8. 新しい生活(ただし期間限定)
ひょんなことから半同棲生活に入ります。
翌朝
目が覚めると佳子はすでに朝食の準備をしていた。旅の翌日なんだから自分がいなければもっとゆっくりできるだろうに、申し訳ない気持ちになる。
「トーストとサラダと卵だけだけど、よかったら食べてね」
もちろん断る理由などない。ありがたく頂く。
「朝食まで作ってもらって申し訳ない」と謝ると、「いいのよ別に野菜刻んで卵をフライパンに乗せただけだから」とそっけなく言われた。本人にしてみれば作ったなどと言われて心外なのだろうか。
朝食を終えると歩いて近くにあるファストファッションの店に行った。ここでビジネス用の白シャツを2枚と普段着用の下着を上下6枚ずつ買った。旅行用の分と合わせてこれだけあればしばらくは生きていける。普段は短パンでいいが、綿パンの予備も買っておいた方がいいと佳子に言われて一本追加した。
マンションに戻り、少しだけきちんとした格好になって、バスに乗り、佳子の叔母さんの住むマンションに向かう。少し郊外にあるその家は、一階が不動産屋で2階と3階が自宅のようだった。ここで家庭教師をすることになるのだ。
「こんにちは、はじめまして、山口と言います」
「はい、こちらこそよろしく、宮里といいます、ちょっと待っててくださいね、息子を呼んできます」
一度席を立った叔母さんは、タケと思われる少年を連れてきた。色黒で彫りの深い顔、いかにも南方系の顔立ちだが身体は細い。一見したところ素直そうな子である。
「こっちが息子のタケシです。よろしくお願いします」
「宮里猛志です。よろしくお願いします」タケシくんがペコリと頭を下げる。
「じゃあ早速だけど、猛志くんが勉強したい科目は何?」
「一応国立文系志望なんで、一通り教えてもらいたいんですけど、特に苦手な国語とセンターに必要な数学を教えてほしいです」
「逆に、得意な科目は?」
「英語は得意なんで大丈夫です。社会科の受験科目は世界史で行こうと思ってるんですが、日本史の方が楽ですかね?」
「どっちが楽かで選ぶより、好きな方を選んだほうが後悔しないよ」
「どちらかというと日本史の方が好きなんですけど、うちの高校は日本史は3年になってから履修するんで、先に手をつけた方がいいかなと」
「それなら習いながらやれば問題ないと思う。それに自分は高校では日本史を使ったから、世界史は教えられない」
「そういえば先生文系ですけど、数学は大丈夫ですか?」
「うん、受験科目でも数学が選択できるところは数学で受けるぐらい好きだったから」
「よかったぁ。ヨシ姉のお友達は数学とか物理は得意な人が多いけど、今度は国語とか歴史とかは全然だめなんで」
佳子はヨシ姉と言われているらしい。
「で、時間なんだけど、猛志君は月水金の週3回、9時から12時まで、午前中3時間ぐらいでいい??」
そこからおばさんが申し訳なさそうに横から口を挟んできた。
「それなんだけどね、実は猛志だけお願いするつもりだったんだけど、妹の彩夏が私も習いたいっていうの。中3だけど来年高校受験だから先生が良かったらお願いしていいかしら?」
「別に僕はヒマだから構いませんけど」
「彩夏は週2回2時間もあれば大丈夫だから、3回来るうちの2回は午後に彩夏を教えてほしいの。月曜と金曜がいいかな。その日はうちでお昼を食べて行って」
「きょうは彩夏ちゃんはいないんですか?」
「今は部活。バスケやってて夏の大会があってるんだけど、彩夏の中学校は割と強いから、全国大会まで行くと引退が遅くなるから、一応引退してからってことにしておいて」
「わかりました」
「それで、月謝なんだけど」
「はい」
「山口さん、旅行者だからうちの空き部屋を使っていいって話をしてたよね。でもそれだけでは申し訳ないし、彩夏までお願いすることになったから、こっちもきちんと1時間2,500円で謝礼は払うから、その中から家賃相当額として25,000円を月末に払ってちょうだい」
佳子の話では家賃は55,000円と聞いていたから、大幅にディスカウントされている。
「叔母さん、私が聞いた話では55,000円の部屋だったはずよ、安い部屋に泊めるの?」
「安い部屋なんて残ってないわよ。ここの部屋が一番安い部屋」
「でも55,000円って聞いたよ」
「だから学割よ。先生やってもらえるんだから。きっと山口さんだって家賃タダで給料も出ないというよりこっちの方が小遣いも稼げるしデート代ぐらいはどうにかなるでしょ?」
叔母さんも事情は知っているのかな?
