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魔術師メアリーの困惑

作者: P.B.I.F

練習

 母の股ぐらから這い出て十と少しの魔道士メアリーは激怒した。悪逆非道の党首を許すわけにはいかない。

 話を聞いた時点でその足は、党の住処へと向けられた。今は肩を怒らせ、敷石と靴裏の音を響かせながら党の談話室を目指している。

 メアリーは天才と言ってもいい魔術の才能を持ちながら研究者ではなく、勇気あるものという敬意と、強欲なものとして侮蔑を受ける探索者として身を立てていた。

 まだ駆け出しの探索者でありながら、野良ではなく党にも所属できる神童だ。とはいっても歴史ある上級の党には所属できない。そういった場所には由緒正しい背景、賄賂、売春といった裏技のどれか、あるいはすべてが必要だ。メアリーは寂れた牧場の四女であり、貴ぶべき血も、日銭には困っていない連中が驚くほどの賄賂も用意できない。しかし、天は二物を与えたようで、魔術だけではなく容姿にも恵まれメアリーは愛らしい顔をしている。うまくやることができれば容姿を利用して、上級は無理でも、中堅どころの党になら所属できたはずだった。けれども、二物与えられたことが彼女をそうさせなかった。

 高い魔術の才能は希少価値がある。ちょっと運が良くて長生きしただけでも所属できるのが中級だ。魔術王にも劣らぬと自負する魔術の才を持つ自分がなぜ、程度の低い連中の下の世話などしてやらなければならないのか。

 そういった驕りとも呼べる自尊心により結局下級の党『憂国の志士』に所属している。

 志士とは名ばかりであり、なにかの皮肉なのだろうがメアリーは由来を知らない。『憂国の志士』の根底にあるのは、暴力と暴虐だ。

 相手は邪魔なもの全てだ。ダンジョンのクリーチャーや野良の探索者はもちろん、同格の党だろうと、中級、上級の党でも、職業別組合だろうと王国軍でも帝国軍でも、神父、町民、商人、きっと王や神でも同じ。誰であろうと邪魔をすれば殴って喰らって犯す。最低限の品性も持たない蛮族こそが『憂国の志士』であり、その党に所属するメアリーも蛮族志士の一人だ。

 メアリーはこの党に入ってからまだ日が浅く末席であるが、十もいないこの党党員での戦闘能力は上位であると認識していた。

 談話室の扉を勢いよく開けると、ソファーに背中を預けた茶色い竜人が紙束を摘むようにして持ち上げていた。身躯は微塵も動かさず、その冷たい眼を紙束からメアリーに向けた。

 『鉄壁のペーパー』悪ふざけのような通り名を持つ一人だけの談話室に、メアリーは怒りを顕にした足音のまま入室した。


「党首は部屋にいるのかしら?」


 顎で談話室の先にある党首室を指しながら、相変わらず紙に眼を戻してメアリーを黙殺したペーパーに声を掛ける。

 竜人、ドラゴニュート、呼び方は人それぞれだが、指すのは超常の生物だ。生物の極限のような肩力、生物ではありえない魔力。お伽噺や伝説にも登場するような怪物であり、現実にも存在する種族。小国であれば一人でも傾かせると言われるほどの化け物。周囲全てに牙を向くような蛮族の志士が未だ健在である理由の一つ、武力を体現する存在だ。

 現存する人種族としては最強の竜人。山を崩し、大地を割る怪物。

 しかし、その程度だ。この党に連なる者は皆お伽噺や伝説程度の存在に驚きはしても怯えはしない。何故なら自らはお伽噺や伝説を超えている、と盲信している気狂いしかいない。

 無論メアリーもその一人だ。『憂国の志士』たる資格の一つ、真実一騎当千であること。

 だから、竜人がメアリーの言葉に返事を返さなかったことを咎めないのは、恐怖からではない。そもそも、返事があるとは思っていなかった。その証拠に談話室に入ってからも足を止めず、まっすぐ党首室を目指している。

 目的は党首だ竜人ではない。いるかどうかは党首室の扉を開ければわかるのだ。

 党首室の扉の正面まで来たメアリーが躊躇なく扉を開こうしたとき、竜人の大きな溜息が場を席巻した。

 鉄で石を砕くよう足音で矢の如く歩いていたメアリーの足は止まり、手も扉の取っ手に触れる寸前で止まった。

 竜人はメアリーの要件を知らない。ただ、君子危うきに近寄らず。怒りをその身で表現していたメアリーを視界から追いやり、質問にも答えず、我関せずを実施していたのは一重に面倒事に巻き込まれたくないからだ。一銭にもならぬ苦労をするのは純粋に嫌だった。

