春風
安心して下さい。(実際には穿いてませんが)穿いてますよ。別の短編『桜』とご一緒に……!
『毎年私達を見に来る少女が酷く重い病気にかかっているらしい』
『今年、いやもうここへは来ないかもしれぬ』
『大丈夫じゃろか、大丈夫じゃろか』
年が明けても、まだ冬のこと。
春に向けて目覚め始めた桜達には、そんな不吉な噂が広がっている。
僕は桜達の主として彼らを安心させたいのは事実なのだが、僕も彼らと同じで心が落ち着けない。いや、落ち着いてなどいられない状況に至ってしまったのだ。
なんせ今年はあの子が来られないかもしれないからだ。
その少女の名前は知らないのだけれど、十年程前から彼女は毎年のように桜が満開の頃、この場所に赴いている。
誰よりも笑顔で、誰よりも楽しそうに、桜達の踊りを見ていてくれるのだ。少女の心からの「綺麗」という言葉には、僕も含めて何度心の支えになっただろうか。
どんなものにも変えられない少女の暖かな笑顔は、桜達にとって明日の糧となり来年までの支えとなるのだ。むしろこの少女のために桜の花が咲いている、そう言った方が正しいのではないのかと、僕らは常々思う。
だからこそ僕達は落ち着いてなどいられない。
僕らは去年貰った「好き」という言葉のためにも、彼女に恩返しをしなければならないのだ。満開の桜で、とびきりの踊りを見せなければならないのだ。
「――よって、僕はこれより大罪を犯す。異論は認めない」
僕の宣言に桜達はで頷き、肯定を示した。
『済まぬ主よ、こればかりは貴方にしか出来ぬ事じゃ』
『主よ、安心なされ。それは大罪などでは決してない、それこそが正しい答えであろう』
『故に我らは頼む。主よ』
――あの少女を救ってくだされ。
桜達の元を離れ、僕は空を駆け抜ける。
少女の居場所はこの国の木々達に教えてもらった、だから迷う事はない。
一足二足、空を駆けるごとに目的地が見えてくる。
それは、大木が目印の真新しい病院だった。桜達の場所からだいぶ離れたその病院は、どこか寂しく、脆く儚くそびえ立っていた。
僕は大木に着地すると声をかけた。
「急に済まない。僕はとある人を至急探さなければならないのだが、質問してもいいだろうか」
『………………』
「暖かな笑顔を見せる少女だ。あれは……そうだな……春風、いや日の出のような暖かさだ!」
『………………』
大木は答えない。知らないのだろうか。
「ここにいると色々な木々達が教えてくれたのだ。頼む、些細な事でもいい! 教えてくれ!」
大木は暫く沈黙を貫いていたが、『……もしや』と偉く低い声で僕に教えてくれた。
『あそこを見よ若人よ』
大木は三階にあるある一室を指さした。
『あそこには、今にも消えそうな光が灯っている』
「今にも消えそう、だと?」
『ああ、私には目は見えなければ、耳もだいぶ悪い。この距離で若人の声がようやく聞こえる程度だ』
大木は『だが』と言葉を繋げる。
『あそこには生きようと足掻く、小さな灯火がある。それだけは、目に見えなくても声が聞こえなくても感じ取れた暖かさじゃ』
「そうか……あそこに少女がいるのだな」
僕はその一室に向かって飛躍しようと試みる。――しかし、その時大木が『まあ、急ぐな。若人よ』と僕を引き止める。
『お前はあの少女とあってどうする気なのだ』
少女を探すうちに何度も木々達に聞かれた問。その問に僕は、自信を持って答えた。
「僕の“全てを賭けて”、少女を救う」
そして僕は飛び立った。
病院の三階、とある一室。
その少女は眠っていた。
どんなにやつれていようと見ただけでわかる、彼女はあの少女だ。
彼女は寝息をたてるだけで、寝返りをうつ気配はない。恐らく体はもう完全に動かないのだろう。
少女の命の灯火は今にも消えそうで、無くなりそうで、触れてしまえば崩れてしまいそうだった。
僕はただただ無言で彼女の元まで歩み寄った。
傍らにあるのは録音テープと、シワがつくまで読まれた数十にも及ぶ手紙の数々。それに真新しい手紙が二つ、『家族へ』と書かれた手紙と『冬君へ』と書かれた手紙だ。
もし少女を知らない人が見れば、彼女は生きる事を諦めたと思うのだろう。
だが、僕らは違う。
彼女の未来を、明日を、来年の春を、心から信じている。
だから、だから託そう。
少女にありったけの未来を。
僕は少女の頭に触れる。嫌でも伝わってくる少女の死のイメージと脳にある一つの大きな腫瘍。
僕がやる事は決して正しい事なんかじゃない。
ある道の行き止まりで、ある答えの間違いで、ある約束を破る事なのだ。
だけど後悔はしない。
僕は桜じゃないから、一度も恩が返せたことはなかった。だから、ようやく彼女に恩返しが出きるのだ。これ以上に嬉しい事はないだろう。
正しくなくても、これが僕の答えだ。
ならば示そう、僕の答えを。
ならば示そう、少女の未来に。
僕は目を瞑って願う。
彼女に生きてほしいと。
――窓が閉まった一室に、暖かい風は吹く。
何処から吹いたのかわからぬ風は、私の頬を撫でて静かに消えていった。
『ありがとう』私の耳には、少年のそんな声が聞こえた気がする。
幼い頃から聞いていたような、懐かしい声だった。
そして私は――深い眠りから目覚める。