「でも部屋って気にいる気に入らないもあるから、あとから一度見てきて。どうしても気に入らないんだったらもうひとつ部屋が空いてるんだけど、こっちはさすがに高級なところだから25,000円というわけにはいかないから、定価にはなるけど仲介のところを紹介してあげる」
「わかりました。猛志くんも僕の教え方が気に入らないとかあったら、遠慮なく言ってくださいね。違約金なしでキャンセルできますし、その時には家賃は所定額をお支払いしますから」
「そしたらこれが部屋のカギ、そして地図、私は忙しいからよっちゃん一緒に見てあげてね、それから山口さん、猛志の授業は明後日からお願いしますね」
「はい」
「それじゃ、よろしくね」
とりあえず契約成立である。
叔母さんの家からそう遠くないところにそのマンションはあった。最初はアパートだと聞いていたから自分が東京で住んでいる1DKみたいなのを考えていたが、鉄筋3階建ての立派なマンションである。
言われた1階の部屋に入ると驚くほど広い。2LDKとやらで広すぎる感じもある。LDKは12畳ぐらい、あとは寝室と書斎だろうか、6畳ほどの部屋が2つある。バスルームとトイレも必要十分すぎる。仮の宿には申し訳ないぐらいである。
「すっごーい、私の部屋より広い。叔母さん私の部屋と変えてくれないかな」
「僕が住むには広すぎるし、家財道具なんて何一つ持ってないよ」
「それは大丈夫。最低限必要なものは私たちが何とかするから」
「とはいっても寝るだけだから何もいらないけどね」
壁のスイッチを押すと、照明が点いた。
「あ、電気契約されてるんだ」
「水道と電気は立て替えておくけどガスは契約してないって。もっともここは温水も厨房も電気だからいらないみたいだね」
「でもやっぱり広すぎて落ち着かないね」
「期間限定だもの、甘えちゃえば?」
「そうだね」
「あと、必要な家財道具だけど」
「カーテンだけあればいいよ」
「え、カーテンだけ?」
「うん」
「だって冷蔵庫とかいらないの?」
「うん。だってコンビニが近くにあるし、料理しないから」
「寝具は?」
「マットレスとタオルケットが一つずつあればいい」
「本当に寝るだけなんだね」
そりゃそうだ。あまりにモノを揃えたら退去する時が大変だ。
「友達のところで余っているものとか集めてくる。たぶん一通りそろうはずだよ」
「そんな、どうせ使わないかもしれないからいいよ」
「どうせ捨てるものだし、みんな厄介払いですぐ分けてくれるよ」
佳子に押し切られる形で家財道具も入れてもらうこととなった。
「じゃ、ここでいいね。叔母さんに電話するから」
佳子は叔母さんの携帯に電話を入れ、部屋は大丈夫だと伝えた。大丈夫も何もこっちは激安で貸していただく身である。文句などあろうはずがない。
「あとは、自転車があった方がいいかも」
「なんで?コンビニもすぐそばにあるよ」
「ここ、終バスが早いんだ。クルマとかバイクとかは買えないから、自転車が一台あると便利だと思う」
「わかった、じゃあ買うけど、僕が要らなくなったら引き取ってね」
「いいよ。じゃあ買い物行こう」
近くのホームセンターで一番安い自転車と一番安いカーテン、それに一番安い寝具を買った。嵩張るものだったので配達してもらった。佳子はヒロシがいれば車貸してもらうのにとぼやいていたが、そこまで見ず知らずの人様のお世話になるのは申し訳ない。家まで歩いて帰るのと配送のトラックが家に着くのはほとんど同時であった。寝具を並べてカーテンをつけたら一応部屋らしくなった。
「これでよし。と」
気が付いたらお昼というより夕方近い時間だ。
近所のファミレスで軽く食事をする。
「なんだか1日付き合わせてしまって申し訳ない」
「バイトがなければ真奈も来たかったみたいだけど」
「真奈ちゃん、バイトしてるんだ」
「そう、アクセサリーショップ。お嬢様なんだから働かなくても大丈夫なんだけど、やっぱり社会勉強なのかな?」
「へぇ」きっといろんな経験をしたいのだろう。
「佳子ちゃんは何かバイトしてるの?」
「うん、塾で講師やってる。物理と化学」
「なんだかイメージ通りだ」
「でも週に2回で夜だけだからあまりお金にはならないのよ。大学の実験とか実習が忙しくて」どんな実験やるんだろう。イメージも湧かない。
