騎士見習いの年下男子が私の嘘に協力してくれるんですけど
売り言葉に買い言葉。
ついうっかり言ってしまったのだ。
「はあ……なんで、あんなこと言っちゃったんだろう……」
いつもの教会の手伝いからの帰り道、モニカは後悔に苛まれながら肩を落としてとぼとぼ歩いた。
村に住む未婚の女性は皆、教会で手伝いをするのが決まりなのだ。若い乙女がたくさん集まれば、当然、話題は「恋愛」のことが多くなる。
特に今は、一年に一度の花祭りが二週間後に迫っているのだから、娘達はその話題で持ちきりだった。
「私の彼、今年こそ花をくれないかしら?」
「私は約束してるの。赤い花がいいってリクエストしちゃった」
「メアリーがボビーに花をせがんでいたらしいわ。馬っ鹿ねぇ。ボビーの本命はマリアに決まってるじゃない」
「ダイアナってば、最近ますます派手よね。毎日のようにお目当ての彼に言い寄っているみたい」
花祭りで使う花飾りを作りながら、娘達はきゃっきゃっと話題を弾ませていた。
モニカはその話題に積極的には加わらず、黙々と手を動かしながら聞いていた。
「モニカは、花をくれる彼はいないの?」
尋ねられたので答えない訳にはいかない。モニカは溜め息を吐いた。
「いないわよ、そんなの」
途端に、娘達が呆れたり肩をすくめたり、大袈裟なリアクションをする。
「モニカってば、駄目よそんなんじゃあ」
「花祭りまでに彼氏を作った方がいいわよ」
「がんばってモニカ」
皆が口々にモニカを励ます。モニカは目を伏せてじっと耐えた。
彼女達は、善意のつもりなのだ。
これまで恋の一つもしたことがない、地味な見た目で華やかさの欠片もないモニカを心配してあれこれ言ってくるだけだ。
一年に一度、花祭りの日に、男性は花束をもって女性に求婚するのが伝統だ。
だから、花祭りの前になると女の子達はそわそわとはしゃぎ出す。恋人のいる娘もいない娘も、誰が求婚されるか気になって仕方がないのだ。
「モニカにも、早く素敵な恋人が出来るといいわね」
「そうよ。興味がない、なんて言ってたらあっという間に行き遅れになっちゃうわよ」
「どんな人が好みなの?」
「好きな人がいなくても、好みぐらいなら言えるでしょ」
「モニカみたいな普段は恋愛なんて興味ないって言ってるような子が、悪い男にだまされて夢中になっちゃったりするのよ。気をつけないと」
「そうよモニカ。好きな人が出来たらちゃんと教えてね。モニカがだまされないように確かめてあげるから」
口々に好き勝手なことを言う友人達に、モニカはさすがにむっとした。
地味な見た目で恋をしたことのないモニカは、この手の話題になるといつも友達からからかわれたり馬鹿にされてしまう。花祭りを目前にして連日似たようなことを言われており、モニカの我慢も限界だった。
だから、つい言ってしまったのだ。
「私にだって、ーー恋人ぐらいいるわよ!」
「はあ~、なんであんなこと言っちゃったかな~」
求婚はしなくても、花祭りには恋人と一緒に参加するのが普通だ。モニカが一人で参加したらあっという間に嘘だとバレてしまう。
「嘘を吐いた自分が悪いってわかっているけれど……」
花祭りに参加するのが憂鬱になってしまった。
いっそ仮病でも使うかと思案しながら家に帰ると、母親から父にお弁当を届けてくれと頼まれた。
モニカの父は騎士団で働いている。今日は詰め所の方にいるというので、村の外れの建物まで歩いていった。
「すいませーん……あれ?」
建物の中を覗くと、受付に誰もいない。通常はここで面会を申し込んで呼び出してもらうのだ。仕方がなく、モニカはその場で誰かが来るのを待った。
ほどなくして、何人かの騎士が受付の奥を通る足音と声が聞こえた。そのうちの一人が、モニカに気付いてくれたらしく、奥から顔を出した。
「あれ? 何かご用っすか?」
まだ若い騎士だった。制服が真新しいので、入団したばかりかもしれない。少年っぽさが多分に残っており、さらっとした茶髪がさわやかだ。もっと騎士団に馴染めば、男臭くなっていくだろう。
「あ、あの、ハリスを呼んでもらえますか? 娘のモニカです」
「あ~、娘さん? ハリスさんは団長に呼ばれて行っちゃったんで、たぶんしばらく戻ってこないっすよ」
軽い感じの喋り方をする男に、モニカは「苦手なタイプだな……」と思った。
しかし、顔立ちは整っているので、おそらく女性にはもてるのだろうと思った。
「俺で良かったら、伝えておきますよ?」
にこにこと人当たりのいい笑顔で近づいてくるので、モニカはちょっと身を引いた。