 しかし、先日捉えた盗人の虎人の処遇について党首と話す必要が出てきてしまっていた。竜人が眺めていた書類は他の党からの依頼書だ。どうやら虎人は盗賊系職業組合でも盗みを働いていたらしい。組合の城に外部からの侵入を許し、あまつさえ捕らえられなかったけど、面子のために虎人を自分たちが処分するから寄越せといった内容だ。実際にはもっと婉曲な言い回しだが、意味は同じだ。ふざけたことを言ってくれる。しかし、無視してもいいかどうか。『憂国の志士』は脳味噌まで筋肉には変えていない。だから、未だに存続している。新興の党は大きく目立てばすぐ潰されるのが通例だが、発足から二年、悪目立ちを続けている『憂国の志士』はその立ち位置のまま影響力を拡大させている。邪魔だから消えてほしい、しかし存在したほうが利益があると周囲に思わせる綱渡りの運営。

 盗賊系とはいえ職業組合丸ごと敵対するのは賢くない。職業組合には横の繋がりもあるし、まかり間違って国が動く可能性もある。たかが盗人だが、この返事によっては足元の綱が引き千切れるかもしれない。

 つまりは党首案件だ。責任が重いものは任せる必要があるし、任せたい。しかし、党首が忙しければ副党首のペーパーが対応しなければならない。メアリーの対処と盗賊系職業組合との折衝どちらがマシか。メアリーが談話室の入り口から党首室の前まで移動する間に考え抜いた結果、天秤はメアリーに傾いた。

 メアリーは跳ねっ返りの強い若者で、若者故に潔癖だ。何が原因なのかわからないし、原因などないかもしれない。けれども、話し合いで決着がつかなければ暴力でいい。弱ければ悪いのが我々探索者で『憂国の志士』だ。

 しかし面倒だったので、先程出た溜息は本心からのものだった。

 ペーパーが党首室の扉へ目を向けると、いつの間にか反転して扉を背に立つ少女と目があった。

 目を向けずに背後を見ることはメアリーには簡単だ。しかし、自らの魔術資源を不必要に浪費するつもりはなかった。

 メアリーは竜人を恐れてはいない。けれども、決して侮ってはいない。瞬きの間に自分を殺すことができると正しく認識している。それが自分に意識を向けている以上、阿呆のように扉を眺めて背を見せているわけにはいかない。

 メアリーが竜人が喉を震わせるのを認識すると同時に、鈍い音が竜人の口から漏れた。


「アレは遺跡の機械人形との戦闘からさっき帰ってきたところだ。もう少し寝かせてやれ。……要件は伝えておこう」


「リールが暴漢に襲われたと話してました」


 メアリーの台詞を聞いても、ペーパーの表情に変化はなかった。けれども、薄緑の虹彩が緑色の瞳孔にわずかに塗りつぶされた。

 『蒼雷のリール』はその名の通り、雷槌の魔法を得意とする森人であり、少し前までは『憂国の志士』だった。

 たとえ魔法を封じられたとしても、ただの暴漢が襲うことは不可能で、ありえない。

 『憂国の志士』は帝国とゴルゴダ共和国の間にある貧民窟の近くにある廃城を拠点としているし、『憂国の志士』を外れたとはいえリールは周辺の宿泊施設に滞在していたはずだった。

 貧民窟の住人は『憂国の志士』を当然恐れているし、リールは特に頭のネジが緩んでいるため一層恐れられていた。それにリールは事情が特殊だ。その事情ゆえ『憂国の志士』から抜けたようなものだ。

 ペーパーの意識はメアリーの奥の扉の中へ向けられた。今のメアリーの声が聞こえていたならば、何らかの反応があるはずだった。無反応ということは眠りについているのだろう。アレは強欲な男ゆえ自分のものを他人に盗られることは許さない。

 ペーパーは意識をメアリーに戻した。


「それは痛ましいことだ。それで?」


 ペーパーとしては、リールは『憂国の志士』から外れたとはいえ友人だ。その剣呑さ故、背中を預ける安心感と恐怖を思い出す。

 襲われたことを痛ましく思うのは本心だが、襲われたと話していることは命を奪われていないということで、暴漢はもう死んでいるはずだ。ペーパーには全てが終わった後の話に聞こえた。そうであって欲しかった。

