幸せでした
ふぅ……。
気が重たくなるような話だったのに、お父さまの言葉が嬉しかった。私だってお父さまたちを悲しませたくない。でも、自分の考えは曲げたくない。
「きっと良い方法がある……」
今夜の舞踏会にリリアム様も出席する筈だから、その時に相談してみよう。もちろん、このラッキーアイテムも持って行かなくちゃね。その前に中身を確認しよう。どれどれ……。
「こ、これは……!」
エリオットらしいと思いながら、そっと袋を締めて自室へ戻った。
◆
夜の闇が空を染めた後、舞踏会場の灯りが空から降ってくる雪を照らした。馬車から見える幻想的な風景は私の心情とはまるでかけ離れていて、心に何も足跡を残さない。
私はあんな雪にはならない。すぐ消えてしまって足跡を残せないような雪には。だって私は、今日の舞踏会に足跡を残すつもりで来ているのだ。気合の入り方が違う。人間って不思議な生き物で、腹立たしい事が起きると、その他全ての事が気にならなくなっちゃうのよね。
末端冷え性で悴む指先も、今日ばかりはあまり寒さを感じない。胸の内に渦巻く感情を何とか抑えながら、公爵家主催の舞踏会場内に入った。
リリアム様はどこだろう?
「ロメリア、今日の舞踏会には来ないかと思っていた……」
私がリリアム様を見付けるよりも先に、リリアム様が私を見付けた。噂を耳にしたのだろう。お父さまと同じくらい顔色が悪い。
「社交界の噂を?」
「ああ、僕の所為でロメリアに迷惑をかけたみたいだ」
「噂って、誰がどんな噂を流したのですか?」
「それは――――」
雑音の中に、こちらに近付いて来る靴音が響く。複数人の視線が私の身体を突き刺した。
「あら、社交界に鼠が一匹入り込んだみたいね」
真っ赤なドレスを纏い、派手な手扇子を向けてそう主張するのは、カナリア様。その背後には取り巻き令嬢たちがいる。
「丁度良かったわ。ここに役者が揃っている。今日お集りの皆さまも一緒に聞いてくださるかしら? 噂の事を」
カナリア様が声高らかに言うと、周りにいた人たちがこちらに注目した。
『まぁ、今一番の噂と言ったら……』
『身分も名前も持たなかった訳アリ令嬢と、社交界の悪夢と言われた侯爵家嫡男の婚約話よね?』
『身分違いも甚だしい。階級社会が汚れるな……』
『子爵家の養子と言っても、所詮は鼠が皮を被ったに過ぎないじゃないか』
『まだまだ古いしきたりを守りたがる貴族も多いから、ご愁傷様って感じよね』
『前例主義に倣えば、社交界追放か?』
『う~ん、グレイス卿とは親しい仲だが……。ここは中立の立場を取り、静観しよう』
口々に囁かれる言葉は、どれも厳しくて痛い。昨日の今日でもう噂が広がっているという事は、誰かが悪意ある広め方をした所為だ。ああ、立っているだけで精一杯だけど。
でも……。
屈したくないのよ。あんな噂好きで他人の不幸が蜜の味だと思う貴族たちに、負けたくない。どうして貴族は他人の不幸が好きで、貴族の血を持たない者を迫害するのよ。そんなに私の幸せを壊したい? 傷付く顔が見たい? ああ、そうね。リリアム様に婚約破棄されたカナリア様や取り巻き令嬢たちは、私の不幸も見たいでしょうね。婚約破棄されるその瞬間を……。
だってそれは、人間の醜い本質だから。
気持ちだけはしっかり立たせ、カナリア様を睨む。でも、身体が気持ちに追いつかない。射貫かれている訳でもないのに、まるで言葉の矢が突き刺さったような錯覚を起こして、身体がふらついた。リリアム様がさり気なく腰を支えてくれている。
「周りを巻き込むのはやめてくれないか、カナリア嬢。これは僕とロメリアの問題だ」
「本気ですか? まさかこの鼠と?」
「鼠じゃない。例え侯爵家の令嬢と言えど、彼女に対する侮辱は許さない。もちろん、貴方たちもだ」
リリアム様はカナリア様だけではなく、周りにいる貴族たちにも釘を刺した。
「僕は保守派の貴族とは違う」
リリアム様の言葉に一段と殺気が増したように見えたカナリア様は、ふと急に笑顔になった。
「ふふ、私とした事がつい我を忘れて言い過ぎましたわ。別に鼠のような令嬢がいようとも、わざわざ社交界から追放するつもりはございません。私たちも保守派ではありませんから。ただ……」
何だろう、この手のひらを返されたような嫌な感じは……。
カナリア様はリリアム様に近付いていく。
「さあ、リリアム様。私たちと同じように、この女にも結婚破棄を告げて下さい」
金切声でカナリア様は言うと、周りにいた令嬢たちが強かな笑みを浮かべる。彼女たちもまたカナリア様同様、リリアム様に婚約破棄された同じ穴の狢。
「このロメリア・グレイスの身分は紛い物。高度な魔法が使える者は、生まれながらにして高貴な者と結婚しなくてはいけないという法律をお忘れですか?」
「ああ、それは知っている。能力を子供に引き継ぎやすいからね」
「なら話は早いですわ。お二人が例え惹かれ合う仲だとしても、決して結ばれません。ふふ、私たちは何も仲を引き裂こうとしている訳ではありませんわ。傷が浅い内に、忠告を申し上げようと思ったまでです」
「……そうか。確かに今のままでは結婚は出来ない。王の許可も下りないだろう。それより、高貴な貴族は盗み聞ぎなんてはしたない真似をしないのでは?」
「た、たまたま近くを通りかかって聞いたのですわ」
カナリア様はレースがあしらわれた手扇子で、顔をパタパタと扇いだ。
――――ねぇ、何それ。私知らない。そんな法律が本当に? それじゃあ、私のしてきた事って全部無駄だった? 何も持たない私は、どう足掻いてもリリアム様と結ばれないじゃない。もしかして、私の出自を知っていたら、リリアム様は婚約の申し出をしなかった? じゃあ、私は? その法律の存在を知っていたら、リリアム様の事を諦めていた?
ああ、嫌だ。そんな事聞きたくないし、考えたくない。
でも、一番嫌な事は、こんなやり方で知りたくなかった事だ。令嬢たちにとやかく言われたくなかった。他人の不幸が大好きな貴族が今か今かと私の不幸を待つ中、こんなやり方でこんな大事な事を知りたくなんかなかった……。
ああ、そっか。私がお父さまの反対を押し切って舞踏会に来てしまったから、その報いを受けただけ、か。
「はは……」
隣にいるリリアム様をそっと見る。
でも、やっぱりリリアム様が良かった。婚約破棄を告げるのは、リリアム様だけで充分よ。充分過ぎて、泣きそうなくらいなんだから。
だから。
下を向くな、笑え、ロメリア! 身分で結婚出来ないこの世界の常識に屈するな。身分なんてなくても私には……。
「な、何よこの女。笑ってる?」
「関係のない貴女たちに、色々言われたくはありません。でも、リリアム様の意見には従おうと思います。その前に……」
「ロメリア?」
思い返せばふと目に浮かぶ過去の事。どうしてこんな時に思い出したのだろう。
幸せな日々だった。出会ってから婚約に至るまでは、まるで物語のようにリズム良く進んで……。昨日は幸せの絶頂だった。まぁ、束の間の幸せだったけど。
私、ロメリア・グレイスは幸せでした。
老若男女の紳士・淑女である彼らに、塵程もない敬意とこれから起こる事への謝罪を込めて、私はお辞儀をした。




