安寧と不穏
ブクマand評価有難うございます!
「ただいまー。」
「おかえりなさいませ、エナ様。」
「リリさんー!私の癒し……。」
「まあ、エナ様ったら。」
口元に手を当ててくすくすと笑うリリさんは本当に可愛い。気を抜いたら、リリさんの耳を思う存分もふもふしたくなってしまう。いかんいかんと心の中で押しとどめながら、リリさんと自室まで向かう。学園に通うことになって、ヴォルフ伯爵宅にも慣れるために、学園に通う少し前からヴォルフ伯爵宅に帰っていた為、中々こちらの城に帰ってくることがなかったので、ちょっと久しぶりである。私が出た後も子供たちがメロリと共に掃除を続けてくれていたのか、思っていたよりもかび臭さや、陰気くさい感じは緩和されていた。それは自室も同じで、ここはリリさんが毎日毎日私がやっていた掃除と同じだけのことを熟してくれていたようだ。リリさんは、絶対良いお嫁さんになる。
自室に戻ってすぐ、備え付けられている浴室で、リリさんや、他の侍女さんたちとお話しをしながらのんびりと時間を過ごした。これも、初めの方は抵抗し続けていたが、ヴォルフ伯爵宅でもされることで慣れておいた方が良いというのと、これくらいはとリリさんから泣きつかれた為、少しお手伝いをしてもらうだけならと言うことで、こちらが折れた。恥ずかしさはまだ残るものの、少しは慣れてきたところだ。
「エナ様、この後のご予定ですが、お食事を取られました後、陛下がお呼びですので、陛下のお部屋までご案内致します。」
「アレクシスさんが?」
「はい。エナ様のお話しが聞きたいと楽しみそうにしておられましたよ。」
髪を滴る水滴を丁寧に拭き取りながら、レティアさんが次の予定を教えてくれた。レティアさんは、リリさんよりも少しお姉さんな、ラミア族の女性である。紫色の長い髪を後ろでお団子にしてまとめていて、落ち着きのある仕草は大人な色気が漂っている。人型に擬態している時は腕や足に鱗が出てしまうと苦笑交じりに話していたが、鱗もとても綺麗で気にすることはないと伝えると、エナ様は不思議な方ですね、とレティアさんにも言われてしまった。
それよりも、アレクシスさんからの呼び出しなんて珍しいな。ナイトウェアに着替えながら何から何まで話したものかと考える。恐らく今日あったことは話すべきなのだろう。第一王子に喧嘩を売っただなんて言ったら怒られるだろうか。最悪、婚約破棄になったりなんてしないだろうか。そこまで考えて、胸元がもやもやする感覚を覚えた。胸元に手を持っていき、服をきゅと握る。これじゃ、まるであの人が好きみたいじゃないか。まだ全然あの人のことなんて知らないのに。
――いいや、この感情は、コルツェさんに感じるものと同じものだ。異世界に来て、縋る先を探しているだけだ。きっとそうだ。
眉間に皺を寄せながら、深くため息を一つ。心配そうにきょとんと首を傾げたリリさんに慌てて何でもないです、と笑顔で答えた。
**************
「それでは、失礼いたします。」
「ああ、今日はそのまま休んでくれて構わないよ。」
もやもやとした気持ちを抱えたまま、アレクシスさんの部屋まで辿り着く。ガスパーさんも、ディクトルさんもおらず、リリさん達も戻った今完全に二人きりである。まぁ、それはそうか。誰か他に居るのなら、リリさん達もナイトウェアでは向かわせないだろう。 私たちの婚約が虚偽のものであることは、ガスパーさん、ディクトルさん、コルツェさん以外には誰にも伝えていない。だからだろうか、とてもレティアさんにはとても良い笑顔で送られてしまった。
何から話し始めようかとか、隣に行った方が良いのかとかいろいろ考えるもまとまらず、俯いて考え込んでいると、アレクシスさんの愉快げな声がき終えてきた。
「エナちゃん、緊張してるのかい?」
「い、いいえ!ただ、どこに座ろうか、と思い、まして。」
普段よりもいくらか柔和な声で言われた気がした。女の妄想とは恐ろしいなと思いながら、どもりつつ誤魔化すように空笑いを浮かべながら答える。するとアレクシスさんは笑みを深め自身が座っている寝台の隣をぽんぽんと軽くたたき、おいで、なんて良い声で私を呼んだ。
「お、お邪魔します。」
「ああ。
――まずは、おかえり、エナちゃん。」
「っ、ただいま、です!」
おずおずとアレクシスさんと少し間を空けた隣に腰掛ける。緊張して、アレクシスさんの方に顔が向けられないなと自嘲するも、上から聞こえてきたおかえりという言葉に反射的に顔をあげアレクシスさんに目を向けた。緊張して余分に入れていた力が少し抜けた気がする。おかえりというたった一言が、なんだか嬉しくて、口元に笑みが浮かんだ。
「ヴォルフ伯爵の家には慣れたかい?