「え、と……じゃ、じゃあこれ、渡しておいてもらえますか?」
「了解っす!」
男はにかっと笑ってモニカの手から包みを受け取った。
「あ、俺、フォクシーって言います。入ったばっかの見習いなんで、どうぞよろしくお願いします」
「はあ……」
いやに人なつっこい男だなと、モニカは呆れた。
「では、お願いします。ありがとうございました」
「は~い。また来てくださいね」
ひらひらと手を振るフォクシーにお辞儀して、モニカは詰め所の戸口から外に出た。
すると、午前中に教会で一緒だった友人達がそこにいて、詰め所から出てきたモニカにわっと寄ってきた。
「モニカ! 今の人、誰?」
「へ?」
「偶然通りかかったら、中にモニカがいるのが見えたのよ」
「男の人と話していたでしょ? 何か渡していたけど、もしかしてお弁当?」
「やだ! そんな仲のひとがいたの? 教えてよ! 水くさいじゃない!」
きゃあきゃあと問いつめられて、モニカはぱちくりと目を瞬いた。
一瞬、呆気にとられたが、すぐに彼女達が勘違いをしていることに気付いた。
彼女達はモニカが若い男と話している姿を見て、彼がモニカの親しい人だと勘違いしたらしい。
「違うのよ。これは……」
モニカは正直に否定しようとした。
だが、その前に友人の一人が首を傾げて言った。
「でも、騎士団に入団するぐらい優秀な人なら、きっと良い縁談とか来てるわよね」
「それもそうね。顔も格好良かったし、きっとモテるわ」
「そうね。モニカの恋人なわけないわよね」
「恋人がいたらモニカだってもうちょっと色気づくわよね」
「ごめんね、モニカ。早とちりしちゃって」
口々に同意する友人達に、さすがにモニカもむっとした。
確かにその通りなのだが、まるで「モニカの恋人になる男が格好いいわけがない」と言われているみたいで、なんだか悔しくなってしまった。
だから、つい勢いでモニカは言ってしまった。
「そうよ! 今の彼が私の恋人よ!」
友人達はおしゃべりをやめてモニカを見た。
「恋人に会いにきたのよ! 何か文句ある?」
勢いが止まらず、モニカの口からは嘘が滑り落ちてしまった。
売り言葉に買い言葉。
ついうっかり言ってしまったのだ。
「……へぇ?」
背後で、不思議そうな声がした。
ぎくりと体を強ばらせて恐る恐る振り向いたモニカの目には、詰め所から顔を出したフォクシーがいた。
***
モニカと目が合うと、フォクシーはニヤリと笑った。
それから、モニカに向かってこいこいと手招きをした。
「モニカさ~ん、ちょっといいですか」
モニカは冷や汗をだらだら掻きながら、どうにか頷いた。
(どうしよう……絶対に怒ってる!)
当たり前だ。初対面の女に勝手に恋人面されたら誰だって不快に思うだろう。
(あ、謝らなくちゃ……)
モニカはぎこちなく動き出して、詰め所の中に戻った。
フォクシーが戸をきっちり閉めて、モニカが逃げないように立ち塞がる。
「あ、あの……」
「恋人、なんですよね? 俺達」
モニカは言葉に詰まった。フォクシーはにこにこ笑っているが内心は腸が煮えくり返っているのかもしれない。
「ご、ごめんなさいっ! つい、嘘を……」
モニカは床に頭がつきそうな勢いで腰を折った。
「地味とか色気ないとかってからかわれて、それで、つい……本当にごめんなさいっ!」
全面的にモニカが悪いのだ。平身低頭するしかない。
「友達にはすぐに嘘だったって言いますから! 許してください!」
「まあまあ。ちょっと落ち着いてくださいよ」
必死に謝るモニカに、フォクシーは何かおもしろいものでも見つけたように言った。
「恋人がいないってからかわれて、そんな嘘吐いちゃったんですよね?」
「う……そうです。だから」
「嘘でしたー、なんて言ったら、余計にからかわれちゃいますよ?」
それはそうだろう。嘘だったと告白したら、友人達は呆れながらも「やっぱりねー」とでも言って納得するに違いない。モニカは惨めな気分になるだろうが、悪いのは自分なので何も反論できない。
(変な嘘を吐いた罰だ。しばらくはあれこれ言われるだろうけれど、我慢しなきゃ)
モニカが悲壮な決意を固めていると、フォクシーがあっけらかんと言った。
「じゃあ、「恋人のふり」してあげますよ」
「へ?」
モニカは顔を上げた。フォクシーは茶色の瞳を細めて愉快そうにモニカを見ていた。
「だからー、俺がモニカさんの「恋人のふり」するんで、からかってきた友達を見返してやりましょう?」
