5. 急展開
このまま付き合わせて遠距離にするつもりでしたが、
午後4時。
シュノーケリングツアーを終え、ホテルに帰ってきたのだが、夕食には早くアクティビティには遅いという中途半端な時間である。だからと言って昨日のようにビーチバレーなどする体力は残ってない。温泉旅館ならこういうときはひと風呂浴びてくるという雰囲気になるのだが、残念ながらそれも無理なので、自然に部屋でおしゃべりタイムになる。
「ねぇねぇ、私たちあと1日しかないんだけど」真奈が口火を切った。
「明日どうしようかってこと?」僕が返す。
「そうじゃなくてぇ」
「ヤマケンくん、由紀をどうするの?」佳子がはっきりと答えを求めてきた。
こんなところで公開告白させるつもりか? 確かに由紀のことを好きになっていることは間違いない。だからってハイこれから付き合いますという感じではないし、性急な結果は自分も、きっと由紀も求めていないだろう。
でも明日になれば3人は那覇に帰ってしまう。その前にある程度の結論めいたものは出しておかななければ、何もなかったことになってしまうかもしれない。由紀の方を見ると、期待と不安が交錯した顔…をしているかと思えば、自分は関係ないといった感じでお菓子など食べている。
「由紀は……答え出てるの?」佳子がそんな由紀に向き直って訊いてきた。
「うん」あっさりしたものだ。由紀は続けた。「さっき海の上で約束したんだ。今度一緒にダイビングに行こうって。ヤマケンくんは約束を守ってくれる人だと思うから、少なくとも次に会うことはあると思う。だから私たちが明日那覇に帰ったとしても、お付き合いするかどうかは別にして、どちらかが無視したりしなければこれで終わりにはならないと思うよ」
でもそれって現状のまま継続して、友達のままで終わるかもしれないってことだよな。それも何だかさびしいけど、もう少し由紀のことを知りたい。
「ヤマケンくんがどう思ってるかはよくわからないけど、私はお付き合いするんだったらもう少し時間がいるって思う。どう思ってるかぐらいはある程度わかるようになったらいいタイミングなんだけどね」由紀が僕の顔を見て微笑んだ。また撃ち抜かれそうだ。
「僕も正直お付き合いしたいという気持ちはある。でも距離の問題もあるし、出会って一日だからもう少し由紀のいろんなことを知りたい。だから今すぐに結論を出せるものとは思えない。もう少し時間がほしい」心を決めて僕は正直に答えた。
「ところでヤマケンくんはこっちにどのくらいいるつもり?」今度は真奈が訊いてきた。
「どのくらいって……帰りの航空券はオープンだから最大1年間有効だけど、後期の授業が始まるから9月末には東京に帰らなくちゃいけないかな?」
「9月末って、あと1ヶ月半もあるけど旅費は大丈夫なの?」今度は由紀に聞かれた。
「うん、向こうで結構バイトとかしてたから、お金は心配ない。さすがにこんなリゾートばかりに泊まってたら無理だけど」
「ちょっと待ってて」急に佳子が席を外した。何か思いついたことがあるらしい。
「由紀、作戦行動に出るからね」真奈が二人を交互に見てにやにやしている。ひょっとしたら何か作戦があるの?
