出会い
転生した先であるこのマリンティア王国は、六大陸に渡る世界の国々の中でも、五指に入る経済力と国力を誇る強国だった。自然豊かで広大な領地、肥大な土壌、恵まれた気候、そして資源がある国でもあったけど、隣国との関係はあまり良好とは言えず、断続的に戦争を起こしている関係だ。
最初に抱いた印象は、中世ヨーロッパ風な世界だろうか。世界史には詳しくないけど、漫画やアニメから得た知識と目の前の風景は酷似していて、漠然とそう思った。もちろん、制度や仕組み、国での常識、価値観、風習等が教科書で習った通りだとは思っていない。
それに、人気がなく自然豊かな所や結界が緩んでいる所、国境付近には魔物がいる。魔物の出没を結界、つまり魔術結界で抑えている現状がある。
マリンティア王国にはマリンティア王国のお国柄があるのだ。
そんな場所で十六年過ごしたある日、前世から引き継いだ執念にも似た想いを秘めて、私は社交界デビューをした。幼馴染のカイルと一緒に、王城で開かれる煌びやかな舞踏会場へと足を踏み入れたのだ。
「ロメリア、まだ時間があるから少し席を外すよ」
「分かったわ、カイル」
「挨拶だけしたら、また戻ってくるから」
「うん」
手を小さく振り、快くカイルを送り出してみたけど。
うん。ちっとも緊張が解れないし、足がふわふわする。しかも、今日初めて舞踏会場に足を踏み入れたデビュタント(初心者)なのに、早速ぼっちだ。
カイルの後を追いかけてみる?
でも、カイルはあんなに嬉しそうな、いや、表情に締まりがなくデレ顔で、しかも小走り。その視線の先には私と同じ純白のドレスを着た令嬢たちがいて、どの令嬢も会場の華やかさに負けないくらいのキラキラ笑顔。
追いかけるのはやめておいた方が良さそう。
きっと、あの輪の中にお近付きになりたい令嬢がいるのね。
幼馴染のカイルは気弱で優しそうな外見なのに、中身はがっつり肉食系で物怖じしない性格だ。カイル曰くそれも計算行動だそうで、皆すっかり騙されている。令嬢たちはそんな部分をギャップ萌えとして受け入れているのか、カイルは人気があるとお母さまは言っていた。
令嬢たちの輪に臆する事なく入っていけるカイルを見たのは、初めてじゃない。そんなカイルを見る度に、いつも話し上手で羨ましいと思ってる自分がいる。私にも結婚相手を探そうという意気込みはちゃんとあるのに、会話が続かない(特に初対面の異性)。だから、前世の私は結婚まで辿り着けなかったのだ。まぁ、その反省点も主観的なもので客観的判断じゃないから、それだけが原因とは言えないけど。
婚活に必要なスキルが足りてない事は、痛感してるつもり。
他人の事にも余計な詮索はしないと弁えてるつもりだから。
カイルに余程お近付きになりたい令嬢がいても、首を突っ込む野暮な事はしない。私も純白のドレスを身に纏っている令嬢だけどカイルの眼中に入っていないように、私もカイルには幼馴染以上の感情は持っていない。
でも、でもね……。
右も左も分からない社交界の初舞台で、ぼっちにされたくなかったっていう恨み言は言わせて。
お母さまに『ロメリアは緊張しやすい性格だから、付きっきりで頼むわね』と言われた時、カイルは『お任せください』と言い切ったわよね。バカバカバカイル! 緊張し過ぎて負荷をかけた背筋が痛いし、ギュッと引き締めたドレスで息苦しい。大きくて、無駄に光り輝くシャンデリアには視界を眩まされるし。ダンスを踊る前にすでに体力を削られて、ぼっちでさらに心が寒いなんて、散々だ……。
――――はぁ、少し歩こう。
緊張はどうにかして解しておいた方が良い。ダンスでミスをしてもカイルは笑ってくれるだろうけど、今後社交界と長い付き合いになる身としては、出だしで失敗したくはない。
ついでに、ホール内も視察しよう。
壁伝いに歩いて行くと、仲間を見つけた。もう見た瞬間に察した。私と同じ、緊張体質の子。俯いて存在感を消して、ダンスの時間になるのをじっと待っているのだろう。
分かる、分かるよその気持ち!
「緊張するよね?」
「え?」
「私もそう。私は子爵家のロメリア・グレイス。宜しくね」
「あ、わ、わたくしは伯爵家のセリアンヌ・シュタベル」
顔を上げたセリアンヌ様の美しさに度肝を抜かれる。
華奢で小柄で守ってあげたくなるタイプで、緊張して震えているのも可愛く映る。私が男性ならこんな綺麗な令嬢を放っておかないのに、セリアンヌ様のダンスパートナーはどこへ? ああ、それにしても金髪の縦ロールはしっかり形を保っていて乱れなく、海の宝石のような瞳に心を吸い込まれそうだ。口や鼻は小振りなのに、目はぱっちりしている。
同性なら話しやすいし、緊張しなくて良い。
その後、めちゃくちゃ話し込んで、やや強引に友達になった。この世界で初めて知り合った気の合いそうな令嬢だ。
そんなセリアンヌ様と別れた後、また元の場所まで壁伝いで戻った。でも、カイルはまだいない。ダンスの時間までまだ少しある。気のせい? ダンスホールの場がだいぶ和んでいるような気がする。人も増えた。
――――ん?