「はあ? 何言って……」
「いいじゃないですかぁ。モニカさんは恋人がいなくてからかわれてるんでしょう? だったら、恋人を作って見返してやらなきゃ。俺、協力しますよ」
思いもかけぬ申し出に、モニカは目を瞬いた。
「そ、そんなこと……」
「そんなに深刻に考えないで! モニカさんに本物の恋人が出来るまで、俺と付き合っているふりをしていればいいんですよ」
「いや、そんな! そんなことできませんよ!」
軽い調子で「恋人のふり」を申し出るフォクシーに、モニカは首を横に振った。
「嘘を吐いた私が悪いんですから、皆にはちゃんと謝ります。それに、フォクシーさんに迷惑をかける訳には……」
「んー。実は、俺にとってもモニカさんが「恋人のふり」してくれたら有り難いんすけど」
フォクシーはがりがりと頭を掻いて言った。
「俺、騎士見習いなんすけど、まだ入ったばかりなんでしばらくは訓練とかに集中したいんすよね。それなのに、知り合いのおばちゃんとかが頼んでもいない縁談を持ってきたり「うちの娘はどうだ」とか「孫と結婚しろ」とかうるさくて、だから、恋人がいるって言えば静かになるかなーって」
心底参っているように言うフォクシーの言葉に、モニカはなるほどと頷いた。
フォクシーは見目もいいし、将来は騎士という有望株だ。今のうちに捕まえておきたいという人々が縁談を持ってくるのだろう。
「だから、モニカさんに「恋人のふり」してもらえたら、俺も助かるんです。お願いします!」
何故かフォクシーの方から頭を下げられて、モニカは慌てた。
「いや、そんな。嘘を吐いたのは私で、頼むなら私のほう……」
「じゃあ、お互いに利害が一致したってことで。今日から「恋人のふり」しましょう!」
フォクシーにぎゅっと手を握られて顔を覗き込まれ、モニカは勢いに飲まれて思わず頷いていた。
***
「はあ……なんで、頷いちゃったんだろう……」
自宅に戻ってから、モニカは盛大に後悔していた。
あの後、詰め所の前でモニカを待ちかまえていた友人達に、フォクシーが「初めまして。モニカさんの恋人でーす」と言いながら出て行って大騒ぎになった。
根ほり葉ほり聞かれた質問にフォクシーは適当に答えていたが、モニカは生きた心地がしなかった。「恋人のふり」をして皆を騙すだなんて、自分には向いていないとモニカは思う。
(でも、フォクシーも助かるって言っていたし、フォクシーが「必要ない」って言うまでは私が「恋人のふり」していた方がいいのかな?)
モニカが悶々と悩んでいると、帰宅した父のハンスがモニカの顔を見るなり、
「モニカ。フォクシーから聞いたが、あまり無理はするなよ」
心配そうに眉を下げて言った。
「あいつは優秀だが、ちょっと考えなしなところもあるからな。お前より一つ年下だし、本物の交際じゃないとはいえお前がしっかりしなくちゃならんぞ。フォクシーのためを思うと付き合ってやってほしいが、お前が苦労するようならはっきり無理だと言いなさい」
父によると、フォクシーはいつも見学に来たり帰りに待ち伏せしている女子達に「恋人出来たんで」と言って回っていたそうだ。
それを聞いて、モニカはさーっと青ざめた。
モニカの友人達にも「恋人だ」と名乗ったし、明日には村中に伝わっているに違いない。今さら、嘘だとか言えなくなってきた。
フォクシーから偽の恋人を演じることを聞いたのか、ハンスはモニカの心配をしているが、モニカは自分のこと以上にフォクシーのことが気にかかった。恋人がモニカだと村中に広まってしまったら、フォクシーが恥を掻かないだろうか。だって、モニカは恋人にして自慢できるような華やかな美人じゃない。
(フォクシーみたいな格好いい人が、私みたいな冴えない女と付き合っているだなんて、不釣り合いだと笑われるんじゃあ……)
モニカが笑われるのは別にいい。でも、フォクシーが騎士団の中で笑い者にされるのは気の毒だ。
(もっと綺麗な女性に頼めば良かったのに)
フォクシーだったら、頼めば喜んで恋人役をやってくれる女子がたくさんいるだろう。
(明日から、どうなるんだろう……)
明日のことを思うと憂鬱になってしまって、モニカは思わず溜め息を吐いた。
翌朝、モニカがいつもように教会へ向かうために家を出ると、そこにフォクシーが立っていた。
「おはようございます」
にへらっと笑って手を振るフォクシーに、モニカは驚いて駆け寄った。
「ど、どうしたの?」
「俺も出勤なんです。途中まで一緒に行きましょう」
言うなり、フォクシーはモニカの手を取って歩き出した。
