コーヒーはブラックで
あれだけハッキリ言ったんだから、あの女が今後私の目の前に現れることはないだろう――。
そんなことを思っている時期が私にもありました。
――と、思ったのが甘かった。私は女の執念を舐めていた。甘々だ。どのくらい甘いかというとクリミングうさぎの尻尾のホイップよりも甘い。ゲロ甘だ。ノトなら見ただけで口元を抑えたに違いない。
「はじめまして。私、メディっていうの。王都に来たばかりで困っていたところを、ノトに助けられたの……宜しくねぇ?」
なーにが始めましてだ。どの口が言うか。その真っ赤な紅を塗りたくった口を耳まで裂いてやろうかこの女狐。
「おいおいノト。今まで女の影の片鱗も見せなかったお前がこんな別嬪紹介するなんてどういう風の吹き回しだ?」
「あら、そうなのノト? でもそういうのじゃないのよ。ただ私がスヴァットのファンだって言ったら皆に会わせてくれるって言ってくれて……」
「そこが怪しいな。こいつが何の見返りもなくそんなことをしてやるはずもない」
「酷い言われようだな……」
「……」
その光景は異様だった。まだ会って数日、二人に至っては初対面のはずなのに、当たり前のように皆に馴染んでいる彼女に。今までは近づく人皆を警戒して、特に女の場合は私が何かされるんじゃないかって思ってたくらいの皆があんな女を受け入れて談笑している。まるで今までのことが嘘だったかのように。
「もう、レイブンったらおかしい」
「そんなこと言ったらノトだってこの前、なぁ?」
「おい止めろそれ以上口を開くな」
「あっはっは!」
まるで昔から知っている人といるように。普通に笑って過ごしている。ああだけどそれが良い傾向であったのなら、私はここで笑えたのだろうか。あんな嘘だらけで塗りたくったような女じゃなくて、本当に心から優しくて私たちのファンだっていう女の子がここで笑って話しかけてきたのなら。
私は笑って手を差し伸べられただろうか。こんな風に自分の居場所を取られただなんて子供染みた感情を抱えることなく。
「アタ、これから、宜しくね?」
「……」
にっこり笑って差し出された手を、取らなかったのは私のせめてもの抵抗。本当はその手を叩き落として、皆にこの女とは関わるなと叫びたかった。だけどそんなことをしたら皆がきっと良くは思わないだろうって、折角英雄気分で笑っているのにその笑顔を曇らせるだろうって、精一杯我慢してそっぽを向いたんだ。
彼女は少し驚いた顔をして、その後少し寂しそうに笑った。役者だなあなんて呆れた顔をする私に、だけどその時はまだ、皆笑ってこいつは人見知りだから気にするななんて言ってくれたのに。
それからだった。どこにいてもタイミングを見計らったかのように"偶然"を主張する彼女が私たちの行く先に現れるようになったのは。
「ロームって一撃必殺のイメージが強かったけど、それ以外でも強いのねぇ」
「もう、レイブンの話すことはいつも面白くて、私そのうちお腹が千切れちゃうわ」
「そうね。だけどノトみたいに一つのことだけを究められる人ってそうはいないと思うわ。誰だって、楽で簡単な道を行きたいもの」
「……」
気がつけば当たり前のように彼女がクエストに着いてきて、皆で飲むときには当たり前の顔で同席していて、終いには彼女が新しいクエストを持って来るようになった。
まるでスヴァットの一員であるかのように。
「アタ、お前なに怒ってんだ?」
「……怒ってない」
「ごめんなさい私のせいなの……今朝会った時、思わず綺麗な黒髪ねって言ってしまって……。その、今まで色んな人にそれを理由に言われていたことを知らなくて……でも私は本当に純粋に褒めたつもりだったんだけど……」
「おいアタ、お前もう昔みたいに卑屈になるのはやめろよ。」
「はぁ? なに、英雄になったからどんなことにも寛大になれって? 意味分からん」
馬鹿じゃないの?
どんな時でも、下を向いて泣くのではなく上を向いて堪えようと言った。馬鹿にされても笑おうと言った。私は短気だからすぐカチンとするし、時には手を出して皆に迷惑をかけたこともあるけど、いつだってそれを仕方ないと笑ってくれた皆だったのに。
「違う。そう喧嘩腰にならなくても、もう誰もお前を馬鹿にしたりなんか……」
「今レイブンの目の前にいる女が私を馬鹿にしたんだけど?」
「俺にはそうは見えなかったがな」
「……視力落ちたんじゃない」
「俺は両目3.0だ」
「じゃあ判断力が落ちたんでしょ」
「もう止めろお前ら。なんでそういつも喧嘩になるんだ」
「っ……」
彼女が皆と距離を縮める中、打って変わって私はこうしてメンバーと衝突することが増えた。勿論それは私があの女のせいでイライラすることが増えたことが一番の原因でもあるのだが、その原因が嘘八百を並べて皆に媚を売り、それを真に受けた奴らがあの女を庇うと通常の三倍はイライラするのだ。そしてそれが原因で衝突して、それをあの女が諫めて……そんな悪循環が続いてからどのくらいの時が経っただろう。私たちが英雄と呼ばれてから一年は経っていただろうか。
とうとうその日はやってきた。
「お前、変わったな」
それはこっちの台詞だ。