宮廷仮面舞踏会③
個室の扉を思い切り開けると、二人組の男性が泡を吹いて地面に倒れていた。
寝台にはセリアンヌが仰向けになって寝かされている。着衣に乱れはない。波打つように美しいドレスは形よく保たれたままで、目印の髪飾りも外れる事なく髪に付いている。セリアンヌの寝顔はまるで王子様を待つお姫様のように、静かな寝息を立てて“王子様の訪れ”を待っているようだった。
良かった、セリアンヌ。無事で、本当に良かった……!
安堵するのも束の間、私の背後に近付く足音に思わず振り返った。
「きゃああああああ!!! 誰か来てぇえええ!!! セリアンヌ・シュタベル様がき……ん゛ん゛ん゛ぅん゛!!!」
声量が半端ないマリス嬢の叫びに、私の身体は反射的に動いた。自分でも吃驚するくらいの力が出て、マリス嬢の口を塞いでいた。少し冷静になった後、彼女が抵抗する事も視野に入れて、背後に回り拘束を強化した。
やっぱりそれが狙いなのね……。
無礼講と言っても、仮面舞踏会には超えてはいけない線がある。問題なのは、結果的に何も起きていなくても、家名に傷を残す不名誉な事が起こり得る点。第三者がいない状況で、未婚の令嬢が令息と部屋に入った事だけで、あらぬ疑いをかけられるのだ。例えそれが婚約者であっても、時と場合によっては罪深き事。
その上、マリス嬢が
『セリアンヌ・シュタベル様が傷物に……!』
と部屋の中で叫ぼうものなら、もう絶望的。例え未遂でも本当に“傷物”になってしまう。セリアンヌは一生傷物として扱われ、ひいては婚約や結婚にまでその事が影響するだろう。居場所なんて当然無くなる。
特に保守派の貴族は煩いから……。
「傷物だなんてそんな事、絶対させないわよ。親友の名誉を傷付けられてなるものですか」
マリス嬢の口を必死で塞いでいる私の手は、藻掻き暴れる彼女の爪に引っ掻かれて傷だらけだ。痛みに耐えかねて唇を強く噛んだけど、手だけは離れないようにしっかりと押さえた。
「貴女の考えなんて、お見通しよ。こういう状況を作り出してセリアンヌを貶める事が貴女の目的でしょ! でも、残念ね。そこで伸びている二人組の男性は、セリアンヌに手を出す前に倒れたわよ。男として大事な部分を毒蠍の鋏に挟まれて」
私が毒蠍一号、二号に視線を向けると、彼らはもう片方の鋏を開閉させて、マリス嬢に勝利のアピールをした。それが可愛くて、少しだけ頬が緩む。
さすがエリオットが作ってくれたラッキーアイテムね。本当に良い仕事をしてくれた。しかも、セリアンヌ風に作られていて、カラーもセリアンヌカラーを取り入れているなんて、ポイント高い仕事するじゃない。
「んんんんー!!!!」
それでもマリス嬢はまだ暴れていた。往生際が悪かった。手の痛みを紛らわそうにも、刻々と限界が近付いてきている。私の腕は今、腕力よりも気合で何とかなっている状態だ。それならば、私も腹を括らなくてはいけない。
「貴女がこの真実を捻じ曲げて言い触らそうとするなら、私にだって考えがある。私の持てる力全てを使ってでも、貴女をどん底へ突き落すわよ」
「んんん! んんんんん゛!!!」
「ごめんなさいね。何て言っているのか、分かりたくもない!」
マリス嬢が言いたい事が弁明でも、言い訳でも、罵りでも、懺悔でも、それ以外の言葉でも。そんな事、私にはどうだっていい。腸が煮えくり返りそうで息が上がるってる私には、きっとどんな言葉も無意味で届かない。
膠着状態が続く中、次の策を思案する。その最中にこちらに近付いてくる靴音がして、マリス嬢と私は思わず扉の方を見た。
ヤバいわね。先程の悲鳴で誰かが来てしまった。一体、誰が……!