「今日は由紀とは会わないの?」佳子が訊いてきた。
「仕事が終わったら電話してくることになってる」僕は答えた。
「今日は早上がりだから、もうすぐ掛かってくるよ」佳子はにっこりしてそういった。
食事が終わる前に由紀から電話があり、勤務が終わったら僕の部屋を見てみたいんでそっちに行くということだった。
「あとは、若い二人で楽しくね」
食事を終えると、佳子は自分のマンションに帰って行った。僕も自分の部屋に戻った。
一時間も経たないで、再び由紀から電話があった。最寄りのバス停は佳子から聞いてやってきたが、マンションの場所がわからないからバス停まで迎えに来てほしいとのこと。バス停に歩いていくと、いつもよりメイクの濃い由紀がいた。
「由紀、何か今日大人っぽい」
「そうね。仕事用メイクだからね。恰好も通勤スタイルだし」
「部屋、見てみる?」
「うん、行く行く」
部屋に入るとそのだだっ広さに驚いている。何もないので余計に空間が広く感じるのだ。
「寝室も見ていい?」
「うん」
折りたたみ式の薄いマットレスと毛布だけが部屋の隅に置いてある。
マットレスの端に二人で腰かけた。
「本当、何もないんだね」
「だって1ヶ月半だけの仮住まいだ。本当はずっといられたらいいけど」
「仮住まいにしてはぜいたくだね、私の家より広いよ」
「ぜいたくだろ?佳子ちゃんとか『私の部屋と替わってほしい』とか言ってたし」
「それ、わかる」
「僕だって東京のアパートと替えてほしいよ」
「あはは、こっちに住んだら?」
「それもいい」
「本気?」
「大学卒業したら。ね?」
「えーっ、長いーっ」
「二年なんてすぐだよ」
「うれしーい」
由紀は抱きついて、僕にキスしてきた。勢い余って僕は後ろに倒れこんでしまった。由紀が上から覆いかぶさるようになって、抱きしめてきたので抱きしめ返した。
長い長いキスのあと、顔を上げた由紀を見ると泣いていた。
「どうしたの?」
「だって今日ここにケンがいてくれたのがうれしい。だって旅先で出会って私たちが那覇に帰ったらそれで終わるのが普通でしょ?それが私のためにこうやって一緒に来てくれて夏休みを全部私のために使ってくれたわけじゃない」
「まあ、私のためってのは違うかも。僕がやりたいようになったら結果としてそうなったってだけで、自分を見つめなおすことはできてないかもしれないけど、前の彼女を拭い去ることはできてるから」
「じゃ、ケンの夏休み、遠慮なく私が貰うね。そのかわり私もできることはぜーんぶケンにしてあげるから」
「じゃ、早速お願いしていい?」
「何?」
「さっきから由紀の胸がずっと僕に当たってて、普通じゃいられなくなりそうだから、一度離れよう」
「もーっ!そんなお願い?」
「でも別に由紀がそのままがよかったら、離れなくていい」
「うん、もう少しこのままでいさせて」
「わかった」
実を言うと、僕も由紀の身体を撫でながら幸せを感じていたので、本音では離れてほしかったわけではない。ただこんなに好きになりすぎて、東京に帰った後のことが大丈夫だろうか、今度はそんな心配をしていた。
「ねえ、今ケン東京に帰ってからのこと考えてたでしょ」
「なんでわかった?」
「私もこの時間が幸せすぎて、ケンがいなくなっても大丈夫かなって思っていたから」
「僕もそれが心配だから、1ヶ月半かけて心配いらないようにしていくつもりだよ。そうは言ってもどうすればいいのかわかんないけどね」
「ありがとう」
「大好き」
「私も」
もう一度口づけをして、起き上った。
「ねえ。おなかすいてない?」
「由紀は?」
「おなかすいたぁ」
実は僕は昼食が遅かったのでそんなに空いてはいない。でも普通に考えると夕食の時間である。
「由紀は何食べたい?」
「ケンは何がいい??」
「うーん、由紀が食べたい」我ながらベタな答えだ。
「二番目は?」
「何でもいい」
「じゃ、イタリアンにしよう」
「OK」
「職場の近くにいい店があるんだ」
「じゃ、そこにしよう」
「わかった」
バスに乗って国際通りにあるイタリアンレストランに着いた。
サラダ、スープ、ピッツァ、パスタ、肉料理を一つずつ頼んで二人で分けた。僕はあまりおなかが空いてなかったけど、取り分けられると食べざるを得ない。結構おなかいっぱいになった。