「ヤマケンくん」真奈が話し始めた。「最初、私たちと会った時、傷心旅行で自分を見つめなおすからリゾートでこっちに来たんじゃないって言ったよね」
確かにそうだ。
「でも今、由紀のこともう少し知りたいとも言った。だったら別に八重山にこだわらなくてもいいんじゃないかな?」
「え?」
「私たちと一緒に那覇に行けばいいのよ」真奈が言い出した。「安く滞在できるところは地元の私たちが知ってるから、そこに滞在して、昼間は由紀が仕事だから自分探しでも何でもして、夜に逢ってデートしたらいい」
そうだった。この2日間が楽しくて忘れかけていたが、八重山に来たのはたまたま旅行代理店のポスターを見たからだった。で、たまたまそこで出会った3人組と仲良くなって、たまたまその中の一人と恋仲になりそうになっている。当の由紀はと言えば驚いたような顔で真奈の方を見ていた。
「真奈、お待たせぇ」佳子が帰ってきた。「ヤマケンくん、唐突な質問だけど、高校生の家庭教師できる?」
「へ?」
「だから高校生の家庭教師だよ」
「できないことはないと思うけど、なんで?」
「今私の従弟で高2の子がいるんだけど、那覇でその子の家庭教師をお願いしたいなって思って。法学部志望だし、できたら夏の間だけでもお願いしたいんだけど。費用は気持ちぐらいしか出せないんだけど、そのかわり住むところとお昼ごはんぐらいは準備できるよ」
ははぁ、そういうことか。作戦行動とは僕を那覇に連れて帰るための理由づけを作ることのようだ。
「住むところって、まさかその従弟の家?」
「違うよ、従弟の家が持っている賃貸のアパートに空き部屋が二つあるから、そんなに広くないけど家賃5万5千円のところをタダでいいって。空き部屋って掃除したり換気したりしなくちゃいけないから、お金入って来ない割に結構手間かかるんだよね。きれいに使ってくれるなら貸してあげるってさ。もちろんヤマケンくんがよかったらの話だけど」
う―ん、悪くない。でも相手の子との相性もあるから、保険は掛けておく必要はある。
「僕は別にいいけど、家庭教師って相性とかもあるから、それで従弟は大丈夫なの?」
「うん、従弟は東京の大学生が来てくれるっていうだけで喜んでるみたい」期待値が大き過ぎるとそれはそれで困る。でも歓迎されているなら断る理由はない。
「じゃ、とりあえず交渉成立」佳子が電話をかけた。「あ、おばさん?さっき話した、タケの家庭教師の話、先生受けてくれるって。明日は無理だろうから、明後日連れていくと思う。そこで科目とか時間とか交渉してね」従弟はタケと言うらしい。
「佳子、何そんな手はず整えてるの?」共同で作戦行動をしたはずの真奈が一番驚いている。
「いやいやごめんごめん、船の中では安いゲストハウスに泊まってもらうって言う話だったけど、おばさんから私の友達で従弟の家庭教師できる人はいないかとしつこく聞かれてたの思い出して、でも私工学部だから文系の勉強教えられる人なんて友達にいなかったでしょ?それを思い出してゲストハウスの予約する前に夏休みだけでもいいかっておばさんに連絡したの。で、空き部屋のことも思い出したから、そのかわり東京からの旅行者だから空き部屋を使わせてって。おばさん二つ返事だった」
なんともすごい行動力である。偶然も重なっているが、交渉力もすごい。
「てことは、さっき足つってる時に船の中で計画したの?」由紀が訊ねる。今度は真奈が答える。
「うん。きっと慎重な二人だからもう少し時間がほしいはずだと思ったんだ。で、できることならぶっちゃけ私たちも由紀にくっついてもらいたいから、そのもう少しの時間をどうするかってこと考えたときに、じゃあヤマケンくんを那覇に連れて行けばいいってことになったの」
「それでね、最初は一泊3000円ぐらいのゲストハウスに泊まればいいっていう話だったんだけど、急に家庭教師のこと思い出して、そっちの方がヤマケンくんも経済的には楽かなって。でも勝手なことしてごめんね」佳子が謝ってきた。真奈との計画を上回る計画を持ってきたということだ。
「ううん、すごく私たちのこと心配してくれて、本当にありがとう、感謝してる」由紀は泣きそうである。僕も泣く事はないけど、女の子同士の友情が素敵だと思ったし、何より由紀とサヨナラしなくてすむということが一番うれしかった。そのかわりせっかくの八重山滞在だったが2泊3日で終わりのようである。そして今度は那覇での旅が待っているようである。生活もするから旅というより日常の延長みたいだが。
話をしているうちに陽も暮れかかり、夕食の時間になっていた。
しかしながら昨日食べたバーベキューはさすがに二日連続で食べたくはない。皆同じ意見のようで、ホテル近辺の集落に出て郷土料理の居酒屋で過ごすことにした。せっかくの夕食サービスは流してしまうことになるが、もともとそうするつもりだったし、損はしていない。