 無論、ペーパーの内心を知らないメアリーから見れば、その反応はただの冷血漢にしか見えない。


「「それで?」元とはいえ同士を傷つけられたというのに無関心とは流石は冷たい血ですね!……私は今でも彼女の友人です。傷ついた友を見て黙っているわけにはいかない」


 静かな闘志を燃やすメアリーの眼をみてペーパーは認識と現実のズレを感じた。


「『冷たい血』と言ったことは見逃そう。……黙っていないとは? 残念ながら話の全容が見えないのだ。リールが襲われたがリールは生きている。ならば暴漢はもう死んでいるはず。メアリーが出来ることはリールを慰めることくらいに思えるが?」


「暴漢は生きてます!」


 血を吐くようなメアリーの宣言と突き刺すような瞳に、ペーパーは諦観を覚える。

 わかっていた。ペーパーはリールが襲われたと聞いたときから本当は気がついていたのだ。リールは頭のネジが飛んでいるが、強い。それが襲われたということは相手はリールを凌ぐ相当な実力者であるということ。しかもリールは生きている。わざわざ生かしたのはリールという戦士に対しての侮辱で、生かしたリールの口から話が伝わるのを望んでいる。

 敵の狙いは、蛮族の志士への挑戦だ。それも党員の誰かではなく、抜けたリールを狙ったのであれば敵の本命は党首室で眠る男である。

 つまり結論は同じ。暴漢は死ぬのだ。

 唯一の違いは、周囲の被害だ。党首の八つ当たりに何が巻き込まれるのかわからない。そこまで考えたペーパーはまた溜息を吐きたくなった。


「彼を起こして伝えよう。暴漢の特徴を教えてくれ。それが終わったら、メアリーはリールの側にいて上げなさい」


 ペーパーはソファーから身を起こす。

 ペーパーが暴漢を抹殺してもいいが、相手の指名は党首である。そもそも襲われたのはリールだ。ペーパーはリールの友人だが、それだけだ。ならば、この件はリール本人が片を付けるか、党首に任せるべきである。

 結局、盗賊系職業組合との折衝はペーパーがやらねばならない。そのことは憂鬱だった。けれども、襲われたリールを慰めるのは、男のペーパーよりもメアリーがふさわしい。

 メアリーは目の前の竜人が本当に何も知らないことに気が付き、声音から鋭さを抜いた。

「ああ、なるほど本当に知らなかったのですね。てっきり暗に黙殺しろと言われているのかと思いました。暴漢はこの部屋の主ですよ『鉄壁のペーパー』」

 メアリーが自分の背後の扉へ目を向ける。

 それを見て初めてペーパーは無表情を崩し、眼を普段よりも大きく開き、わずかながら口を開いた。


「……ありえない。本当にリールが言っていたのか?」


「ええ、『アントワーヌの蜜』でウェイトレスと話しているのを聞きました」




 『アントワーヌの蜜』は蛮族の志士達が贔屓にしている料理屋で、メアリーも志士の一人になってからはよく訪れていた。

 今日もそうで、遅めの昼食を取ろうと店に入ると、リールとウェイトレスのエリザが話しているのが見えた。

 挨拶するために近づこうとして、重苦しい雰囲気を察した。二人から見えにくい席につくと軽食と珈琲を注文して、聞き耳を立てる。神童であるメアリーには聴力を強化する程度なら詠唱も陣も必要ない。


「……になるのなんて何度もあったし、油断してた訳じゃないけど、信用しちゃってたのかな。いきなり羽交い締めにされてそのまま」


「酷い!」


 ウェイトレスの声が店内に響き、注目を集めたことに気がつくと「失礼しました」と店内の客に軽く謝って、先程よりも小さい声で「酷い」と繰り返した。


「蛮族って言われてるけどその通りね。もうこの街をでたほうがいいんじゃないの? 獣は味をしめると何度も繰り返すよ」


「そうだけど、街を出ても同じでしょ? 知らない街で同じ目に合うくらいなら、まだ見知った街にいたほうが安全だし。無理やりだったけど、殴られたりお金を盗られたわけじゃないし。」


