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高貴なる者

 生まれてから一度もお辞儀に想いを乗せた事はない。生まれながらにして高貴じゃなかったからとかそういう理由じゃなくて、子爵家に引き取られ淑女教育をそれなりに受けた後も、お辞儀はいつも形だけだった。


 だけど、今この場においてはその限りじゃない。渾身の想いを乗せたお辞儀をした。


 顔を上げると、外の空気にも負けない冷たさがこの会場を包んでいた。近くにいる老紳士と言っては失礼かもしれないけど、その人の息遣いさえも聞こえてきそうな程の静けさが、あんなに煩かった声々を黙らせている。



 さて……。


 今の状況は私の意図した事ではないけど、舞踏会の空気を乱した事は“何も持たない身分なし”の私が身をもって償うべきだと糾弾されるだろう。それならば……。


「リリアム様の意向を聞いたら、退出致します。鼠は鼠らしく巣穴に戻りますわね」


 もちろん、そんなつもりはさらさらない。物分かりの良い鼠を演じる為にそう意思表示をしておいた。下出に出た方が何かと都合が良い。


 長い人生の中のたった今、この瞬間だけは緊張を押し殺して、感傷に浸るのもお終いにする。


 人目を避けるように身体を横に向け、手で隠しながら、素早くドレスの胸元からそれを取り出した。



「あ、そうだわ。リリアム様の意向を聞く前に、お渡ししたい物がありました」


 カナリア様の方に身体を向けてひと芝居打ち、小さな袋を見せた。


 今日のラッキーアイテムを使わせてもらうわね。ま、使った所でもうどうにもならないかもしれないけど、悪足掻きくらいはさせてもらう。このままでは腹の虫も治まらないし、何より可愛いエリオットが用意してくれた物だから。


 コツコツと靴音を立てながら、カナリア様に近付いた。


「カナリア様、手を出してください」

「どうしてよ」

「貴女の落とし物を拾ったので……」


 戸惑いつつも、カナリア様は素直に手を差し出した。


 そうよね、落とし物と言われたら手を出してしまうのが人間の性質さが。それに加え、私が下出に出た事も効果があったようで、上手く引っかかってくれた。さてさて、今から下品な程に驚いて、生まれながらにして高貴な令嬢の手本とやらを見せてくださいね。




「はい、どうぞ」

「フンッ――――、えッ、ぎゃああああああああああああ!!!!!」


 カナリア様の悲鳴を聞きながら、取り巻き令嬢たちにも()()を渡していく。令嬢たちが事態を把握する前に配ったから、悲鳴が連鎖反応のように起こった。



 ああ、もう! 予想通りの反応をありがとう♡



「だ、誰かこの汚らわしい生き物を殺しなさいッ!!!!! 誰か……、もう良いわ、(わたくし)が……」


 直後、カナリア様は自身の靴で()()を踏み潰した。


「カナリア嬢、その言葉と行為は、毒蠍の加護を持つ者を輩出してきたクロッカス家を冒涜するものだが?」

「あ……、私とした事がつい……。リリアム様、申し訳ありません。決してそういう訳では……」

「キミとは婚約を破棄して良かった。こういう状況に陥ると、人間の偽りない本質や考えを知る事が出来る。例えキミが侯爵家の令嬢であっても、高貴とは言えないな」

「確かにそうですね。生まれながらにして高貴って、貴族なら誰にでも無条件で当てはまると思ったら、大間違いだと思います」


 リリアム様の言葉でもとどめの一撃なのに、こことぞばかり私も追撃の言葉を浴びせると、カナリア様の顔は真っ赤に染まり、私の横を通って扉から出て行った。


 先ずは一人、片付けた。




「きゃあああああー!!!!」

「誰かこ、これを取ってえぇー!!!!」

「ひ、ひ、ひいいいいいいいいいッ!!!! いやああああ」

「怯むな、踏み潰せ!」


 会場内は未だ混乱状態が続いている。


 私にはカナリア様もその取り巻き令嬢たちも鬱陶しいと思ったけど、それ以上に、冷たい眼差しを向けて牢獄のように取り囲む観衆ギャラリーが嫌だった。もちろん、私が知らない情報をカナリア様から伝えられた事はもっての外で、話題に出す事も吐き気がするけど。


