に踏ん反り返るように座り、俺の位置からは良く見えないが、おそらく足も組んでいる。言葉も態度も上から目線の殿下に思わず「は?」と言いそうになったが、何とか堪えた。
隣に立つリリアムがキラキラしたような眼差しを向けてくるのもどうにか耐え、「仰せのままに」と短く返事をし、頭を下げた。
その時の俺は『誰がリリアムなんかに師事するかよ』と本音をぶちまけてしまえたらラクだなと呑気な事を思っていた。だから、すっかり肝心な事が抜けていたのだ。ジル殿下が上から目線なのは当たり前の事。王太子なのだから。
そんな簡単な事も抜け落ちてしまう程、俺は殿下の命令に狼狽えていたらしい。
ハハッ、それもそうか。俺はロメリアの事が好きで、そんなロメリアはリリアムと相思相愛な関係だ。俺は報われない恋をしているのだから、さすがの俺だってこんな風になる。
もうだいぶ前から俺の心は荒み、闇色に染まってしまった。その問題を考えるには、あまりに根が深くて時間が足りない。今はそんな事より、『目に映すだけで色彩全てを奪い闇に変えるような黒色が、俺の感情をボリボリ貪り沈めてくれる』事に、感謝する方が遥かに有意義だ。
俺の悲痛な叫びを心の闇が喰ってくれるのは、有り難い。ロメリアがいたら心の闇は簡単に消えるのに、今はいない。聖女活動が忙しく、人形の商品化の話をする時間はあっても、それ以外の事について話す時間が減ってしまった。その代わりに生まれたのが心の闇。
そのおかげで、天使のような笑顔を作れるのだから。
「光栄です、姉さんの婚約者に指導していただけるなんて……。お手柔らかに」
リリアムの方にそっと視線を向ける。
「詳しい話はリリアムと相談しながら決めるといい」
「はい」
――――なんて事は、死ぬ程言いたくない。全然、嬉しくない。誰がリリアムの野郎から……。
と、心の中で思っていた時に、ふと、頭のてっぺんから足のつま先まで悪寒が走り抜けた。
な、何だ――――!?
心の中だけは自由に悪態をつける場所だったのに、その中までぬるぬると入り込んでくるような感覚に、思わず顔を顰める。蛇が身体に絡みつくような感触が俺を襲い、毒牙を向けられている気さえした。
……ま、このくらい対処出来るけど。
ブレイシーズを指で引っ張り離すと、弾力でバチンと音が鳴る。その音と共に蛇を追い出した。
「へぇ、意外とやるな」
ジル殿下の褒め言葉に、これまた可愛く笑顔を作ってみせた。俺の異変に気付いた毒蜘蛛がシャツの袖からひょっこり顔を覗かせる。しかし、またすぐに身を隠すように袖に入っていった。
蜘蛛が蛇を食した話は聞いた事があるが、毒蜘蛛に至ってはその限りではないらしい。
ジル殿下の不気味な笑みを見て、毒蜘蛛が袖の中で震えている。その気持ちが分からない事もない。殿下は貼り付けたようにわざとらしい笑顔を作っているけど、目の奥が全然笑っていなかった。有無を言わさない視線は、脅迫と同義だ。
きっと俺の考えを知った上で、リリアムと関わり合いを持たせたな。
王家に風穴でも開けそうな破天荒な性格だと聞いて、好感が持てそうだったけど……。この毒蛇は俺と同じくらい闇が深くて邪悪だと思いながら、俺は退室の挨拶をした。
◆
初指導の日、俺は待ち合わせ時間に間に合わず、遅刻してしまった。
遅刻理由は二つある。一つ目は、夜遅くまで新作の人形作りをしていて、次の日の事なんて考えてもいなかった。悪く言えば、いくら殿下の命令でもやる気がない事には全力を注げないという事だ。つまり、早起きする理由がない。
もう半分の理由は、待ち合わせ場所が遠かったから。もう少し細かく言えば、侯爵家の馬鹿でかい領地の中にある狩場が遠過ぎて、馬がやる気を失くし失速したという可愛い理由。
「遅い……」
「すみません。姉さんに頼まれた新作を考えていたら、つい……。それに場所が遠くて」
「そうか、今日は大目に見よう」
そんな優しい言葉をかけられると、非常にやり難い。ジル殿下は分かりやすく言えば、俺と似た者同士で黒白はっきりしている。一方、リリアムにはそれがない。リリアムも殿下くらいに黒白はっきりしていて、嫌味な野郎だったら俺も手加減はしないのに。
ロメリアの弟である俺、いや、俺は弟である事を認めたくはないが、そんな俺に好かれたいという気持ちが根底にあるように感じられるリリアムの接し方が分からない。何を考えているのか分からないリリアムだが、その俺に好かれたいという気持ちだけは分かる事も、頭が痛い問題だ。とりあえず、リリアムの取り扱い方説明書が欲しい……。
「森の中だと他の生き物が驚くから、この辺でやろう」
この辺と言われた場所は、川の近く。大小違う石ころが邪魔で、足場の悪い場所とも言える。視界は良好だが、近くには管理小屋がある。魔術の指導だから、攻撃してはいけない場所を予め頭に入れておいた。
「基本の知識の確認をしたいが、魔術の始まりについてはどこまで知っている?」
「全部かな」
「説明してくれ」
面倒だと思いながらも、息を吸う。
「……今から二千年前、大魔術師ハラペコーニャ・デ・ストラッタが弟子に魔術を教えるのが面倒で、弟子の身体に魔術の旋律と計算式を合わせた「術式」を組み入れた。その術式は血に宿る。才能のある者は大魔術師に教えを乞わなくても、それを使いこなせるようになった。また、魔術師の子供にも血が受け継がれる事から、その子供も術式が使える事があるが、ハラペコーニャは一つミスを犯した。術式があっても、魔術を使えるようには必ずしもならない事。おかげで、このマリンティア王国は魔術師がたった五人以下という非常事態を招いてしまった」