「ちょっ……」
断る間もなく手を繋がれて、モニカは真っ赤になった。
フォクシーは上機嫌に歩いているが、異性と手を繋ぐなんて初めてのモニカは周りの目が気になって仕方がない。
「あの、手を放して!」
「えー? 嫌っすか?」
「嫌っていうか……」
恥ずかしいのだ。井戸端会議中のおかみさん達にばっちり見られてしまったし、昼前には村中にモニカが男と手を繋いで歩いていたことが知れ渡ってしまう。
「フォクシーさん、手を……」
「呼び捨てでいいっすよ。俺は年下だし、ハンスさんに「モニカさんを大事にする」って約束したんで、「モニカさん」って呼びますね。「モニカ」なんて呼んだらハンスさんに「調子に乗るな」って叱られちまう」
けたけた笑うフォクシーは、モニカの手を離さないまま川まで歩いてきて、橋の前でようやく手を離した。教会は橋の向こうだ。
「じゃあ、また明日」
ひらひらと手を振って川沿いの道を歩いていくフォクシーを真っ赤な顔で見送って、モニカは繋がれていた手を胸の前で握った。
「モニカ! どういうことよ」
教会へ入るや、女の子達がどっと押し寄せてきた。
「フォクシーが恋人だったなんて!」
「いつの間に付き合ってたの?」
「信じられない! 彼、人気あるのよ? モニカってば、騎士団の男の子の話題の時も知らん顔していた癖に!」
好奇心やらやっかみやらではちきれそうな彼女達に押し負けて、モニカは縮こまった。質問責めにされてアウアウ喘いでいると、少し離れたところから「ふん! 馬っ鹿みたい」と冷たい声が投げかけられた。
「フォクシーがモニカなんかと付き合う訳ないじゃない!」
刺々しい口調にそちらに目をやると、華々しく着飾ったダイアナがモニカを睨んでいた。
「何よ、ダイアナ」
友人達がモニカを守るように壁になる。
「フォクシーがはっきり言ったのよ。「モニカの恋人だ」って。あたし達、昨日ちゃんと聞いたんだから」
「そんなの嘘よ! モニカが無理矢理言わせたんだわ! モニカのお父さんが騎士だもの。見習いのフォクシーは逆らえなかったんだわ!」
ダイアナのとんでもない決めつけに、モニカはあんぐりと口を開けた。
ダイアナの言い方ではまるで、モニカが父に頼んでフォクシーに恋人になるように強要したと言いたげだ。
確かにフォクシーは見習いで、モニカの父は彼の上役であるが、モニカの父には見習いを追い出すような権限はないし、だいたい真面目一徹が服着て歩いているような父がそんなことに手を貸すわけがない。
「あんた、失礼なこと言うんじゃないわよ。意中のフォクシーに相手にされなかったからって」
「断られても懲りずに付きまとっていたのはアンタのほうじゃない」
モニカを庇う友人にそう指摘されて、ダイアナは悔しそうに唇を噛んだ。
モニカはぎょっとした。
(そうか。ダイアナはフォクシーのこと……)
そういえば、昨日フォクシーがいつも彼を取り囲んでいる女の子達に「恋人が出来た」と告げていたとハンスが言っていた。その中に、ダイアナもいたのかもしれない。
「モニカなんて……フォクシーに相手にされる訳ないわ! 私は騙されないからね!」
ぎろっとモニカを睨みつけて、ダイアナは背を向けて出て行ってしまった。
「なぁーに、あれ。モニカ、気にするんじゃないわよ」
「私の彼も騎士団にいるけれど、あの子は本当に訓練の邪魔だって言ってたわよ。何回注意されても勝手に入ってきてフォクシーの横でずっと喋ったりしていたって」
「フォクシーにはっきり「モニカと付き合っている」って言われても諦めないつもりかしら。しつこい女は嫌われるわよ」
皆口々にダイアナの悪口を言ってモニカを慰めたが、モニカは罪悪感で胸がずきずき痛んだ。
ダイアナみたいに、本気でフォクシーのことを好きな女の子が、モニカのせいで傷ついて泣いたのかもしれないと思うと、安易に「恋人のふり」を受け入れた自分が酷い奴に思えてきた。
(やっぱり、良くないよね。恋人のふりなんて……)
今朝、フォクシーと手を繋いで歩いていた姿も、フォクシーのことを好きな女子に見られていたらきっと傷つけてしまっていた。
そう思うといても立ってもいられなくて、モニカは教会の仕事を終えると騎士団の詰め所に飛んでいった。
受付で恐る恐る呼び出してもらうと、フォクシーはすぐにやってきた。
「どうしたんっすか? モニカさん」
いつ見てもにこにこと機嫌良さそうに笑っているフォクシーに、モニカはほっとした。
「あの、ちょっと話したいんだけど、いいかな?」
