商人のおじさん
私は動くのに制限はされなかったが、城から出て行くならアランの護衛が義務付けられた。リリーだと国の人が言う事を聞かないし、ローズは押しが弱いので、魔力が強く国民から一目置かれているアランが私を護衛するというわけだ。
女王を護るのではないかと問えば、女王は城からほとんど出ないので基本的に必要ないそうだ。それに女王は魔法に関してはこの国でトップクラスの使い手で、形式的にアランが護衛をしているだけで、そうそう必要になる場面もないとローズが教えてくれた。
ただ、私が住まわせてもらっている城もかなり広い。まずは城の中で迷子にならないようにしないといけない。そのために私が城の中にこもり、城の内部を覚えることになった。その間、少しずつ私を取り巻く環境が変わり、私を許容する妖精も増えたそうだ。
大きかったのはアデールさんや、マルクさんを始めとしたお城で働く妖精の存在だ。リリーの話によれば、アデールさんはあれ以降私のことを悪く言わなくなったらしいし、マルクさんも他の妖精との間で私の話になれば「良い子」だと好意的に反応していたらしい。そうした好意的な話が徐々に広がり、妖精達も少しずつ警戒心を解いていったようだ。
この国に住む妖精の人柄の良さと、女王様が私を追い出さなかったのも、追い風になったんだろう。
七日ほどでアランの護衛なしでも、リリーかローズと一緒であれば国の中を自由に歩いて良いということになったのだ。
私の目の前に黄色いジュースが出された。
「どうぞ」
緑の髪をした女性がにこやかに笑う。
私がそれを口に含むと、甘いほのかな香りが広がっていく。
ここにきて一週間ほどたった。初日よりも明確に違いが分かってきた。何よりも大きな違うは魔法だ。魔法なんて地球では私の知る限り使える人はいないと思う。
だが、違うものばかりではない。文明というのは少し共通点があるのか、この陶器に良く似たコップのように日本で見覚えのあるものがちらほらと見かける。
リリーが飲み終わると、お店の人を呼び、そのコップを返しておく。
リリーが街に買い物に行くというので、私も荷物持ちを兼ねてついていくことになったのだ。一週間ぶりの城外だが、打ち解けるとまではいかないまでも初日のように身の危険を感じることはほとんどいない。
一件目の店で買い物を終えた時、お店の人がジュースを出してくれた。私達は折角なのでそこで休むことになったのだ。
今日はローズは一日中勉強で、リリーはゆっくりしていいと女王から言われたらしい。
リリーは気立てが良く、手が空けば他の人の手伝いをしたりする。今もそうだ。マルクさんの手伝いで食料品の買い出しに出かけていたのだ。もちろんお店の人に言えば持ってきてはくれるが、その間店を閉めないといけないため、お城から出向き買い物をすることが殆どらしい。
町と一言で言っても意外に中は広い。私たちはお城にほど近い場所にいるが、歩くと一日では帰って来れない距離にもお店や民家があったりする。
自然も豊かで辺りには畑や花壇が至る所にある。
「そろそろ行こうか」
そう口にしたリリーが驚きの声をあげ、立ち上がる。彼女は私に断ると、店の外に出て行く。私もリリーの後を追い、店の外に出る。そこには年配の女性が立っていた。
「おばあちゃん、こんなところまで来てどうしたの?」
「今日はいい天気だから散歩をしようと思ってね」
「家の人が心配するよ」
「大丈夫だよ」
彼女は私をちらりと見ると笑みを浮かべた。
朗らかとした女性に比べ、リリーは少し慌てている。
「美桜、彼女を家まで送って来るよ。おばあちゃん、体調を崩していて、一人で外を出歩いたらダメだと言われているの。先にお城まで帰ってもいいよ。荷物は私が後で持って帰る」
「いいよ。まだ買い物も残っているし、待っておくね」
「ありがとう。でも、先に帰っていても良いし、近くを見て回りたいならお店の人に声をかけてくれれば大丈夫だよ。荷物は店の人に預けておくね」