あの向こう側に人だかりが見えるけれど、何だろう。確か、舞踏会のホールを抜けてすぐの所にちょっとしたお菓子やフルーツ、ドリンクが用意してあるってカイルが言っていた気がする。
「ドリンク……」
口が乾いているし、行ってみようか?
だいぶ緊張は解れてきたし、前を向いて歩ける気がする。身体の変な所に力が入っているのは相変わらずで、明日は筋肉痛になりそうだけど。
よたよた歩いて行くと、ふとカイルの声が聞こえた気がした。でも、きっと気のせい。規則正しく鳴り出した旋律も、男女の甘い雑談さえも耳から零れ落ち、私の頭の中はドリンクの事でいっぱいだ。
やっとの思いで人だかりの隙間から見えたのは、お菓子やフルーツ、ドリンクではなく。
銀色の髪を後ろに束ね、群青色の瞳を持つ端麗な顔立ちの男性だった。
ドリンクじゃなかった……。でも、皆が見惚れて集まってくるのが分かる気がする。この男性、圧倒的な存在感を放っているわね。
「リリアム様は、どなたのデビュタントパートナーをされるのですか?」
「妹と」
「また次の舞踏会でリリアム様とダンスを踊りたいですわ」
「機会があれば」
聞こえてくる会話に耳を傾ける。
リリアム様って呼ばれていた男性 何だか困っているみたい? 行く先々まで付きまとう令嬢たち、容赦ないな。まぁ、線の細い輪郭の中に閉じ込められている高雅な美、誰にでも当たり障りなく接する優しさ、たまに見え隠れする冷たい眼差しに惹かれて、付いて行きたくなるのは分かる。目の保養にもなるし。
――――って痛い。今、靴を踏まれた!?
視線を左右に動かして、周りを見渡す。
偶然? それとも……。 あ、わざとだ。
黄色い声でその男性に声をかける令嬢たちに、腕を爪で引っ掻かれた。自慢の赤毛も引っこ抜かれた気がする。周りに気付かれないようにこっそりやるから、質が悪い。同じデビュタントなのに、これが社交界の洗礼!? 何も知らずに近付いた私が馬鹿だった。
たまに『邪魔よ』と囁かれるその低い声は、雑音に上手く溶け込んでいる。意中の男性に気付かれずに威嚇の声と甘い声を使い分けているあたり、ただのデビュタントじゃない。私みたいな何も知らないデビュタントを排除して、これ以上“婚約候補”を増やさないようにしているのかもしれない。
その場を立ち去ろうとする私の背中にも肘を当ててくるのだから、華々しい雰囲気からすっかり現実に引き戻されてしまった。散々な初舞台だ。
「もう……あぁっ――――」
「大丈夫?」
背後から凛とした声がする。
あの男性の声だ。リリアム様だっけ。転びそうになる私を後ろから優しく抱き留めてくれたみたいだけど。
……うん。控えめに微笑む男性の背後から、殺意の塊がこれでもかというくらい飛んできてる。怖いいいぃ。
「そのデビュタントドレス、素敵だね。僕の妹も今日社交界デビューなんだ。緊張すると思うけど、初めての舞踏会を楽しんで」
「あ、はい。た、助けてくれてあり……がとう」
行っちゃった。もう少し大きい声でお礼を言えば良かった。
このリリアム様の二つ名が社交界の悪夢だと知ったのは、人だかりの突き刺さる視線から命からがら逃げ出して、元の場所まで戻って来た時。さっきまでいなかったカイルが、聞いてもいないのにリリアム様の情報を教えてくれる。
「あんな所にわざわざ行くなんて、ロメリアは面食い? それとも物好きの方かな? で、社交界の悪夢と言われている侯爵家の嫡男、リリアム・クロッカスを間近で見た感想は? どんなに気立てが良くて美人で身分の高い令嬢でも、ちょっとした事で婚約破棄されると言われているらしいよ。だから悪夢。そこがまたミステリアスで暴きたくなるって噂だけど」
「リリアム様が社交界の悪夢……? どっちかって言うと、周りにいた令嬢たちの方が悪夢じゃ……。あ、でもカイル。私は面食いではないし、惚れた訳でもないから」
「リリアムに惚れないって事は、まさかロメリア。俺に惚れてる?」
「馬鹿な事言わないで。カイルはただの幼馴染!」
「はいはい。でも、さっきより緊張が解れてるようで良かったよ」
言われてみれば疲労感は半端ないけど、変な所に入っていた力が抜けてる。
――――リリアム様か。
助けてもらった時、少しだけ心が揺さぶられた。でも、私の経験上、競争率の高い男性は絶対苦労する。恋愛だけならまだしも結婚するなら中身も大事。だから、だから……。
沸き上がりそうな気持ちに今はそっと蓋をする。
これが私とリリアム様の出会い。