「いいっすよ! ちょっと待ってくださいね」
フォクシーは一度受付の奥に引っ込むと、よく通る声でこう叫んだ。
「団長ーっ! 愛しのモニカさんが会いに来てくれたんで、ちょっと抜けまーす!」
モニカはぶほっと咳き込んだ。
「上手くやれよー!」だの「手ぇ出すなよー!」などと野次も聞こえてくる。モニカはその場にずるずるとうずくまって手で顔を押さえた。
「お待たせしました! ……どうしました?」
戻ってきたフォクシーが首を傾げたが、モニカは顔を上げることが出来なかった。
「あ、のさ……やっぱり、こういうの良くないと思う」
人目につかないように詰め所の裏に回って、モニカはおずおずと切り出した。
「こういうのって?」
「だ、だから、付き合っているって嘘吐くの」
フォクシーが笑みを消してむすっとふくれっ面になった。
「なんでっすか? お互いに良いことしかないでしょ」
フォクシーはそう言うが、どう考えてもモニカの方が恩恵に与っていると思う。
だって、モニカは彼女にして自慢できるような美人じゃない。それに、よく考えたらモニカみたいな女と付き合っているなんて言ったら、町の若衆達からフォクシーが馬鹿にされてしまうんじゃないだろうか。
「でもさ、フォクシーのことを本気で好きな女の子達が傷ついちゃうんじゃあ……」
「本気で告白とかしてくれる子には、ちゃんと真摯に対応してますよー。俺が避けたいのは、大勢の前で俺が自分だけを贔屓してくれることを期待してまとわりついてくる奴です」
フォクシーはじっとモニカの顔を覗き込んできた。モニカは思わず後ずさった。
「じゃあ、モニカさんは今さら友達に「恋人がいるのは嘘だ」って正直に言えますか?」
「うっ……」
それを言われると、モニカは何も言えなくなった。
「そんな深刻に考えないで、楽しく付き合いましょうよ」
フォクシーはぱっと笑顔を見せて、モニカの肩に手を回した。
ぐいっと引き寄せられて、近付いた顔にどきっとして顔に熱が集まる。
「俺、そろそろ戻らなきゃならないんで。見送りますよ」
「え、あ……」
表に戻って、フォクシーは詰め所の前で手を振ってモニカを見送ってくれた。
モニカは真っ赤な顔を押さえてふらふらと帰り道を辿った。
『人目のない裏路地から二人で出てきて顔を真っ赤にしていた』という噂が広まったことをモニカが知ってがっくりと地面に膝を突いたのは翌日のことだった。
***
「モニカさーん!」
フォクシーは毎朝モニカを迎えにくる。そして、二人で他愛のない会話をしながら歩く。
それだけの短い時間だったが、モニカはその時間が段々好きになっていった。フォクシーは一見軽そうに見えるが、根は真面目なのかモニカに対しても優しく接してくれる。
(私なんて、可愛くもないのに……)
男性に親切にしてもらうという経験があまりなかったモニカは、フォクシーの態度に照れつつも嬉しかった。
「モニカさん! 俺、今日は午後から非番なんで、デートしましょう!」
「ええ?」
ある朝、フォクシーからの申し出に、モニカは文字通り飛び上がった。
「嫌ですか?」
「い、嫌じゃないけど、私とデートなんてしたら、フォクシーが恥をかくんじゃあ……」
「は? なんすか、それ」
フォクシーは眉をしかめた。
「モニカさん、自分に自信なさすぎっすよ」
「う、だって……」
「俺の「恋人」なんすから、堂々と隣を歩いてくれなくちゃ困りますよ」
そう言って、フォクシーはモニカの頬をむにっと摘んだ。
にっこりと目を細めて微笑まれて、モニカはかーっと赤面した。
「じゃ、教会に迎えに行きますから!」
「へ?」
一方的に言い置いて、フォクシーは元気に手を振りつつ詰め所の方へ駆けて行ってしまった。
取り残されたモニカは、教会への道を歩きながら真っ赤な頬を押さえた。
(デートって……)
あくまで「ふり」なのだから、照れる必要はないのだとわかっていても、顔が熱くなってしまう。
(どうしよう……)
なんだか勘違いしてしまいそうで、モニカは自分に何度も言い聞かせた。
自分とフォクシーは偽物の恋人なのだ。浮かれたりしちゃいけない。
そう言い聞かせると、胸がきゅうと痛んだが、モニカは気づかない振りをした。
その後、いつものように奉仕を終えて教会を出ると、朝の約束の通りフォクシーがモニカを待っていた。
「モニカさん!」
自分を見つけるとぱっと嬉しそうな笑顔になるフォクシーに、モニカは胸が苦しくなった。
(ダメダメ。勘違いするな……)
「モニカってば、デートなの?」