食事が終わると解散である。由紀は明日も仕事である。
「家まで送るよ」
「いい、いい。そんな迷惑かけられない!」
「迷惑じゃなくて送りたいの!僕は明日の予定ないし、いくら遅くなってもいいから。それに僕が送ったらその時間だけは一緒にいられるから。本当は今日だって職場に迎えに行きたかったんだよ。職場の人の目とかあるから迷惑かもしれないって自重したけど」
「あ、でも、それは嬉しいけど、私の家って小さいおうちでボロだし、あまりそういうのケンに見せたくない」
「じゃ、そうか。家が小さくてボロだったら僕が由紀のこと嫌いになると思ってるの?」
「そうじゃないけど、恥ずかしいよ」
「何も恥ずかしいことじゃない。こんな立派な娘がいて、なんだったらきちんと親御さんに挨拶してもいいよ」
「それは今日じゃなくてもいい、お願いだから今日は一緒に帰るだけにしよ」
結局一緒に帰るところまでは譲歩してくれた。
いつもはバスで帰るのだが、由紀の提案で歩いて帰ることになった。そっちの方が長い時間一緒にいられるというのだ。
帰り道、由紀の家族のことを聞いた。父親は由紀が小学校に入る前に離婚して、母親が女手一つで由紀を高校まで出してくれたこと、でも夜勤のある看護婦の仕事だったから小学校のころから一人で料理をしなければいけなかったこと、高校時代は成績優秀で大学にも行くように言われたが、もうこれ以上母親に負担をかけたくなかったので行かなかったこと。そこまではだいたい昼間佳子から聞いていたことだったが、僕が気になっていたのは由紀が夢をあきらめて就職してはないのかということである。親の経済的事情とかで大学に行かなかったことは理解できるが、本当はやりたい夢があったのにそれをあきらめて就職したのではないかと。僕にとってそこが一番気になるところだった。
「で、由紀は今の選択に後悔してないの?」
「後悔するも何も、自分で選んだ道だから。大学に行って普通に就職してOLやるのもそう変わらないし、それに成績は良かったかもしれないけど、あまり勉強好きじゃなかったし」
「そうかなぁ?」
「えっ?」
「前の彼氏はどう言ったの?」
「由紀の人生だから好きにすればいいって」
「僕だったらそうは言わないね」
「なんで?」
「きっと由紀はお母さんのことが気になってたんだと思う。由紀が家を出ると一人になっちゃうし、私が大学に行くことで老後の貯金も先送りになっちゃう。そう考えたんじゃないかな?」
「それも間違ってはいないけど、だから夢をあきらめたんじゃないよ。本当に一日でも早く社会に出たかったんだから」
「社会の人全員が就職して好きなコトして生きられるわけじゃないし、むしろほとんどの人は食べるために仕方なくその仕事をしてると思う。でも可能性があるのにその道をあきらめてしまうのは、親としてお母さん悲しいんじゃないかな?ちなみに由紀の夢って何だったの?」
「通訳になること。中国語を覚えて、台湾から来るお客さんに沖縄のいいところを案内して、沖縄を好きになってもらいたかったの」
「ほら、夢、あるじゃん。それでいいんだ。まだ諦めるのは早いよ。仕事しながらでも中国語勉強して、まずは職場の中で中国語を使えるようになったら、台湾からのお客さんに対応できるようになるでしょ?まずはそこから始めてみたら?僕もできるだけのことは協力するから」
「ありがとう、ケンって本当に私のこと考えてくれてるんだね」
僕は由紀からお礼を言われたことより、本当の夢を話してくれたことがうれしかった。
由紀の家に着いた。明日も会うことを約束して、自分のマンションに戻ろうとしたときだった。
「ちょっと待って、お母さんに会ってもらう」
さっき挨拶してもいいとは言ったが、話の流れで、本気で会うとは思ってなかった。少し戸惑ったが、ここはきちんと挨拶しておこう。
「はじめまして、山口健太といいます。娘さんとお付き合いさせていただいております」
「あら、この方が健太さん、はじめまして、由紀がお世話になってます」
「いえいえ、僕の方こそ、いろいろとご迷惑かけてます」
どうやら八重山での一連の流れはすでに話しているようだ。
「まぁまぁせっかくいらしたんだからお茶でもどうぞ」
「失礼します」