 本当に可笑しい。こんなに大勢人がいるのに誰も手を差し伸べないなんて、社交界は腐ってる。


 だから、周りを巻き込んで細やかな仕返しをしてやったわよ。今日の舞踏会に私は足跡を残した事でしょうね。ふわっとした雪の下地ではなく、公爵家主催の舞踏会場という神聖なるその場所で、くっきりと足跡を……。過去の事を思えば目からしょっぱい水が出るけど、その涙を落とさなかった事は褒めて欲しい。


 こんな私でも、精一杯反撃したのだから。


「貴族は生まれながらにして高貴なんじゃない。何を考え、どう行動するかで身に付くものよ」


 ドヤ顔でそう言い放った。ま、偉そうに言ってる私にも、高貴さは備わっているか不明だけど。



「ロメリア、この毒蠍は?」

「あ、はい。これは布で作られた毒蠍の人形ぬいぐるみです。エリオットが今日のラッキーアイテムだと言って、渡してくれたものですが……」

「弟のエリオットか。あの時は世話になった。まさかエリオットにこんな特技があるとは……。男が針仕事のような真似をするのも、面白い」

「しっかり縫い込んであって、見栄えも良いでしょう? エリオットは自慢の弟なのよ。本当に何でも出来るんだから」

「しかし、これはどういう原理で動いて……まさか……!?」


 リリアム様は不思議そうにしていた顔を真顔に戻した。


「あの、私にも良く分からなくて……。ただ、毒蠍の人形ぬいぐるみをこんな風に使ってごめんなさい。良い気はしませんよね、特に毒蠍の加護を持つリリアム様は……」


 リリアム様に向かって頭を下げ、謝罪をする。


「いや、むしろ清々しい。毒蠍に変身した事がある僕にとっては、今目の前にある風景は見慣れたものだ。大抵の人間はいつもこういう反応を示す。だから……いつかはやり返したいと思っていた。ああ、この事は秘密で」

「は、はい」


 リリアム様は会場内を見ては、喉仏を振るわせて笑いを堪えている。意外……、リリアム様でもそういう子供の仕返しのような気持ちを持つのね。それがちょっと嬉しいなんて、増々、未練タラタラになっちゃうじゃない。私もこの後、法律に則って婚約を破棄される予定なのに。


 リリアム様はいつ、どんなタイミングで、私との関係を終わらせるのだろう。


 考えるだけで、胸の奥がズキズキした。







「う、うわあぁぁッ!! 猛毒でし、死ぬぞォおおッ!! 逃げろォおおおー!!」


 悲鳴に泣き声が混ざったかと思うと、誰かが避難指示を出した。扉に人の群れがどっと押し寄せる。死にたくない貴族たちは我先へと押し合い圧し合いをして、扉に群がっていた。その光景と言ったら、醜い事この上ない。


「ん? あれ、少しやり過ぎた? でも、たかが毒蠍の人形ぬいぐるみなんだけど。……って何か変だわ」


 布製の毒蠍の人形ぬいぐるみは、手のひらサイズ。片手に乗るくらいの大きさだ。でも、今は両手分の大きさになって会場内を動いている。目に見えて分かる程に数も増えた。一番気になるのは、毒蠍が布ではなく()()()()()()()()をしている事。



「一体、何が起こって!?」

「会場内にいた人全員を追い出すなんて、ロメリアは凄いな。これで邪魔者ねずみは一匹残らず巣穴に帰った訳だ」

「こ、これがラッキーアイテムの効果? 毒蠍の人形ぬいぐるみを渡しただけで? でも、何だかスッキリしましたね。ここにいるのは、リリアム様と私だけ。…………って、笑ってる場合じゃないですよ。リリアム様!」