「やだー! 迎えに来てくれるなんていい彼氏ねー!」
友達からやっかみやら励ましやらを込めて背中を押され、モニカは半ば胸に飛び込むような形でフォクシーの前に立った。
「それじゃ、行きましょ」
フォクシーはにっこり笑って手を差し出してくる。
少し迷ったが、モニカはおずおずと手を伸ばしてフォクシーと手をつないだ。背後で女子達が「きゃーっ!」と盛り上がる。
顔を真っ赤にしながらも、モニカはフォクシーに手を引かれて歩き出した。
手を繋いだまま街の中をぶらぶら歩き、フォクシーが話しかけてくれる内容に相槌を打つ。
先ほどから顔を上げられない。モニカは自分の顔が真っ赤になっている自覚があって、フォクシーの顔を見ることが出来なかった。
「モニカさーん、聞いてます?」
「う……ご、ごめんなさい」
生返事をしているのがばれて、フォクシーが立ち止まって顔を覗き込んできた。モニカはぎゅっと目をつぶって謝った。そうしている間も、顔に熱が集まってくるのがわかって恥ずかしい。
「そこまで緊張されると、こっちまで照れちゃうんすけど……」
「うう……ごめん」
情けなくて肩を落としてしょげていると、フォクシーがモニカの手を引いて道の端で立ち止まらせた。
「そこの店で飲み物買ってくるんで、ここにいてくださいね」
モニカがあまりにも緊張しているので気を遣ってくれたらしい。フォクシーは手を離して食料品店に入っていった。
モニカは「ふう」と息を吐いて、熱い顔をはたはたと扇いだ。
(もう、こんなに変な態度してたら、意識してるってばればれだよ……恥ずかしい)
偽物の恋人なのに、モニカがこんな態度だったらフォクシーは困ってしまうだろう。
(しっかりしなきゃ……)
そう思って、顔を上げた時だった。
ばっしゃーんっと、頭から水をかけられて、モニカは驚くより先に頭が真っ白になった。
「え……?」
ぽたぽた、と髪から水が垂れる。肩から胸元まで服もぐっしょり濡れてしまった。
目の前に、バケツを抱えた少女の姿があった。
「調子に乗らないでよね! フォクシーがアンタなんかと本気で付き合う訳ないじゃない!」
目を怒らせてモニカを罵るダイアナは、空のバケツをモニカの足下に投げつけて走り去った。
「モニカさん!?」
店から出てきたフォクシーがモニカの惨状を目にして顔色を変える。
「くそっ! 待ちやがれっ!!」
見たことのない怒りの形相でダイアナを追いかけようとするフォクシーを、モニカは必死に止めた。
「あの、いいから。大丈夫よ」
「はあ? 大丈夫なわけないでしょ! 絶対に捕まえてやる! モニカさんをこんな目に遭わせて……」
「大丈夫だから!」
強めに引き留めると、フォクシーは納得できない様子だったが追いかけるのをやめてモニカに向き合った。
「すいません。俺がモニカさんを一人にしたから……」
「フォクシーのせいじゃないよ」
「モニカさん、風邪引いちまいます! あの、俺の借りてる部屋の方がモニカさんの家より近いんで! タオル貸しますから!」
ずぶ濡れのモニカを心配する方に意識が向いたらしい、フォクシーはモニカの濡れた手を取って走り出した。
単身者用の貸し部屋に連れ込まれて、「タオル持ってきます!」と奥の部屋にフォクシーが姿を消したところで「これはまずいのではないか」とモニカは気づいた。
未婚の女性が未婚の男性の部屋に入るなど、婚約している仲でもない限りあり得ない。
(まずい、よね……人に見られないうちに出て行かないと……)
モニカが慌てだした。
その時だった。
「フォクシー! あんた、いい加減に花祭りのことちゃんと決めなさいよね!」
入り口が開けられ、モニカより少し年上らしい茶髪の美人が入ってきた。
「え?」
「あら?」
モニカをみつけて目を丸くする。長い髪の大人っぽい女性だ。
お互いに言葉をなくして、しばし見つめ合う。
「モニカさん! お待たせしました……って」
タオルを抱えて戻ってきたフォクシーが、女性を見て慌てた表情を浮かべた。
「お前、何しに来たんだよ!」
「はあ? アンタがいつまでもぐずぐずしてるから、わざわざ来てやったんでしょうが! 花祭りの花ぐらいビシッと決めなさいよ!」
「ばっ……」
女性が怒鳴り返すと、フォクシーは顔色を変えてモニカを見た。
「……!」
ようやく頭が働き出して、モニカはわなわなと震えた。
「モニカさんっ、これは……っ」
「わ、私、帰るっ!」
モニカはぱっと身を翻してその場から逃げ出した。後ろからフォクシーの声が負ってきたが振り返らなかった。
