王女の誘拐
翌日、うららかな日の光にまぶたを叩かれ、目を開けようとした直前、ドアが激しく叩かれた。
「美桜、起きて」
リリーの声だ。私はリリーの慌て振りに眠気が吹き飛び、体を起こすと部屋の鍵を開ける。
「フェリクス様が」
そう口にしたリリーが私の腕をつかんだ。彼女は何か言おうとしているが言いかけてはやめを繰り返す。
リリーの後方にはローズがいる。彼女はわたしと目が合うと、彼女は「起こしてごめんね」と顔の前で手を合わせる。
ローズの顔を見る限り、そこまで緊急の用には見えない。
「フェリクス様って誰?」
目をこすりながら、そう問いかけた。
いろんな人がいるので名前を全て覚えるのは大変だ。アデールさん、リリー、ローズ、アラン、マルクさん辺りは覚えたが、まだ顔と名前が一致しない人は少なくない。
「アラン様のひいお祖父さんなんだけど、ずっと体調がすぐれなかったの。でも、今朝、美桜の作った薬を飲んで、体調が良くなったらしいの」
ローズの補足でやっと状況を理解した。
「じゃあ、本当に元気になる薬だったの?」
「そうだと思う。ただ、材料が材料だし、成分や安全性を調べるためにお城の薬師がほしいといっているけど、少しあげて構わないかな?」
「大丈夫だよ。どうせ、この城のものと、リリーたちに集めてきてもらったんだもん」
「ありがとう」
ローズはお礼を言うと、出て行こうとしたリリーを制する。そして、彼女は自分が行くと言うと、部屋を出て行く。
「そんなにフェリクス様は体調が悪かったの?」
「かなりね。昨日のメモには他にも何かあるの?」
リリーの心境が一変したのは目に見てとれる。
私はもう一枚の紙を取り出した。そこにはティエリの治療薬と書かれている。
「ティエリって知っている? 病気の名前みたい」
リリーは首をかしげる。
「さあ、人間の病気なのかな?」
その時、ローズが戻ってきた。
「とりあえず半分あげたよ。それでさっきそこでフェリクス様に会ったの。フェリクス様に美桜の話をしたら、ぜひお礼を言いたいと言っているのだけれど、美桜はどう?」
「いいよ。着替えてから行く」
フェリクス様はわたしの部屋に行くと言っていたが、病み上がりという事もあり、私の意見を聞いてから良ければ出向くという話になったそうだ。
リリーとローズは部屋を出て行き、着替えた後に、ローズの部屋で合流することになった。
私は机の上に置かれた白の洋服に手を伸ばす。ここに来て一週間、服を女王様が貸してくれた。ワンピースのような形になっており、風通しは良い。人によってはこの下にレギンスのようなものを履くらしい。ただ、私がレギンスと勝手に呼んでいるものも、ぴったりと肌に付着するのではなく、巾着のようにふんわりとしているので厳密には違う。
これらの洋服のさらりとした感触が、どこか綿の洋服を連想させる。これは植物の繊維を取り出して、折り機で作ったものらしい。どの服も年期は入っているが、もともとの質が良いのか、くたびれた感じもない。色を付けたい時には、洋服を作った時に花などを使って着色をするそうだ。
私は服を着ると、ローズの部屋をノックする。そして、出てきた二人と共にフェリクス様の部屋に行くことになった。彼の部屋は同じフロアの逆サイドの一番奥の部屋だ。
ローズがノックすると、アランが出てきた。彼はわたしへの警戒心を解いていないのか、いつも私を鋭い視線で追う。私が彼の鋭い目つきから逃れるために目を逸らしたが、彼はいつもとは顔つきが違っていた。心なしか優しい気がする。
部屋に入ると、中央の椅子に白いあごひげを蓄えた男性がいる。彼は私と目が合うと、優しい笑みを浮かべる。
「美桜さんですね。今までご挨拶もできずにすみませんでした」
私は首を横に振る。
「あなたのお蔭です。すっかり体調も良くなり、仕事に復帰できそうです」
私は感謝され、照れてしまった。もともとあのおじさんにもらったメモが切っ掛けなだけなのに。
「でも、何であの薬を飲もうとしたんですか?」