沖縄料理といっても自分はソーキそばとチャンプルーくらいしか知らなかったのであるが、さすがに那覇在住だけあって、女子たちが定番から珍しいものまでいろんな料理を次々と注文する。個人的には全国的に無名に近い石垣牛の美味さにびっくりした。訊くところによると全国のブランド牛の多くを八重山で生産しているとのこと。
さんざん食べて飲んでから、ここは僕が奢らせてもらった。最初はみんな遠慮したが、二人をこのまま終わらせたくないというみんなの心遣いがうれしかったのである。
午後9時。食事のあとはすぐそばにあるカラオケ屋に行くことになる。女子たちはかなり出来上がっていてハイテンションである。
「今日の前半は沖縄縛りで行くぞー!」
「おー!」
「負けたやつが奢りだー!」
「おー!」
どうやら沖縄に関係ある曲しかリクエストできないらしい。どんな歌があるかと迷っていたが、沖縄のテーマにした歌だけではなく、シンガーでもライターでもなにか沖縄に関連してさえいればいいというルールだった。沖縄出身のアーティストは意外に多く、順番に回ってきてもそう困ることはなかった。僕は歌にはまるっきり自信がないけれど、知っている音楽の幅には少々自信がある。
きっちり1時間歌い続け、誰も負けることなくフリーで歌える時間になった。
やたらと女子たちが僕と由紀をデュエットさせたがる。満更ではないけど。
あまり上手ではない僕と違って、由紀の歌は惚れぼれするくらい上手い。それは真奈と佳子も認めるところで、「百貨店クビになったらクラブシンガーになりなよ」などと言っている。
そういう佳子もなかなかのレベルである。真奈も下手ではないのだが、この女子2人が相手では気の毒ではある。でも振りとかアドリブとかが可愛くて、自分を可愛く見せることについては一番長けている。
夜も11時を過ぎて、ホテルの部屋に戻る。
昨日と同じ部屋割にしてそれぞれ分かれる。今日は2人とも207号室のカードキーをもっていこうとしたので、前日と同じように1枚だけ交換した。
「コトの最中に入られるかもしれないよ」と真奈が冷やかすので、「逆に二人まとめて襲うかもしれないよ」と言っておいた。もちろんそんな気はない。
二人別々にシャワーを浴びて一緒のベッドに入る。今日はわざわざ誘わなくてもお互いにわかっている。
「今日はびっくりしたでしょ?」
「そりゃそうだ。まさかこんな展開とは思ってなかったから」
「私もだよ。でもすっごく嬉しかった」
「僕もだ」
「でも、嬉しいってことは、お互いもっと一緒にいたいってことだね」
「そういうことだよ」
「でも、ちょっと心配」
「何が?」
「那覇に帰ったら日常の私と逢うんだよ。怖くない?」
「なんで怖いの?」
「普通のところ見られたら嫌われるかな?」
「そんなに私生活はひどいの?」
「ひどいとは思わないけど……すべて見せちゃっていいのかなって気がする」
「でも、僕は見たいな。自分の中ではまだまだ由紀ちゃんと一緒にいたいって気持ちがすごく強いけど、やっぱりよそいきの由紀ちゃんしか知らないのと、普段の由紀ちゃんを知ってるのとでは気持ちが全然違う」
「距離の問題は?」
「そこも少しあるけど、それはたぶん大丈夫な気がしてきた」
「実はね、さっきみんなの前ではもう少し時間が必要って言ったけど、本当は私は昨日から大丈夫だと思ってたよ」
「なんで?」
「だってヤマケンくん、昨日私から誘われても抱かなかったでしょ?普通ならそんなに興味ないのかなって思うよ。でもすっごく優しくしてくれたし、大事にしてくれた。私の話を親身になって聞いてくれた。だから本当に抱かれてもいいって思ったの。それに、寝る前に抱きしめられて久しぶりに男の人の温かさを思い出して、この時間が止まってくれたらいいって思ったのね。それでこれだけ大事にしてくれる人だったら、きっと離れていても気持ちは届くって」
「それは僕も同じ。こんなに早く前の彼女のこと忘れられると思わなかった」
「忘れちゃだめだよ、新しい彼女には寂しい思いをさせないでね」
「そしたらさっきは何で時間がいるって?」
「あの二人、結論をやたらと求めてくるから」微笑みながら困った顔をする由紀。
「うん、でもね、それだったら僕たちもうほとんどお付き合いするってことじゃないの?」
「まあそうかもね」
「だったら今ここで告白しようか」
「してくれる?」
僕はうなずき、ベッドの中で横になったまま向かい合う。
「僕、由紀さんのことが大好きです、付き合ってください」
「私も大好き。ヤマケンさん、付いて行かせてください」
「ちょっと待った。ヤマケンさんってやめよう、なんか彼氏っぽくない」
「じゃあ、なんて呼ばれたい?」
そんなの考えてもなかった。前の彼女からは健太君だったが、同じ呼ばれ方はされたくない。
「ケンでいいよ」
「じゃあもう一度、ケン、大好き」
ベッドの中で彼女の体躯をギュッと抱きしめた。
二人の唇が重なる。
今夜もそれ以上は何も起こらなかったが、僕は満たされていた。何も急ぐ必要なんてない。だって明日で終わりではないのだから。