マリス嬢の抗う力が弱くなった事が増々私を焦らせる。第三者が来た事で、彼女は勝利を確信したのかもしれない。この状況を見たら、誤解する人も出てくるだろう。上手に立ち回る事が出来なければ、墓穴を掘る事になる。
どうしたら……。
規則正しく鳴り響いていた靴音は、扉の前で止まった。
「随分とはしたない叫び声が廊下まで聞こえてきましたわ」
聞き覚えのある声がする。反射的に身震いした後、限界まで押さえていた手の力が抜けて、だらしなく放り出された。
この声、カナリア・ホーリックだ……。
「あ……」
緊張に包まれる中、彼女が部屋の中へ入ってくる。
舞踏会事件の再来かと思わせる真っ赤のドレスは、相変わらず自己主張が激しくて目がチカチカする。宝飾品を贅沢に使い着飾っているカナリアが、ただ一つ他者と違う所は仮面をしていなかった事だ。気怠そうに仮面を手で持っていた。
「カナリア……」
「あら、もしかしてその声、ロメリア? クスッ、趣味の悪い仮面を付けて、何をしているのかしら?」
「別に何も……」
「ふーん」
カナリアはそんな言葉で見過ごしてはくれないだろう。今だって私と話しているのに、その視線は私を見てはいない。状況を把握する為に視線を動かし、観察している。当然、頭だって働かせているわよね。
「あ、あの……。さっきの悲鳴は私が上げました」
マリス嬢はチャンスとばかりに、カナリアに駆け寄っていく。完全に出遅れてしまった私がその後を追おうとすると、カナリアに酷く睨まれてしまった。その視線が私に対する憎悪よりも、もっと別の意味を持っているような気がして、少しの間だけこの場に留まり、顛末を見届ける事にした。
「私、見てしまったんです。セリアンヌ・シュタベル様がこの二人の男性に襲われている所を!」
「それは嘘よ! カナリア、信じては駄目!」
「……煩いわねぇ。ところで、ロメリア。私が貴女の事、大嫌いなの知っているわよね?」
「生まれ付いた身分が低かったのに、貴女より身分が高くなったからでしょう?」
「まぁ、そうね。もう一つ、私が嫌いなものを教えてあげましょうか?」
カナリアは堂々たる振る舞いでマリス嬢の仮面を掴み、それを剥ぎ取った。
「私はね、私なりの信念に基づいて今まで行動してきたわ。私程、貴族の血を大切に想う令嬢はいないでしょう。この部分だけは、保守派と言われても仕方のない事かもしれない」
ああ、カナリアは全く変わってない。生まれ付いた身分を大切にする事も、貴族である自分の血を誇らしく思っている事も、何も変わってない。そうだとしたら、この場合に限りカナリアは……。
期待に満ちた私の目に、カナリアとマリス嬢の姿が映る。
マリス嬢の顔を掴むと、カナリアは自分の顔に近付けて、侮蔑にも似た瞳で睨んだ。
「たかだか新興貴族の娘の分際で、正統なる貴族の令嬢を貶めようとするなんて、許せないわ。貴女、自分の中身を見た事はあって?」
「え……?」
「マリス・シュリントン、貴女の噂は私の耳にも届いているわ。嘘吐きでお喋りではしたないって評判よ。確かに異性の目は誤魔化せるかもしれないけれど、私たちの目は誤魔化せなかったわね」
「あ……、どうして? 誤魔化せない訳ないじゃない!」
「廊下ですれ違ったのを覚えていないのね。私は貴女と二人組の男たちの会話を聞いたわよ。ああ、それと、仮面を取ってしまったら無礼講はもう出来ないわ。可哀相に、嘘吐きは舌を引っこ抜かれなさいな」
カナリアはマリスの口に手を入れて、本当に舌を引っこ抜こうとしている。
今まで本や噂話、あるいは歴史の中で悪事を働いた悪役令嬢の話はたくさん見聞きしてきたけど、そのどんな悪役令嬢よりも芯があってブレないカナリアは、マリスよりも一枚上手だった。見事な立ち回りは、思わず心を鷲掴みにされてしまう程。
……それにしても、心境の変化でもあったのかしら? カナリアがすごく格好良く見える。敵の敵は味方って言うけど、正にそれ。以前は生まれ付いた身分ばかりを気にしていたけど、内面に磨きがかかった? 筋を通しているカナリアの振る舞いに気高さを感じるだなんて……。
ま、舌を引っこ抜こうとしている事は、高貴な行いとは違うけど。
「カナリア!」
注意を促すと、カナリアはすぐさま手を止めた。
「フンッ! 貴女の為にやった訳じゃないわ。私は私自身の血に誓って、正しい事をしたのよ」
「うん。でも、ありがとう」
カナリアがしてくれた無実の証明を無駄にはしたくない。
私は身バレ防止の仮面を脱ぎ、寝台の上に置いた。