「それじゃ都合のいい情婦じゃない。どうにかならないの?」


「ヴェリテをどうにかしようとした人は、子供から『竜殺し』まで殺された。知ってるでしょ?」


「そうだけど……」


 そこまで聞いてメアリーは立ち上がった。丁度注文した珈琲だけ先に持ってきたウェイトレスの御盆の上に注文したものの代金を置き、商品には手を付けずに店を出る。目指すは『憂国の志士』の拠点にいる党首ヴェリテだ。




 話をじっと聞いていたペーパーは再び爬虫類特有の無表情に戻っていた。


「それで結局メアリーはどうしたいんだ?」


 少なくとも、メアリーの中ではリールがヴェリテに襲われた事になっているとペーパーは理解した。しかし、だからといってメアリーがヴェリテの部屋に乗り込んだところで何もできない、下手をすればメアリーだった物が出来上がるだけだ。


「…………」


 メアリーは視線を下げ、沈黙という返答をした。、友人が襲われたと聞き衝動的にやってきただけで、何をどうするという具体的な考えはなかったことに気がつく。

 強姦魔なぞという女の敵は滅ぼしたい。けれども相手は党の党首で、名を出すだけで恐れる者も多い。同じ志士のメアリーにとって生かしておいたほうが都合がいい場面は多い。そしてそれは『憂国の志士』の全員に言えることだった。ヴェリテを殺されるのは都合が悪い。ペーパーにとってもそうだろう。竜人に「ヴェリテを殺す」と言えば、次の瞬間には殺し合いになってもおかしくない。メアリーに負ける気はないが準備不足は否めなず、手持ちの魔道具は少ない。

 仮にペーパーを破ったとしても、次は本命のヴェリテと戦うことになるし、第一段階のペーパーを速攻で斃し切らなければ、ヴェリテとペーパーの二人を同時に相手取る羽目になる。

 今のメアリーにヴェリテを殺すことは出来ない、というのがメアリーの思考の結論だった。

 リールに謝罪をさせる、リールに二度と手を出さないと誓わせることも同じ、行き着くところは殺し合いだろう。腐っても党首、配下を従えても配下には従わない。

 メアリーにとって友人は大切だが、命を投げ出すことは出来ない。故になにもできない。

 沈黙を破ったのは新たに談話室に入ってきたリールだった。


「あら、二人なんて珍しい。なにしてんのー?」


 リールは能天気な声を響かせながらメアリーに近づいた後、背後から両肩を掴む。

 メアリー越しにペーパみると「わかった!」と楽しげに声を上げる。


「ペーパーにいじめられてるんだ。いたいけな少女を虐めて楽しむなんて流石『冷たい血』」


 『冷たい血』は竜人、蜥蜴人に対しての差別用語だ。リールは笑みを浮かべた口から発して、メアリーの頭を撫でる。

 ペーパーは本日二度目の大きな溜息をついた。


「人聞きの悪いことを言うな。……お前の話をしていたんだ」


「なんで?」


 リールは心底疑問であるという表情をしてメアリーの頭を撫でるのをやめた。

 ペーパーは呆れたようにソファーへ戻り、腰を鎮める。


「相変わらずコミュ障だねぇー。それで?」


 リールはメアリーから一歩離れ、首相室の扉に肩を預けてメアリーに問う。

 メアリーは状況に追いつくことが出来なかった。

 『アントワーヌの蜜』で見かけた傷物にされたと話していたリールと、目の前にいるリールが結びつかない。自分を襲った男がいる場所に平然と乗り込んでこれるものなのか、経験のないメアリーにはわからない。


「あの、さっき、『アントワーヌの蜜』で……行って」


 なんと言えばいいかわからず言葉に詰まるメアリーを見て、リールは合点がいった。


「あー、いたんだ。……昔からエリザはヴェリテと仲が良さそうだったからね。牽制しちゃった」


 リールは蒼い瞳を細める。

 メアリーにはリールの言っていることが理解できなかった。


「メアリーも自分の男が出来たら邪魔な虫は払っておいたほうがいいよー」


 リールはメアリーの頭を二度叩くように撫でると、党首室に間の抜けた「やっほー」という声とともに入っていった。

 扉が閉まるのを見届けて、メアリーは呆然と立ちすくむ。

 ペーパーは事態の行方を見届けると、盗賊系職業組合へ向かうことにした。談話室を出る前にメアリーに何か言葉を掛けようかと思い振り返るが、結局言葉は出ず、ひっそり出ていく。

 談話室には魔道士メアリーが一人残された。



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