通り雨
雲の多い湿った日。
おばあちゃんの家に遊びに行った私は、家にいてもやることがなく、暇を持て余していた。
ふた間つづきの畳の部屋でゴロゴロ転がっていると
「天ちゃん、いまねぇ若い稲が高く伸びてね、綺麗なのよぉ。散歩がてら 見てらっしゃい」
そう微笑みながらゆったりと話すおばあちゃんへ
寝転がった状態のまま顔を向けた。
「んー…」
数秒考えたけど、特にやることのない私。
のそりと起き上がって「うん」とだけ答えると、そのまま玄関へと靴を履き替えにいった。
「……よい、しょッと。──…ゔ、」
たてつけが悪い引き戸を少し強引に横へずらすと、滑り込むように入ってきたのは湿度のある空気。
それがまとわりついてきて、思わず顔を顰める。
「──気をつけてね〜」
「はーい」
……ちょっとだけ雨の匂いがする、けど。
目的地へと足を進めた。
田んぼと山以外何もない。静かな田舎道をだだ一人。
風に波打つ稲穂の音と土の匂いが漂って、小さい頃を思い出す。おばあちゃんとよく散歩した道だ。
懐かしい記憶をたどって歩くこの道は、相変わらず昔のままで。けれど自分が成長したせいか、道の幅は前より狭く感じた。
「……久しぶりだよなぁ。こういう のんびりするのって」
周りの景色を眺めるように、思い出を振り返りながら、ゆったりと歩く。
この場所の雰囲気、音、匂い。
それらをしみじみと感じて、色々なことが胸にこみ上げてくる。
「…ふふっ」
私はまだ高校生だけど、あんなこともあったよなぁって、若かりし頃を思い出すように。やけに大人の人みたいに。その懐かしさを噛みしめては一人笑った。
そうしていると、ふいにポツリと頬が濡れて
土の匂いが一層濃くなった。
「──…え、あれ? うそっ」
それは次第に大きな粒となって、辺り一面を濡らした。
***
「……傘、持ってくれば良かったな」
近くの木陰に入ってから数分──。
ひとしきり降って満足したのか、雨は徐々に弱まっていくと、空はうっすらと明るさを取り戻しはじめていた。雲間からは天使の梯子が降りてきている。
けれどそれでもまだパラパラと落ちてくる小さな雨は、地面にできた水たまりに波紋を残した。
今のうちに早く戻ろう。
また気まぐれに降り出されても困るし…。
そう思って足早に木陰から出ると、近くにできた小さな水たまりから一瞬、何かがキラリと反射した。
「……ん?」
なんとなくそばに寄って覗いてみると、その水面には一筋の白い影が。端から端まで伸びていた。
───なに、これ…?
なんとも神秘的なそれ。
どうなっているのか気になって、確かめるように空と水たまりを交互に見るけれど、何もない。
けれどそれはそこに在る。
「ん〜…?」
この不思議な現象に首を傾げて唸っていると、それは波紋を受ける度に輝きが増していき、蛇のようにうねっていた。
「ほんと なに、これ?……あ!」
そうやってまじまじと覗いていると、角度によっては虹色に乱反射しているのに気がついて。それがとても幻想的で、綺麗で、美しかった。
「なんか、万華鏡みたい……触れるのかな?」
ちょっとした好奇心で。スッと水面に手を伸ばしてみると
「!!」
それはゆらりゆらりと、波紋と同時に消えてしまった。
「──…っまぁ、そう…だよね…」
こんなにも不思議で、幻想的で、神々しくもある現象と出逢えたというのに。最初で最後の、もう二度と見ることの出来ないものだったのかもしれないのに…。
自分の軽率な行動のせいで、こうもあっさり消してしまうとは
私は自嘲気に肩をすくめる。
「はぁ、残念……って、あれ?」
やってしまったんだから仕方がないか。と、ため息混じりに腰をあげて踵を返そうとした直後。私の背後から射し込んだ光りに、何かが光った。
拾い上げてみると それは純白の鱗で
きらきらと光り輝いていた。
「……これって、」
なんということだ。
自分の影に遮られて気がつかなかった。
あの現象の、なにかの残りなのかもしれない。
「うわぁ 何これ、スゴい綺麗!」
さっきまでの落ち込んだ気持ちはどこへやら。
とても嬉しくて。感動して。
はしゃぎながらそのまま陽の光へと翳してみていると、それもまた一瞬のこと
雪のように溶けてしまって。
「えッ あ、ちょ!うそでしょ待ってッ!?」
今度こそ本当に。
じわりと溶けて、消えてしまった。
「うそーッ!ほんとに待って!待って!!」
随分と大きな声出して。慌てて探してみたけれど
それらしい水たまりも、白い影も。
もう無くなっていて…。
けれどその代わりに、指先に残った鱗粉と
雨に濡れて反射している田んぼの風景だけが
異様に美しく、キラキラと光り輝いていた。
*****
家へと帰ったあの後、また雨が降ることはあっても、白い影をみることはなかった。
「──…なんだったのかな」
緑茶を片手に一人縁側で呟いた私。
眺めるように、向こうの山を見てみれば
風に流れたあの雲は、ごうと一声轟いていた。
「あっちに行けば、またみれるのかな…?それにしても──…」
……本当に、不思議な現象だったな。
そのことについておばあちゃんに話してみると
『それは良かったねえ。白い蛇なんて、滅多に見られないからねぇ』と。
柔らかく、ふふっと目を細めると
信じてくれたのかどうかは分からないけど、
私の頭を 優しく撫でてはそう言った。
「──…また、いつか。」
『いつかまた、みられますように』って。
淡い期待を抱いては、静かに願った。こちらの空には
綺麗な綺麗な、大きな虹が 架かっていた。
雲が割れた 雨上がりの日の、不思議な出来事──。
このような不思議な現象に遭ってみたいなと思って書きました。雨を降らしているのは天候や気圧などではなく、目に視えない不思議なものなら素敵ですよね。