走って走って家まで辿り着くと、びしょ濡れのモニカを見て母親が驚いた。
走ったせいで汗もかいて、頭は熱いのに背中は寒かった。
モニカは心配した母親に風呂場に押し込まれたが、着替える気にもならずずるずると座り込んだ。
(綺麗な人、だったな……)
どういう関係なのだろう。部屋にまで来る仲で、花祭りの花の話をする相手……
(そんなの、本物の恋人しかいないじゃない……)
フォクシーが女の子に言い寄られるのを嫌がっていたのは、本命の彼女がいたからに違いない。
モニカに「恋人のふり」を持ちかけたのは、友達に見栄を張っているモニカを見て同情したからだろうか。それとも、何か事情があって、本命の彼女と付き合っているのを公表できなかったのかもしれない。
でも、花祭りで花を贈る話を二人でしているのなら、もう二人の間には何も障害がないのだろう。
綺麗で大人の女性だった。フォクシーとお似合いだ。
(私なんかより、ずっと……馬鹿だなぁ。何を傷ついてるんだろう。初めから、私があんまりにも惨めだから同情して付き合ってくれていただけなのに)
ぼろぼろとこぼれ落ちる涙を拭って、モニカはずきずき痛む胸を押さえてうずくまっていた。
***
ずぶ濡れなのにそのまま走り回ったのが悪かったのか、翌日からモニカは熱を出した。
教会の奉仕も休んで寝込んでいたので、フォクシーと顔を合わせなくてすむのがありがたかった。
フォクシーは一度見舞いに来たが、モニカは「移るといけないから」と言い訳して会うのを拒否した。
顔を合わせる勇気はなかったが、これまで付き合ってくれたフォクシーにお礼も言わずに逃げるのは自分勝手な気がして、モニカは代わりに手紙を書いた。
見栄を張って吐いた嘘に利用してしまったことを謝り、付き合ってくれたことに礼を述べ、楽しかった、ありがとう、と素直な気持ちを書いた。
それから、あの女性に花祭りで求婚するのなら、もう「恋人のふり」に付き合ってもらうことは出来ないから会ってくれなくて大丈夫。彼女と幸せになってください、さようなら。と書いて父に頼んでフォクシーに渡してもらった。
フォクシーが「モニカを捨てた」とか「二股をかけていた」などとあらぬ疑いをかけられぬように、モニカは見舞いに来てくれた友達に真実を打ち明けた。
正直に話して謝ると、彼女達もモニカに謝った。
てっきり嘘を吐いていたことを責められるかと思っていたが、彼女達は「自分達がモニカのことを酷くからかったのが原因だ」と言い頭を下げてくれた。
それから、ダイアナがやって来て、泣きそうな顔でモニカに謝った。
「私、ぜんぜんフォクシーに相手にされていなかったから、モニカのことが妬ましかったの」
花祭りも近いことで、フォクシーがモニカと寄り添っている光景を想像するとたまらなくなったのだと言う。
今のモニカにはその気持ちが良くわかった。
あの女性にフォクシーが花を贈る姿を想像すると、体が粉々になりそうなほど苦しかった。
そうして、花祭り当日がやってきた。
熱はすっかり下がっていたし、自分が参加しなかったらまるで当てつけみたいだと思い、モニカは花祭りに参加することを決意した。
(フォクシーとあの女の人を見ても、ちゃんと笑ってお祝いを言えるようにしよう。大丈夫よ。最初から、嘘だったんだから)
胸の痛みを隠して笑顔を浮かべ、おめでとうと祝福しよう。
モニカはそう決めていた。
***
花祭りの会場では、色とりどりの花が飾り付けられ、人々も華やかに装っていた。
その中で、花を掲げた男性が女性の前にひざまずいて愛を乞う姿がそこここで見られる。
花屋の店員が花を持っていない男に近寄っては焚きつけたり唆したりして花を買わせようとしている。
喧噪の中を、モニカは出会う友達に挨拶しながら歩いていた。
あちこちで求婚に成功したカップルが出来ていくのを見て、モニカはフォクシーもあんな風に彼女に求婚するのだろうな、と想像した。
想像しただけで胸が痛くなって、モニカは胸を押さえた。
(だめだ。こんなんじゃあ……)
とても、笑顔で祝福出来そうにない。
やっぱりフォクシーが彼女に求婚するのを見るのは辛い。
モニカは騒がしい祭りの中心から離れて、人の少ない隅の方へ移動した。
「はあ……」
自分が情けなくて、モニカは落ち込んだ。
(ちゃんと、お祝いしてお礼を言わなきゃいけないのに……)
フォクシーはモニカに優しくしてくれた。手を繋いで歩いたり、恥ずかしかったけれど楽しかった。
