薬の盲点
「そのまま行くと思うから、何か持っていきたいものがあれば準備してね」
ローズは階段を降りながら、そう伝える。
私たちは各々がそれぞれの部屋に戻ることになった。
部屋に戻るとアリアが机の上で本を読んでいた。彼女は私を不思議そうに見つめる。
「何か良いことでもあった?」
「今からクラージュに行くんだ」
「美桜たちだけだと心配だから、行ってあげてもいいよ。そのバッグも持っていきなさい」
彼女はすっと立ち上がると、部屋の脇にかけていたバッグを指差す。
一人増えても構わないのだろうか。不安はあったが、彼女が言っても聞かないことを経験上知っている。私はバックを手に取る。そして、アリアはぱっと姿を消した。
部屋の前でリリーたちと待ち合わせ、その足で神殿まで行く。そこでは既にこの国の妖精がたくさんいて、その中にはアランの姿もある。
「私たちはアランに事情を説明してくるね。美桜はどうする?」
私が辺りを見渡すと、アンヌの姿が目に入った。彼女は人混みから離れ、一人で壁にもたれかかっている。
「私はアンヌに伝えてくるよ」
「分かった。私達も話が終わればそこに行くね」
リリーと別れ、私はアンヌのところに行く。
「どうだった?」
「女王様から許可をもらえました」
「そうか。良かったよ」
そう笑ったはずの彼女が笑えていなかった。
壁から離れようとしたた彼女の足もとがふらつく。私は慌てて彼女の体をつかんだ。
「悪い」
私は首を横に振り、彼女を壁際に連れていくと、底に座らせた。
アンヌの顔色が先程とは比べ物にならない程悪くなっている。
「念のため、アランに診療室に連れて行ってもらおう」
だが、アンヌは私の腕をつかみ、首を横に振るだけだ。
「大丈夫。疲れているだけだ」
きっと彼女は自分の大変な姿を見せたくないのだろう。
今、辛そうな彼女を私がどうにかすることはできないんだろうか。辺りを見渡し、自分のバッグが視界に入る。
「そうだ」
私はアリアが見つからないように少しアンヌから離れるとバッグを開ける。だが、バッグの中にアリアはいない。どこかに転移魔法で別の場所に行ったのかもしれない。
私は瓶に入った薬を取りだした。元気になる薬だ。つい先日作った薬を自分用にバッグに忍ばせていたのだ。疲労回復に効果があり、私もたまに疲れた時には飲んだりする。副作用もないため、栄養ドリンクみたいな感覚だ。
「疲労回復にいいんですよ。よかったら飲んでください」
「そうなのか。悪いな」
アンヌは私から瓶を受けると、口を付けた。だが、アンナの手から瓶が滑り落ち、その場で割れた。アンヌの顔が今までになく青ざめ、咳き込んでいた。彼女は飲んだ液体を吐きだしていた。
私は自分の体から血の気が引くのが分かった。
賑やかだった周囲が一気に静まり返る。
「アンヌ様」
妖精や獣人たちが駆け寄ってくる。その中で真っ先に駆けよってきたエリックが険しい形相で私を見る。
「人間、アンヌ様に何を飲ませた」
「私」
その時、ローズが駆け寄ってきた。アンヌに触れ、その症状を見定めているようだ。
「元気になる薬を飲ませたの?」
私は頷く。
「今すぐ診療室に運んで解毒します。リリー後はお願いね。アラン、お願い」
「俺も行く」
そう名乗り出たのはエリックだ。
アランが呪文を詠唱し、ローズとアラン、そしてアンヌとエリックがその場から消えた。
私は獣人たちの険しい視線を一身に浴びる。何をどういえば良いのだろう。頭が混乱し、状況がのみこめない私の前に金髪の少女が立ちはだかった。
「ごめんなさい」
リリーが深々と頭を下げる。
獣人たちが戸惑いを露わにする。
「彼女はこの国のことをまだ良く知らなくて、その薬が獣人たちの体に合わないことは知らなかったんだと思います。その薬はこの間で人気で、良かれと」
私はリリーの言葉で今の状況を理解した。要はアンヌに会わない物を飲ませてしまったのだ。
自分のしてしまったことからの罪悪感にうまく言葉が出てこずに私も頭を下げた。
「アンヌ様は大丈夫だよ。数日寝ていれば良くなるそうだ。その娘を責めないでやってくれと言っていたよ」
顔をあげるといつの間にかエリックが戻ってきていたのだ。
「責めて悪かったよ」
エリックが深々と頭を下げる。アンヌの助けもあってか他の獣人たちも各々が謝罪をしていた。
私は目頭が熱くなる。アンヌは大変な状態なのに、私がどうなっているかを考え、彼を寄越したのだろう。
本当は責められてもおかしくないことをしたのに。
「本当にごめんなさい。美桜、私達は行こう」
リリーなりに私と獣人たちに配慮したのだろう。リリーと一緒に城に戻ることになった。
「エメがね、恐らく獣人たちには合わないって言われているの」
リリーは森の中でぽつりと口を開く。
「そうなの?」
「その系統の植物自体がダメらしいの。アンヌ達に合わない成分が、ドニの水では取り除けなかったの。知っていたのに、言い忘れていてごめんね」
私は首を横に振る。そもそも私がもっと謙虚でいるべきだったのだ。
