居ません
「麻友美?あたしよ。加奈子。今、近くに居るんだけど、一緒に飲もーよ。」
「居ません。」
素っ気ない一言は男性のもの。電話はそれきり、切れてしまった。
金曜日の夜。ほぼ満員の居酒屋の店内で、携帯電話を睨みつけた。一緒に飲んでいた香にそれを手渡す。
「ありがと。」
あたしの携帯は電池切れ。そろそろ買い替えないと駄目かもしんない。
「麻友美、来ないって?」
「それが、出たの旦那だったのよ。真夜中、12時頃じゃないと帰って来ないと言ってたのに。」
「休みの日だってあるわよ……でも、旦那が居るなら駄目ね。麻友美が携帯持つのも嫌がるんでしょ?無駄だって。」
「ケチだからねー。あ、でも、居ませんって言ってたから……」
あたしは時計を見る。7時半を少し過ぎたところだ。
「こんな時間に家に居ないなら、実家に帰ってるのかも。」
あたしは意地の悪い笑みを浮かべる。
「おー、離婚間近か?いいんじゃない?ケチで、嫉妬深くて、陰険な男なんて捨てちまえー。」
「麻友美の決心にカンパーイ。」
「カンパーイ。」
ビールのジョッキとカクテルグラス。アンバランスな乾杯を交わし、あたしたちはその後、閉店まで飲み続けた。
翌日、目を覚ますと正午過ぎ。昨日、飲み過ぎたせいと眠り過ぎたせいで気分が悪い。
しばらくベッドでぼーっとしていると、玄関のチャイムが鳴った。
無視。
起きる元気がない。
しかし、相手はしつこくもう一度鳴らす。
さらに、無視。
また、鳴った。
しつこーい!
一人暮らしだから、代わりに出てくれる人は居ない。だけど、ベッドから絶対出たくない。
(無駄だと分かっていたけど)布団を被る。チャイムの音は止んだが(諦めたらしい)、今度は別の音が聞こえてくる。
電話の着信音だ。
枕元の携帯を見ると、香からの電話だった。
「はい?」
自分でも嫌になるくらい、掠れた声。昨日は喋り過ぎたし、飲み過ぎた。
「加奈子!」
悲鳴のような声だった。どうしたんだろ?昨日、別れた後で、何かあったんだろーか?
「今、どこに居るの?」
「家。起きたとこ。」
「一人?」
「うん。」
「だったら、そのままじっとしてんのよ!絶対、外に出ちゃ駄目。誰が来ても、無視して!」
「は?」
「昨日、麻友美が死んだの。自宅の風呂場で手首を切って!」
「自殺!?」
驚いて、身を起こす。ベッドに座って、香の話に聴き入った。
「分からない。だって、麻友美が死んだのは昨日の7時頃なの。」
「ちょっと、待ってよ。昨日、あたしが電話した時、旦那は家に居て……」
「麻友美が発見されたのは、今朝よ。お母さんが見つけたの。麻友美が電話に出ないし、旦那とは連絡がとれないって、家に行ったら……警察が来て、通話記録を調べたら、あたしの携帯電話から昨日の夜、電話があったことが分かって……昨日、名乗ってたでしょ!?もし、あいつが犯人で、あの時間、あそこに居たことを知る証人を消そうとしたら……」
そこから先は聞こえなかった。
手から電話が滑り落ちる。
寝室のドアが少しだけ開き、こちらを誰かが覗いている。
……昨日、玄関の鍵を閉めただろうか……まるで、覚えが無い。