「あそこにいくつか壺があったじゃない。あの中に一つフェリクス様の飲み物があったらしいの。フェリクス様の世話係の人が間違えて、フェリクス様に呑ませたらしいの」
ローズがそっと教えてくれた。
納得はしたが、危険すぎる。結果オーライというか、変な飲み物になっていなくて良かった。
私達は長居するのも悪いということで、足早にフェリクス様の部屋を出る。
部屋に戻ろうとした私をアランが呼び止めた。
「ありがとうございます。感謝します」
思いがけないお礼の言葉に私は返事を帰せないでいた。彼は優しく笑うと、祖父の部屋に戻っていく。彼の警戒心も少しは溶けたのだろうか。
私たちはその足で部屋に戻る。そして、あのメモをじっくりと見た。
「どうかしたの?」
「このメモのことも言ったほうが良いのかな?」
「言わなくていいんじゃない? この国の人は時間だけはやたらと持っているから、今度はこの文字の解析でも始めそうだもん」
リリーはどうやら面倒らしい。ただ、聞かれたわけでもないので、言う必要はないような気がしていた。
だが、ローズは興味深そうにそれを見つめている。
「何か見た事ある気がするな。この絵みたいな文字」
「どこで?」
ローズは首を横に振る。
「思い出せない。でも、私も言う必要はないと思うよ。悪用しようという人に知られたら面倒だもん。もっとも美桜しか文字が読めないから安心だけどね」
ローズの言葉に、私への信頼が見えて、少しくすぐったい。
「どうせなら他の薬も作ってみない? この上二つならすぐに集められるもの」
「そうだね」
お礼を言われ、テンションのあがった私たちは、材料探しに繰り出す事にした。
ティエリについてリリーが知らないといったが、その原料も一つローズたちの知らない物が含まれていた。
その原料の一つとされているエミールの木の皮は妖精の国でとても有名なものらしい。二人は私の口からその名前が出てきたのに驚いたそうだ。何でもそのエミールの木は妖精の国でただ一本だけ生えているもので、それを煎じて飲むと体の不調が回復するそうだ。万能薬の類のようだ。ただ貴重な物なので、余程酷い病でないと処方がされないらしい。
フェリクス様はエミールの皮を飲んでも回復しなかったらしく、効かない病もあるようだが。
「女王様の許可はもらえそう?」
「大丈夫だと思うよ。国の在庫も切れかけているから、その採取を兼ねて聞いてみるよ」
そのローズの鶴の一声で、私達はエミールの木の皮を採取しに集落の外に繰り出す事になった。女王様の許可はすぐに下りる。アランに出かける時に会い、エミールの木に行くというと、彼は不安な面持ちで私達を見る。
「そんなに危険な場所なの?」
「そんなことないよ。ただ、少し集落から離れているだけなの。アランは、ローズのことが特に心配なのよ」
リリーは私を見て悪戯っぽく微笑むが、理由は教えてくれなかった。
ローズはアランから離れ、私達のところに来る。
「行こうか」
私たちは不安な面持ちのアランに見送られ、妖精の集落から外に出ることになった。
左手に行き、森がより深くなる。おじさんをたすけたのもこの辺りだったと思う。そこには大きな石が無造作に転がっているが、当たり前だがおじさんの姿はどこにもない。
辺りは虫の鳴き声と風のざわめきだけが広がる、とても静かな空間だ。
「綺麗なところだね」
「そうですね。この辺りはあまり国の人はこないの」
ローズは優しく微笑んだ。
「でも、結構遠いね。帰ったら夜か」
「そういえば魔法は使わないの? 遣えば一瞬で行き来できそう」
リリーは転移魔法という便利なものを使えるということを思い出したのだ。
「極力使わないようにしているよ。人間も、今は一部の人しか魔法を使えないけど、昔は誰もが使えたらしいの。だから、私達も魔法が使えなくなったときのために、知恵をつけ、力を蓄え、魔法のない時代に備えようって事になったんだ。それに今のうちから足腰を鍛えておかないとね。寿命が長い分、魔法が使えなくなると大変だもん。それにこうして歩くのも結構楽しい」
