なしくずしの英雄誕生
俺の耳にゴウゴウというものすごい風の音が聞こえる。体がふわりとういているような謎の感覚。
――なっ、俺は空を飛んでいるのか!?
恐る恐る目を開けたが、この認識は間違っていた。飛んでいるのではない、俺はすさまじい勢いで落ちているのだ。まわりは霧のようなもので覆われているが、それがすごい勢いで上に吹き飛んでいく。
――やばい、やばい、これは死ぬ。間違いなく死ぬ。滑落死ってやつか・・・
落ち続ける俺の目の前に突如、一筋の赤黒い光が現れた。まるで炎のようなその光は俺の目の前を包み込む。
「小僧、力が欲しいか?お前が求めればその力を授けよう」
どこからともなく、太い声が聞こえてくる。一体何の話だ。わけもわからない状況に意味不明なおっさんの声。この状況を合理的に説明できる人がいたら教えて欲しい。
「お前は力を欲しなければこのまま死ぬ。体は粉々に砕け散るであろうな」
恐怖が頭を覆う。落ちて、叩きつけられ、俺は死ぬのか。この状況で助けを求めないわけないじゃないか。
俺はふきつける風に顔を歪ませながら右手を伸ばした。
「求めし者よ。我はそれに答え、お前にこの力を授けよう。今、ここにアムダルシアの契約が結ばれた。この力がお前にもたらすのは千の救済か万の破滅か。この力を使いし者の行く末、見守るとしようぞ……」
光が俺を纏う。両目を見開いた俺の右手には豪華な装飾が施された剣が握られていた。
だが、俺はそれどころではない。
――意味わからねぇ!なんだこれは!つか、これがあって何になるんだ。剣なんかよりも俺を助けてくれ!
周りの霧が晴れてきた。ゴウゴウと落ち続ける俺の眼下に真っ黒で巨大な何かが見えてきた。
真っ黒なそれは、ゲームなんかによくあるような黒い瘴気みたいなものを纏って体から何本もぶっとい腕を生やし、不気味にうねうねとうねっている異形で、さながらラスボスのよう。いや、ただうねうねしてるわけじゃない。よく目を凝らして見ると、それはなにかと戦っている。
馬鹿でかいそれと戦っているのは高速で動き回っている何か――人だ。
「あーこれはまずいわ」
このままいけば俺はあの気持ちわりい怪物の頭の上に落ちる。あいつの頭がこの猛スピードをやさしく受け止めてくれるようなものだったらいいな、なんて考えたりした。
――あー俺ここで死ぬのか。体が砕けるのは超痛そうだ。つか走馬灯とかってこのへんで見るんじゃなかったっけ……。
ぎゅっと目をつぶった。頭と腹を抱えるような姿勢になるのは人間の本能ってどっかで聞いた気がする。
俺の目の前がどんどん黒くなっていき、俺はそいつにぶつかった。
すさまじい痛みを一瞬感じると意識は飛び散ってい……かなかった。
俺は生きてる――いやすっくと怪物の頭の上に立っている。右手に握られた剣は深々とでかぶつの頭に刺さっている。ちなみにでかぶつには髪の毛らしいものが生えてたが、俺が落ちた場所は禿げていた部分だった。怪物の動きはピタリと止まり、静寂が辺りを包む。
――え……。まじか、なんだこれ。
呆然とする俺に近づいてくる人影、動かぬ怪物を軽快に飛んでこちらにのぼってくる一人の女の子。
彼女は怪物の頭に到達すると信じられないという顔でこちらを見た。
「き、君は一体……。どこから現れたの、それにこの右手の剣は……」
彼女は俺の姿をながめ、しばし体が固まっていた。いや、俺だって同じだ。この状況と目の前におもむろに現れた甲冑姿の女の子に俺の理解がまったく追いつかない。
――ガシャ。
突然彼女が俺に抱きついてきた。
「やった……。ついにやったわ……!」
俺の肩を強く抱き締めた彼女のふんわりとした長い朱色の髪の毛が、後ろから射す光で赤くきらめいている。俺の体を揺するように正面を向いた彼女は、その大きな瞳に涙を浮かべた顔で微笑んでいる。
「あなた、お名前は!?」
「え……、ヨ、ヨシダ……。ヨシダハジメ……です」
俺の体はぐらぐらしている。バランスの悪いこの場所に突然の抱擁。言葉が出てこない。彼女は満面の笑みを俺に向けた。
「ヨシダ!あなたが私の運命の人よ! いえ、この国の運命の人、英雄よ!」
は?
ウンメイノヒト?ウンメイノヒトってどういう意味だっけ?
アナタガウンメイノヒト。
――お、おぉう。
「あなたがどこの騎士団所属なのかわからないけど、見たこともない装束といい、遥か遠く異国の剣士様?」
お、俺か?
俺はたったいまそこの空から落ちてきた男だ。脳内処理の追いつかないできごとが連続して起きれば、小説でそれを読んでるならいざ知らず、当人は大混乱のさなかである。
「いえ、無粋なことを聞いてしまったわ。もうそんなことはいいの。あなたの力でこのガラドマを倒すことができたのだから!この国は救われたのよ。そしてあなたは私を救ってくれた」
さっきから俺はお、おうしか相槌をうっていないことに気がついた。なにを隠そう。状況もさることながら、目の前の甲冑の彼女、見たこともない美女なのだ。鎧を着込んでいるせいでスタイルのほうはちょっとわかりづらいが、全身から美女オーラがあふれ出しているのを感じる。
彼女は俺から一歩下がると、俺の手を握り、凛とした表情になった。逆光の中に見える彼女の表情に俺は釘付けになった。
「ハル=メア代299代国王ハル=アザリバーンが娘ハル=ルーシャ、ここに王国最大の謝意を示します」
彼女はこう言うと俺の腕を握ったまま、頭をこちらに下げた。
きっと、今この場面、ゲームで言えばラスボスを倒した後のフィナーレ的なものだろうな。だが分からないことだらけだ。彼女――姫君様はこのラスボスを倒したかったらしい。しかし普通は複数人で倒しにいくものじゃないのか。しかもそこに空から降ってきて飛び入り参加の俺が倒してしまった。
「ヨシダ!あなたがどこの誰かはわからないけれど、あなたはとても素敵な人よ。あのガラドマに単身挑み、討ち果たしてなお飾らないその様子……。私はあなたが好きになってしまったわ」
面と向かってこんな近くで告白されるなんて、生まれてこの方想像もしたことがなかった。彼女の俺をまっすぐ見つめる潤んだ目。変な考え事なんて全部吹き飛んだ。
「さあ、一緒にハル=メアに栄誉の帰還をしましょ。それと私たちの未来を作りに!」