リリーはお店の人に声をかけると、その女性の肩に触れ遠ざかっていく。
最初、私に攻撃的なことをしようとした彼女だが、私にいろいろ教えてくれたように、基本的にはすごく優しい人だ。困っている人を見れば放っておけないところがあるらしい。
町の中では一部の人しか転移魔法を使えないらしい。あのアランという人はその一部の人に該当する。リリーはそうでないので、歩いて移動する必要がある。
明るい日差しを一心に浴び、少し動きたい気分になってきた。
私はお店の人に荷物を頼むと、少し外に出てみることにした。
そこから少し離れたところに草原があった。
見通しが良く、心地よい風が抜けていく。
だが、風に混じり、人の声が聞こえた気がした。私は人間かも知れないと思い、警戒心を胸に近寄っていく。
人間が来たのなら、ローズたちに教えないといけないと思ったのだ。
その声を頼りに、草原の中を歩いていく。再び森から声が聞こえてきた。
「助けてくれ」
私は不安に思いながらも草原から森に足を踏み入れた。
そこには岩の下敷きになった白いひげを蓄えた男性が倒れ込んでいる。
私は彼の傍に歩み寄る。
よく見ると男性の洋服の一部が岩の下敷きになっている。一気に岩が落ちてきたのか、岩同士がけん制し合い、 男性の身体に石が直撃するのを避けられたらしい。下手に動くと危ない。
私を見た男の顔がぱあっと明るくなる。
「すまない。たすけてくれ」
「少し待ってください。あと、念のため、洋服を抑えている岩を動かすまで、あまり動かないで」
「頼むよ。もう半日も閉じ込められているんだ」
私は上から順にその岩を動かしていく。岩自体はせいぜい七、八キロほどなので、重さは感じるが動かす事はできる。
男性の洋服を抑えている岩を動かすと、彼は腕を地面につけて体を起こした。
「助かったよ。ありがとう。妖精の集落から離れていたのでまずいと思ったが、お前さんは妖精じゃないな」
「人間だよ。この国に迷い込んだところを妖精に助けられたの」
「そうか」
男性は膝や茶色の髪についている土を払う。
彼は少し小柄で私よりも目線が低い。だが、顔つきから私より大分年上のような気がした。
「何かお礼が出来れば良いんだが、あいにく品物を売り払った後でね」
「そんなの気にしなくていいよ。もう注意してね」
だが、おじさんは持っていた大きなリュックサックのようなものを地面に置くと、その中身を開ける。おじさんは律儀にも私にお礼として渡せるものがないか探しているようだ。
その時、おじさんが紙の束を取り出し、その中に見覚えのある文字を見つけた。
私は目を見張る。そこに書いてあったのは、見慣れた日本語だったのだ。
「おじさん、日本語を使えるの?」
「日本語? それは今朝森で拾ったんだよ。お前さんは読めるのか?」
私は頷いた。
そこには元気になる薬の作り方と書いてある。もう一枚メモがあるが、それも同様に何かの薬で日本語で書かれている。この辺りに日本語を使える人がいるんだろうか。
「エメを三シリル、アルドを五シリル、それにドニを百ジャン。カタカナばっかりで分からない」
おじさんは顎に手を当てる。
「シリルやジャンを知らないって、どんな世界で育ってきたんだ。それはこの国の単位だよ」
グラムやリットルと同じようなものだろうか。
単位の話を妖精の国の人達とすることはほとんどなかった。
「あと、もう一つお礼に教えておくよ。お前さんが妖精の国にいるなら、エメなら妖精の国にたくさん生えているよ」
「そうなんだ」
野菜、雑草という区分は教えてもらったが、その各々の名前は知らない。
「俺は読めないし、お前さんにやるよ」
「ありがとう。これがお礼で良いよ」
おじさんの表情が明るくなる。
彼はお礼を言うと、深い森の中に入っていく。私はそのメモを洋服のポケットに入れ、町に戻る事にした。
私がお店に戻って少し経つとリリーが戻ってきた。無事におばあさんを家まで送り届けたらしい。そして、私達は買い物の続きをすることになったのだ。