伯爵も、変わった人だが、良い人だろう。」
「はい、とても。」
「先王の親友らしくてね。
先王が亡くなった後も、魔族の為に尽力してくれた人だ。
魔族の中でも信頼は厚いよ。」
ヴォルフ伯爵の持つ領地は、言ってはなんだが、少し田舎である。森に面した、緑が広がる地域で、王都とは離れたところに位置しており、私も、そちらの家には――普段は王都の別宅に帰っているので――2度程しか行ったことがない。その広大な敷地の中には、魔族が住む森と隣接している場所もあり、領民と魔族は、種族など関係なく良好な関係を築いているそうだ。
以前はそこに住む人々も魔物への恐怖心から上手くいっていなかったようだが、ヴォルフ伯爵の尽力により、領民も認識を改め、魔族との関係も変わっていったらしい。その後も、ヴォルフ伯爵は自分の領地のみならず、どの地域でも魔族と人におけるお互いを傷つけないといったような不可侵条約を結ぶことを求め、今も奔走しているそうだ。
思っていた以上に凄い人だったので、少し驚いている。それは、魔族側の信頼も厚くなるだろう。
「さて、少し話が長くなったね。それで、学園生活はどうだい、エナちゃん。」
「学園生活、か。」
「友人は出来たかい?
それに、何も問題はない?」
「友達は出来ました!とても素敵な子なんです。
ただ、その……アレクシスさん、実は、ですね。」
親かと思うような質問に罪悪感が勝っていき、今日起こったことをゆっくりと話し始める。キャサリン嬢の事、殿下の事、生徒会の事、それから、アリスさんのこと。
アレクシスさんはうんうんと相槌をつきながら聞いてくれていた。あまり内容的にも褒められたものではなかったのに。少し、否、かなり怒られる覚悟で話していたのだ。怒るという表現は適切ではないかもしれないが、それこそ、失望されるかという不安もあった。しかし、話を聞いてくれているアレクシスさんの表情は穏やかだ。
ある程度話し終わると、ぽふりと頭に柔らかな感触を感じ、それが、アレクシスさんの手だとわかるのに、そう時間はかからなかった。
アレクシスさんの表情をちらりと盗み見る。いつもの様な色気のある表情ではなく、とても優しく、慈しむような表情をしていた。
「っ……、!」
「しかし、第一王子に喧嘩を売るなんて、想像以上だね、エナちゃん。」
「うっ、すみません。」
「否、構わないよ。
だが、怪我をしない程度にしてくれよ?」
「はい……。」
先ほどの優しい顔は見間違いだったのだろうか。いつもの色気のある意地悪な顔に戻っていた。それから、暫く講義の話だったり、キャサリン嬢の指導の話だったり、他愛のない話をしているうちに、眠気の限界を迎えてしまったらしく、アレクシスさんに寄りかかるようにして、そのまま私は、夢の世界に落ちて行った。
「おやすみ、エナちゃん。
――ガスパー、ディクトル。」
「ここに。」
「ディクトル、婆さんのところへ行って、異世界からの客人のことについての資料をもらってきてくれ。」
「御意。」
「ガスパー、学園について、調べてくれ。
第一王子と、生徒会。それに連なる者すべてだ。」
「畏まりました。」
「さて、愉しくなってきたなァ。」
これぞ魔王と言った悪役顔をしたアレクシスさんたちの横ですやすやと穏やかに寝息を立てていた私には、アレクシスさんたちが何を企んでいて、それが今後どう影響していくのかなんて、知る由もなかった。
少しアレクシスに惹かれつつあるエナちゃんと、
何考えてるのかわからない、アレクシスさんでした。
お読みいただき有難うございました!