フォクシーと過ごした短い時間を思い返すと、モニカの瞳からすーっと涙が流れた。
「……いつの間にか、こんなに好きになってたんだなぁ」
ぽつりと呟いた。
「誰をっすか?」
憮然とした声が聞こえて、モニカは慌てて振り返った。
ピンク色の花束を抱えたフォクシーが、拗ねた顔で立っていた。
「誰であろうと、渡す気はないっすけどね」
そう言うと、フォクシーはモニカの前でひざまずいた。
「え?」
戸惑うモニカに、フォクシーは花束を差し出して言った。
「モニカさん。いつも教会でまじめに働いている姿を見かけていて、気になっていました。
だから、あの日モニカさんが来た時に話しかけたんです。
そんで、彼氏のふり出来ることになって「ラッキー」って思いました。めいっぱい優しくして、俺のこと好きになってもらおうって思ってました。
だから、「もういい」っていうあの手紙受け取って、すげーショックだったんすけど」
「え? ご、ごめん」
責めるような目で見上げられて、モニカは思わず謝った。
「悪いと思ってるなら、受け取ってください。好きです。モニカさん。俺の本物の恋人になってください」
真剣な声音で言われて、モニカは混乱した。
目の前にはひざまずいて花を差し出し、愛を乞う男。
花祭りでは珍しくもない、そこここで見られる光景だ。
だけど、モニカは花を差し出して告白され、大いに狼狽えた。
「え? だ、だって、フォクシーには他に好きな人が……あの女の人は?」
モニカがわたわたと尋ねると、フォクシーはげんなりとした顔で舌打ちをした。
「ちっ。あいつが家に来たりするから……」
「何よ! 文句あんの!」
突然現れた女性が、フォクシーの頭を大きな花籠で殴った。
「てめぇ! なにすんだ!」
「自分の甲斐性のなさを人のせいにするんじゃないわよ! 告白すらしていない相手に何の花を贈るかいつまでも悩んじゃってさ! 花屋の店員だからって実の姉にのろけてんじゃないわよ!」
フォクシーと例の女性がぎゃーぎゃーと言い争う。モニカは呆気にとられてそれを見守った。
「ごめんねぇ~。この甲斐性なしが迷惑かけて。あの日はこいつに「いい加減に何の花を贈るか決めろ」って言いに行ったのよ~」
「え?」
「愛の告白なら赤い花か、いや、モニカさんにはオレンジも似合う、でも青い花も清らかな彼女にふさわしい、ああ、それなら白い花の方が……って、いつまでもぐだぐだ悩んでたのよ、こいつ」
「テメェ! くそ姉貴っ!」
「お姉様と呼びなさい愚弟!」
女性がもう一度花籠でフォクシーを殴った。
モニカは目を瞬いた。
「お、お姉さん……?」
確かに、よくよく見れば女性はフォクシーと似ていた。茶色い髪と目、すらりとした背格好と整った顔立ち。
では、モニカが勝手に誤解していたのか。
「モニカさん! 俺が好きなのはモニカさんだけです! 信じてください!」
フォクシーがまっすぐにみつめてくる。
モニカはじっとその目をみつめ、なんだかおかしくなって笑い出してしまった。
「ふふっ。あはは……」
「モニカさん?」
「あははは……なんか、馬鹿みたい」
ひとしきり笑った後で、モニカはフォクシーの差し出す花束を受け取って微笑んだ。
***
「モニカさんから恋文がもらいたいです」
デートの途中で、フォクシーが妙なことを言い出した。
「何言ってんの?」
「だって、モニカさんから初めてもらった手紙が、「別れの手紙」だったんですもん」
フォクシーはぷくっとふくれっ面になった。
「俺、可哀想じゃないっすか? 悪いと思ったら「恋文」をください」
そんな要求をしてくる年下の恋人に、モニカは呆れながら笑った。
「でも、「恋人のふり」はやめるって手紙だから、間違ってないよね?」
「あー、ひっでー。そんなこと言って「恋文」くれない気なんだ」
フォクシーはいかにも不満そうに口を尖らせるが、繋いだ手を放す気はないらしく、ぶんぶんと前後に手を振る。
「もう、そんなことで拗ねないでよ」
「そんなことって何すか!」
「はいはい。今日も頑張ってね」
いつも別れる道まで来て、モニカは立ち止まった。
フォクシーは渋々モニカの手を放し、騎士団の詰め所に向かって歩き出す。その後ろ姿を見送っていたモニカは、思い切ってたたたっとフォクシーに駆け寄った。
そして、背伸びして彼の耳に囁いた。
「大好き、って、言われるより、文字の方がいいの?」
返事を聞く前に、身を翻して逃げる。
背後から「どっちも欲しいです!」と聞こえてきたので、モニカは思わず笑ってしまった。
終