「そうなんだ」
魔法というものが夢物語な私からすると、便利なので使いたくはなる。その分、失ったたときの反動は大きい気がする。
森が深くなるにつれて地面に当たる陽の光が頼りなくなる。木漏れ日を頼りに歩き続けると、奥に強い光の当たる場所を見つけた。そこまでたどり着いた時、辺りを覆っていた木の数が減り視界が開けた。
だが、私の意識は明るい日の光や鳥のさえずり、木々のざわめきよりも視界を覆い尽くす巨大な大木に奪われていた。樹齢千年を超えているのではないかと思われる程の大木が動き出しそうな躍動感を醸し出す。その木の枝が幾重にも伸び、緑の葉を息づかせている。
「すごい」
私が声を漏らす。
「でも、どうやって採取するの? 削るの?」
「それはね」
得意げな顔をしたリリーの顔が真剣な顔つきになる。
「ローズ、美桜。私の後ろに隠れて」
その声と同時に背後で枝の折れる音がした。予期せぬ音に冷たいものが背中を流れる。振り返ると、あの大男と黒いフードをかぶった男の姿があった。
「やっと見つけた」
アルバンはにやりと口元を緩めた。
リリーがわたしとローズの前にさっと立ち、目の前の二人を睨んでいた。
「ずっとつけていたのね」
リリーの戸惑いの声に、フードの男が目を怪しく光らせ、微笑んだ。
「妖精の集落に近付けなくて辺りをうろついていたらお前たちを見付けて運が良かったよ」
「ごめん。エミールはまた今度ね。国に戻るわ」
その直後、黒いフードをかぶった男が右手を地面と水平に伸ばし、にやりと笑みを浮かべた。
リリーは呪文を詠唱しようとした。だが、彼女の詠唱が途中で止まり、その体が鈍い銀色に包み込まれる。
リリーの顔から血の気が引く。
「お前の魔法を封じさせてもらった。怪我をしたくないなら大人しくしてな。お前たちの誰かを人質にさせてもらう」
ジャコが品定めをするような目で私達を見る。その視線が私からそれ、隣にいるローズの前で止まる。彼は口元を歪める。
「貴様はローズ王女だな」
「私が人質になる」
リリーは重さを感じているのか、顔を引きつらせながらも私達の一歩前に歩み出る。
「お前でも良かったが、女王の娘がいるなら話は別だ」
ローズは怯えた目で二人の男を見据えている。
ローズは友人のように私と接してくれるが、彼女はそういう身分の人なのだ。
彼女を連れて行かせるわけにはいかない。
私がここで楽しい時間が送れるのも、彼女たちのお蔭なのだ。
私はここで恩返しをしようと、勇気を振り絞る。
「私が人質になるから、二人は逃げて」
私はローズの一歩前に出る。
捕まったら、どうなるんだろう。そんな不安が私の心を過ぎる。
だが、彼はあからさまに不快な顔をする。
「はあ? お前は人間だな。何で人間が妖精の国にいるのか分からないが、お前なんか論外だ。邪魔だからどこか行け」
彼は右の手を持ちあげるとその手を横に払う。
捕まるどころか、対象外と言われてしまった。
私は折角の勇気を退けられ、少なからずショックを受ける。
そんな私の背中をローズが叩き、持っていた荷物を私に渡す。
「美桜は気にしないでいいの。そういうことみたいなので、よろしくお願いします」
ローズが歩み寄ると、男たちはにやりと笑みを浮かべた。
「ローズに何かしたら許さない」
リリーは顔を歪ませながら、二人を睨む。
「俺たちの要求は王女にかけた呪いをとく方法を教えること。こいつを傷付けても一文にもなりやしないから、大人しくしているなら何もしない。とりあえず二日後にここで待ち合わせだ。良い返事を期待しているよ」
男たちは顔を見合わせ、愉快そうな笑みを浮かべる。
このままでいいわけがない。
待って、と叫ぼうとした私の手をリリーがつかむ。彼女は首を横に振る。追いかけるなと言いたいのだろう。私は唇を噛み、踏み出した足を元に戻す。
男たちの姿が消えてから、リリーを包んでいた銀の光が消えた。