一字一句間違えずに教科書の内容をペラペラ喋ったから、口が疲れた。完璧とも言える模範解答にドヤ顔をしてやろうとリリアムの方を向くと、陽の光に当たったリリアムの群青色の瞳が輝いて見えた。
ああ、きっとロメリアもこの眼に射貫かれたんだ。
それが気に入らなくて、ふいっと顔を背けてしまった。
「正解だ。この前やった指導前テストも満点だったから、知識は問題なしか。後は実戦……」
「ぜひ、師と手合わせしたいな。強いんでしょ?」
「そうだな、ただ普通に戦うだけじゃ面白くないから、一つ賭けようか?」
「いいね、その案乗った!」
意外だった。リリアムが実戦に何かを賭けるなんて……。もっとくそ真面目な奴だと思っていた。
「僕が勝ったら、ロメリアと婚約破棄してくれる?」
「……それは賭けの対象にはならないな。ロメリアの意志も聞かずに勝手には決められない」
「ふーん、負けるのが怖いんだ?」
「…………ふぅ。受けては立つが、ロメリアにはこの事を秘密にして欲しい。賭けの対象にした事を彼女に知られたくない」
「何それ、どういう意味? 負けたら賭けの事は秘密にして、破棄するの?」
「その可能性は全くないから、それでいい」
へぇ、一応ロメリアの事は考えているんだ。その上で、提案を飲み込むなんて、余程自分の力を過信してるか、それとも……。
「その代わり、僕がエリオットに勝ったら、僕の事を義兄さんと呼んで欲しい」
「…………はぁ?」
ついつい天使のような顔をする事も忘れて、素が出た。
義兄さん? 義兄さん? 義兄……。おえぇぇー!!
心の中に響き渡るその言葉が耳から離れない。
愛する人の為なら、自分の手を血に染める事も厭わないんじゃないかというくらいの気合の入りようだ。鳥肌が立ったが、心の闇に『動揺や乱れた感情を喰らえ』と呼びかけると、程なくして落ち着きを取り戻した。
よくよく考えれば、俺にだってそのくらいの覚悟はあるし、気合だって常に入ってる。ロメリアを想う気持ちなら負けてない。手を汚そうが心を病もうが俺だって……。
リリアムは戦闘準備が出来たのか、雄々しい顔をしている。先程のようなまったりとした感じが一切ない。銀色の髪が風に靡いて美しいのに、心はまるで研ぎ澄まされたケダモノだ。
黒い手袋なんかして……、この毒蠍め。
「さぁ、始めよう」
リリアムの声が澄んだ空気に響く。すぐに攻撃を仕掛けてくるかと思ったら、そうでもなかった。俺に先手を譲ったのかもしれない。でも、そういう心理的な駆け引きはしたくないんだよね、俺は。
とりあえず、片っ端からぶっ放す事にした。
「死々蜘蛛! 愛糸縛殺! 闇堕天照……!」
どんどんテンポ良く技を繰り出す。身体の中にある光り輝く円に、旋律や計算式が書かれたものが魔術式。それを自在に組み替える事で技になる。主に、加護魔法と闇魔法の術式を合わせて使う事が多い俺は、技にもこだわりがある。
旋律が整い、計算式に狂いがなければ綺麗に技を魅せる事も可能だ。
強さも大事だけど、俺としては魅せるのも大切にしたいんだよね。
誤差がない旋律と計算式を描き、力の限りぶっ放した。
「技名だけで、どういう魔術師か分かるのが実戦の醍醐味だな」
「チッ、良いんだよ。子供のような外見と可愛らしい思考が合わさって、キュートだろ?」
「ああ、黒白ハッキリしていて分かりやすいな」
俺の魔術が眼前に迫っているというのに、リリアムは避けなかった。
俺の技を一つ一つ確認して、何を考えてやがる……。
「技を堪能した。乱れがない綺麗な旋律と計算式だ。だが、まだ幼いな。死夢絶朱」
そうリリアムが唱えた瞬間、俺の目の前が朱くなった。気付けば身体中が切り刻まれて、血が噴き出ている。その血だまりから、一輪の花が咲いた。
ああ、これは夢だ。眠らされた……。真っ向勝負を避けられた事に酷く腹が立つ。
一輪の花を手折り、それに向けて魔術式を展開させる。夢の中でそれを行うのは少しばかり面倒だった。実践というより、試練みたいだ。夢から醒める事が出来たら、きっと合格。
夢の中の空間全てに術式を展開させ、魔力が溢れ出す仕組みを作る。夢の中で、派手に穴を開けてやった。
「やぁ、お目覚め?」
「おかげさまで」
首元には銀色のナイフが突きつけられている。寝ている間にいくらでも殺せた、という事だろう。
「俺の負けだ」
そう言うと、リリアムはナイフをどかした。俺は上半身を起こして、服に付いた汚れを払う。
「やり方次第では、勝敗は付かなかったかもしれない。このまま成長したら、きっと素晴らしい魔術師になるだろうな。今回は経験の差で勝敗が付いた」
「……そんな気休めいらない。僕は……、いや俺は、もっと強くなるから、覚悟しておいて。リリアム義兄さん」
闇+可愛い笑顔で言う。天使なんかじゃない笑顔で人と接したのは、初めてかもしれない。
その日から確実に俺とリリアム義兄さんの関係は変わったけど、ロメリアを泣かせたら婚姻終了させるという考えまでは変わっていない。その事をもう一度、伝えておく。