由紀の家は古民家と言っていいのが適当なくらいの古い一戸建てで、間取りは2DKといったところか。確かに由紀の言う通り小さいが、この家に由紀の歴史がいっぱい詰まっていると思うと、なんとも言えない気分になった。
「由紀は強情で頑固な娘だけど、私にとっては大切な一人娘でね」母親が話し始めた。
「思いやりも人一倍あるんだけど、頑固すぎて親の私も持て余すくらい」
由紀は黙って聞いている。
「もう私は一人でも大丈夫だからっていうんだけど、由紀は出て行かなくて困ってしまうのよね」
冗談だか本気だか微妙なことを言う。
「だから健太さん由紀をもらって行ってはくれませんかねぇ」
「お母さん!」由紀は驚いて叫んだ、怒っているわけではないが面食らっている。
「ケンは東京の学生さんだよ、今そんなこと言われても困るでしょ!」
「だったら東京に連れて行ってもらいよ。あとのことはどうにでもできるから」
「あのぉ」親子の間に僕が割って入る。
「僕は由紀さんとお付き合いする以上は半端なことではいけないと思っていますし、そのつもりもありません。でもまだ学生の身だし、何より出会ってから4日しか経ってません。お互いまだ相手のことを知っているわけでもありません。だから連れていくとしてももう少し時間が必要です。その時がきたら責任をもって連れて行きますので、お母さんもそれまでは由紀さんをそばにおいてあげてください」
「わかりました。健太さんがそういう方で安心しました。いつでも返品可能ですけど私にとっては大事な娘ですので、大事にしてくださいね」
こうして僕たちは親公認の仲になった。
由紀を家に送ってしまうと、何もやることはない。
まだ道も詳しくないので、さっき来た道を歩いて帰っていた。
10分も経たないうちに、携帯が鳴った。由紀からだ。
「ケン、帰りの道わかる?」
「そりゃ来た道を戻るぐらいできるよ」
「違う違う、戻ると市街地に出るから遠回りになっちゃうよ」
どうやら近道があるらしい。
確かに僕の住むところは中心部の北西にあたり、由紀の住むところは中心部の北東にあるから、三角形の底辺を直線で結べばそう遠くないはずだ。
「今から道教えてあげるから、そこで待ってて」
「もう遅いし大丈夫だよ」
「いいから、そこで動かないでね、いい?」こっちの返事を待たず電話を切られた。そこまで言われたらどうしようもない。
待っている間、スマホを取り出し、現在地から自宅への最短ルートを割り出した。
「待たせてごめん、近道を教えてあげるね」由紀がなぜか大きなバッグを抱えてやってきた。
「それはいいんだけど、そのバッグ……」
「うん、お泊まりセット。今日からケンのところに泊めてもらうんだ」
「え?」
「お母さんが、『由紀も大人なんだから今一番大事なことは、健太さんのそばにいることじゃないの?東京に帰ったら会えなくなるんだから、こっちにいる間は泊めてもらったら?』って言うの。時間がなかったから今日の分しか持ってきてないけど、ケン、いいかな?」
もちろん断る理由なんかない。
「でもお母さんすごいな、堂々と娘に外泊させるんだ」
「高校の頃から友達の家に泊まったりすることあったし、前の彼氏との旅行なんかも公認だったから、そのあたりは寛容なの。それにお母さんも夜勤とかあって家にいないこと多いから、管理しても仕方なかったんじゃないの?」
「それはやっぱり由紀がしっかりしてたから信頼されてたんだよ」
「しっかりしてなくても放任せざるを得ないとか」
「あはは」
会話が弾んでいるといつの間にか自宅のそばに着いていた。家に入る前にそばのコンビニに行って、明日の朝食と洗面道具を買った。
「なんかこうやって一緒にいると夫婦みたいじゃない?」由紀が微笑んで話しかける。
「そうだね、先行体験できていいかも」
「合うところも合わないところも知ってた方が後々苦労しないって言うしね」
「そうだね、でも幸せだ」
「私も幸せだよ」
「じゃ、帰ろうか」
「うん」
二人で部屋に入る。由紀は明日も仕事だ。今日ももう遅い。でも二人にはもう一つやり残したことがあった。
一緒にシャワーを浴びて、狭いマットレスの上だったけど、とうとう僕と由紀は結ばれた。
二人とも初めてではなかったけど、こんなに満たされたのは生まれて初めてだった。