5年前②/婚約
――――ガサッ。
雪崩が起きた本の隙間から何かが動いた。
お化けって地面を這って動くものだった? 怖い、怖くない、怖い、怖くない。アム……。
心の中にはアムを求める声と恐怖とそれに抗う少しばかりの力がある。
「どこに……いるの……?」
勇気を振り絞って出した声は思いの外、小さかった。でも、そんな小さな問いかけに応えてくれたのは、アムではなく一匹の毒蠍。尾尻の毒針が水晶みたいに綺麗な蠍だった。
一瞬だけ見惚れてしまった気がする。
「わ、私はあなたの事、怖くないから! 毎日、弟のエリオットに鍛えられいるし。あなたより怖い毒の生物たちに接しているんだからね!」
毒蠍と目が合った気がしてふと我に返り、負けじと睨み返しては虚勢を張った。一方、毒蠍は威嚇する事もなく、大人しくその場にいる。
あ、あれ……? この毒蠍、エリオットが飼っている毒蠍よりも気性が荒くない気が……。私に全然近付いて来ないし、それどころか毒針をクイクイ動かして、何かを表現してる?
「もしかして、こっちに来いって言ってるの?」
酷く直感的な、子供特有のメルヘン思考でそう思った。
私が毒蠍の後を付いて行くと、毒蠍は歩を進める。でも、時々私を振り返っては立ち止まった。
やっぱりそうだ! この毒蠍、普通の蠍じゃない。もしかして私、毒蠍と心が通じ合えるのかも! エリオットの毒の生物たちとは一ミリもそうなった事はないのに。
きっと、恐怖心からメルヘン思考に加速がかかってしまったのだ。そう思い込めば思い込むほど、怖くなくなったから。
頼もしい毒蠍に導かれ、右へ左へと曲がりながら歩く事、数分。見覚えのあるエントランスが見えた。
「あ、ここから外に出られるわね……」
私の背よりも何倍も大きな扉がある。
「ありがとう、毒蠍さん」
振り向くと毒蠍はもういない。その代わり、アムがひょっこり現れる。
「ロメリア、見ーつけた」
勢いよく現れたアムに抱き付かれた。
「え、ちょっと待って今のなし! 私、迷子になりかけていたんだから!」
「どこにいても、僕はロメリアを見付けるよ」
「アムが私を見付けられたのは、毒蠍のおかげよ。私があの部屋に隠れたままなら、アムでも見付けられなかったんだから!」
「毒蠍? ああ、あの毒蠍は加護の魔法だよ」
「……加護?」
「うん、加護の魔法。ロメリアの行動に吃驚して、出てきちゃったんじゃないかな? ロメリアは将来僕にとって大切なお嫁さんになるだろうね」
アムの表情は相変わらず隠れていて分かりにくいけど、何だか嬉しそうに笑っている気がする。
う~ん。でも、どうしてそうなった? っていうか、そんな大事な将来の事、勝手に決めちゃっていいの!? しかも、今日初めて会ったのに?
よく分からないと思いながら、社交辞令用の笑顔を作った。だって、もう会う事もない。お父さまに連れられたのだって、社交界前の練習の練習みたいなものだし、明日からは新しい家庭教師が来て、淑女教育や家政の知識、ひいては花嫁修業のお勉強が始まる。
私は令嬢が行く学校へは行かないけど、忙しい身なのだ。
アムだって、歳は分からないけど、学校へ行っている、または行く予定の筈。お互いこれから階級社会に揉まれる為の知識を身に付け、摺り込みの如く貴族として襟を正す毎日を強要されるだろう。今日の出来事なんか一瞬で忘れる。
もし大きくなって社交界で会ったとしても、貴族社会に染まったアムを私は好きにならない。
「………………からね」
「え?」
この時、アムは何かを言っていたけど。庭からお父さまの呼ぶ声がして、私は別荘から出た。私がいない事に慌てふためいていたお父さまは、屋敷の中で迷子になっていたと聞くと、そっと抱きしめてくれた。
アムとの遊びは、そこで終わった。
帰る時、アムとは一言別れの挨拶をしたかったけど、タイミングが悪く出来なかった。こんな印象に残りそうなパーティーでも、記憶の片隅に追いやられてしまった理由はそれだ。
そもそも、アムがリリアム様だなんて、夢にも思わない。いや、前髪を上にあげたアムは、今思えば確かにリリアム様を子供にした感じで似ていたかもしれない。
これが本当のリリアム様との出会いだったなんて……。
『大きくなったら、迎えに行くからね』
目を見開いて、上半身を思い切り起こす。
「思い出した!! 確かアムは、私がお父さまに呼ばれて別荘を出る時にそう言っていた……」
気がする。いや、確かに言っていたけど……。子供の約束なんて、頼りなくて信じられない。
「一回、リリアム様と話をした方が良いのかも……」
幸せな婚活→結婚のためにも。
◆
「ロメリア、大変だ!」
次の日の早朝。お父さまが忙しなく床を鳴らしながら、叫んでいる。身支度をとっくに終わらせていた私は、読んでいた本を机に置いて一階へ降りた。
「お父さま、何かありました……か?」
お父さまが持っている手紙を見た瞬間、身震いした。
あの蠍の形をした封蝋、もしかして……。
「クロッカス家からですか?」
「ああ、そうだ」
「手紙の内容は……。何て書いてありました?」
「ロメリアと婚約したいと……」
ああ、やっぱり。もう自惚れても良いのかもしれない。
「どうする? 相手は社交界の悪夢だぞ。可愛い娘が婚約破棄されると分かっていて、返事をする馬鹿がどこにいる……。でも、世話になっている侯爵家だしな……」
「お父さま、まだ破棄されると決まった訳では……。とりあえず、手紙の返事もしますけど、リリアム様とお話がしたいです」
「賛成はしないが……。ロメリアがそう言うなら、お前に任せよう」
お父さまは了承してくれたけど、顔は真っ青だ。お洒落で伸ばした髭も、心なしか元気がないように見える。
「姉さん、僕は反対だよ。傷付く姉さんの顔、見たくない……」
いつの間にか背後に立っているエリオットに顔を向けると、天使の顔して頬を膨らませている。
可愛いな。そうやって拗ねてる姿も。
「大丈夫よ、リリアム様が何で社交界の悪夢と呼ばれているのか、その理由をこの前聞いたから」
「そう言う問題じゃない。リリアムはまだ姉さんに言ってない事がある」
いつもより少し声を荒げて、エリオットは目をつり上げた。
いつもの可愛い顔、じゃない……。大人びた男の顔してる。そっか、いつの間にかエリオットもそんな顔するようになったんだ……。
「心配してくれて、ありがとう。エリオット」
頬っぺたにキスをして、私は使用人に今日の予定を伝えた。