「なぜ?」


 なぜって……。冷静になって考えてみると、色々と問題が……。


「こんな大事おおごとにする予定ではありませんでした。最初はただ、カナリア様たちが周りを巻き込んで、リリアム様に私との婚約を破棄しろと告げた事が嫌でした。身分で結婚出来ないのも嫌。それをカナリア様に言われるまで知らなかった事も嫌。周りがそれを見て薄笑いをしているのも、冷たい視線を突き付けてくるのも、全部嫌でした。どうせ婚約を破棄をされるなら、せめてこんな状況を作った人たち全てに仕返しをしたいって……」

「うん、それで?」


 ……気の所為なんかじゃない。リリアム様、さっきからめちゃくちゃ嬉しそうなんだけど、どうして?



「そ、それで、エリオットから貰ったラッキーアイテムを使った結果が今の状況です。どういう訳か、毒蠍がまるで本物のようになって暴走してますけど、どうしてでしょう……? どう考えてもヤバいですよね。両親が築き上げてきた人付き合いも、全部ひっくり返してしまったから、私、確実に社交界を追放されますね。明日、絶対王城に呼び出されて、それで……」



 原因はどうあれ、私だけが罰を受けるのは明白だ。毒蠍が本物のようになって暴走したのは不可抗力だと言いたいけど、責任の所在は私にあると誰もが口を揃えて言うに違いない。ああ、両親やエリオットにも迷惑をかけてしまったわね。これから噂が消えるまで、ずっと後ろ指を指されながら生きていかなくちゃいけないなんて……。そんなの私だけで良いのに。



「はぁ……」


 頭を抱える私の横で、リリアム様はそれでもまだ余裕があるのか、依然として笑顔だ。


「大丈夫。僕も一緒に王城に行って弁明するし、ロメリアの良い所を伝えるから」

「それでどうにかなれば、良いですけど」

「ロメリアは、本当に()()()()()()()()()()()と思っているのか?」

「え?」

「会場内から僕たち以外全員を追い出すなんて、歴史上ロメリアが初めてだ」

「もう……。今は揶揄うのはやめてください。社交界追放に婚約破棄、もっと酷ければお父さまの爵位剥奪だってあるかもしれないのに。そんな歴史上初めてなんていりません」


 リリアム様にピシャリと言い返す。


「ロメリア、こっちを向いて」


 ふいっと背けた顔をまたリリアム様の前に戻された。そのまま近付いてきて、唇にそっとキスを落とされる。


「へ?」

「婚約破棄は絶対にしない」

「でも、法律が……。魔法が使えるなら、リリアム様はこの国にとって国宝級の人材です。だから、結婚相手もそれに見合う人間を選ばないといけないんですよね? カナリア様曰く……」

「ああ、そうだ。ま、どうにもならない時は国外逃亡しよう」

「ええっ? 国外で暮らすリスクを取ってまで、私と一緒にいる価値がありますか?」

「愚問だね、僕にとってはある。この国の貴族や令嬢たちは皆、内面を見ない人が未だに多い。それに比べてロメリアは人間性を大事にするし、リベラル派。隣にいると退屈しないし、楽しい。だから、あまり自分の事を悪く言わないでくれないか」


 リリアム様にそう肯定されると、自分の中の気持ちが素直さを取り戻し、卑屈な気持ちが逃げていく。不思議……。リリアム様の声掛け一つで、起きた事全部が簡単に処理出来そうな事に感じるだなんて。



 幸せ者だ、私は……。好きな人に愛してもらえて、両親や友人にもとても恵まれた。



「もう一度確認の為に言うが……、僕と結婚してくれますか?」

「はい、喜んで」

「それから二人きりの時、僕の事はリリアム、またはアムと呼んで欲しい」

「はい」


 足元でカサコソと蠢く毒蠍に囲まれながら、私はその甘い言葉と異様な光景を受け入れた。

毒蠍の人形を“ブラパッド”として詰め込むロメリア……。なーんて事はご想像にお任せします。





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