私たちはアンヌのいる治療室に入る。そこにはローズたちの姿がある。アンヌはベッドに横たわり、顔色も少し良くなったようだ。
「ごめんなさい」
私はアンヌの傍に行き、深々と頭を下げる。
アンヌは疲れを滲ませながらも目を細める。
「いいんだよ。悪気がなかったことは分かる。それに、私が体調が悪いのを隠していたのもいけなかったんだ」
私は首を横に振る。
彼女は自分が体調が悪くて倒れたと言いたいのだろう。
彼女の優しさが心にしみる。
「あとは家に帰って、眠れば大丈夫だと思うよ」
その時、ローズとアランが目を合わせる。
ローズはためらいがちに私を見る。
「エメの毒自体はもうじき抜けると思います。でも、三日は魔法を控えてくれとのことです。なので、今日は無理だと思います」
「そうか」
アンヌだけしか転移魔法を使えないのだ。彼女たちの帰宅が三日は遅れることになる。
「フェリクス様かお母様に都合がつくか聞いてくるので、少し待っていてください」
「私が聞いてきます。ローズ様はゆっくり休まれてください」
アランはローズの肩に触れ、優しく微笑む。アランが踵を返した時、彼の動きが止まる。
「クラージュに行くなら、俺が送っても構いませんよ」
そこには見覚えのある栗色の髪の毛をした少年が立っていたのだ。その少年の手には大きな包みが握られており、彼は私達と目が合うとにこりと笑みを浮かべる。
人間といってもラウールとエリスは幼い頃暮らしていたため、彼らは妖精から避けられることもない。最初に送ってくれたときは、長い間足を踏み入れなかったことに対する不安もあったようだが、今ではそんなことを気にしない程に普通に町に出入りしている。
アンヌは体を起こして、彼を見て目を見張った。
「人間の王子がこんなところで暇つぶしか」
私はアンヌの反応が意外だった。あの歴史の流れを見る限り、もっと好意的な印象を持っていると思っていたのだ。
だが、ラウールはアンヌの挑発的な瞳にも臆さず、涼しげなまま表情一つ変えない。
アンヌがふっと微笑む。
「じゃ、頼むよ」
ローズはホッとしたようだ。
ラウールは持っていた包みを私に差し出した。
私はその包みを受け取ると、意味が分からないまま封を解く。そこには服が五枚ほど入っていたのだ。信じられない思いでラウールを見る。
「女王に頼まれたんだよ。お前の服を何枚か用意してくれないかとね。それをテッサに話したら、彼女が作ってくれた」
「テッサって誰?」
「赤い花のある家に住んでいた女性だよ」
「あの可愛い人」
その言葉にラウールは苦笑いを浮かべる。可愛いと思うのに、なぜ彼はそんな笑みを浮かべたんだろう。
「あいつは仕立て屋なんだ」
そういえば前にもらった洋服も人にあげる予定だったといっていた気がする。かなり丁寧に作られている。
「俺の用も済んだし、クーラージュに送るよ。どこに行けばいい?」
「私と、美桜と」
私はリリーの呼びかけにドキッとする。アンヌにこんなことをしてしまった私が行ってもいいんだろうか。
「気にしないでくれると助かるよ。私は大丈夫だったんだから」
私の心を悟ったのか、アンヌがそう口添えする。
私は彼女を困らせないために頷いた。
リリーはローズを見る。彼女は首を横に振る。
「私と美桜もお願い。他の獣人は神殿の前にいるから、町の入口に連れていくよ」
「ローズは?」
ローズは少し寂しそうな笑みを浮かべる。
「今日はやめておくね。用事を思い出しちゃったの」
「分かった。日が沈む前には城に帰らないといけないから、できるだけ早めに出発したいんだが、今すぐ出発できるか?」
「私らはもう準備出来ているよ。みんなを呼びに行かないと」
起き上がろうとしたアンヌをリリーが制する。
「後でアランの転移魔法で来てください。私が伝えてきます」
リリーはそのまま部屋を出て行く。
「とりあえずそれは置いて来い。それくらいなら時間に余裕がある」
私はアランとローズと一緒に女王様の部屋に行き、洋服のお礼を伝えた。彼女は笑顔で気にしなくていいと伝えてくれる。アランは同時にアンヌに起こった出来事をかいつまんで説明し、ラウールが彼女たちを送ることを伝えた。ラウールは既に女王に顔を合わせたのか、彼女はラウールがいることに驚いた様子はない。
女王様とアランは診療室に直行し、私は自分の洋服を持って自分の部屋に戻る。私はラウールからもらった洋服を机の上に行く。その後、診療室に戻り、ラウールやアンヌと合流する。女王とはそこで別れ、アランの転移魔法で、町の入口まで行く。
そこにはリリーを始めとし、クラージュの人がかなりの数集まってた。
中にはラウールを見て顔を引きつらせるものもいたが、アンヌの手前か嫌悪感をあからさまに示すものはいなかった。ラウールは嫌な顔をされても、気にした様子はない。今回帰国するメンバーが全員そろうのを待ち、クラージュに行くことになった。
ラウールが呪文を詠唱すると、辺りを光の壁が包み静寂に包まれた森が姿を消した。




