妖精の国
私の目の前が一気に明るくなる。明るい光が点から差し込み、草木が生き生きと生い茂り、随所には花が咲き乱れていた。まるで映画に出てくる、自然の豊かな場所だ。奥には民家らしきものが立ち並ぶ。その外観は木造建築を思わせる。
「さてと、この人間をどうするかだね。眠らせたほうがいいかな?」
にじり寄ってきたリリーから本能的に逃げようと、私は両手をあげて後ずさりする。
「でも、こんなに重そうな人は誰も運べないから、自分で歩いてもらうか、どこかお母様の都合の良い場所に連れていかないと後々大変よ」
「そうだよね。重そうだもん」
庇ってくれてそうで、重いはちょっと傷つく。
重いに関しては彼女たちの少女のような細い手足を見ているとしかたないとは思うが、そこまで太っていないし、周りからは細いと良く言われていたのに。
「じゃあ、どこかに隠れていてもらおうかな。とりあえず誰かに見つかる前に、隠さないと大変だよね」
「リリー」
大きな声が響き、リリーが顔を引きつらせながら振り返った。
金の髪をした、きりりとした目元の、体格のふくよかな女性がこっちに歩み寄ってくる。彼女はリリーたちと同じような膝丈まである白いワンピースを身にまとっている。
「また、魔法を使ったわね。人間に見つかったらどうするの?」
「アデールさん」
「私が悪いの。私が人間を見付けて、リリーに声をかけたの」
リリーとその女性の間にローズが入り込む。
「人間?」
そこで彼女は二人の後方に突っ立っている私に気付いたのか、私を凝視する。
彼女は顔を強張らせ、叫び声をあげた。
その甲高い声が、静観な住宅街と思しき場所に響き渡る。
「ちょっとおばさん」
リリーが咎めるが、既に遅い。私達の周りには次々に人が集まってくる。
「リリー、ローズ様、こっちに来てください。危険です」
白いひげを蓄えた年配の男性がリリーとローズに語りかける。
彼は緑色のフードつきの洋服を着ていた。上下の区切りのない洋服で、腰の部分を同系色の紐で縛っている。
男性の顔には恐怖が浮かび、私とは目を合わせようとしない。
「こうなったら力づくでどうにかするしかないな」
観客の中にいた背丈の高く、体つきのしっかりとした男性が私を鋭い眼差しで射抜く。
彼が来ているのも、リリーたちとよく似た白いワンピースのようなものだ。襟元に青色のものが縫い付けられている。だが、それ以上に目を惹いたのが、彼の持つ大きな弧を描く物体。
弓だ。
高校の弓道部で似たようなものを使っていたのを見た事がある。それは大きく、見ているだけでも威圧される。
彼は先端に石のついた矢をかける。彼の持つ弓の先端に炎がぼうっと点り、私の心臓部分に狙いが定められたようだ。
ローズが私の目の前に立ち、両手を広げる。
「落ち着いてください。この人がこの里を狙ってきたわけではないと思います」
だが、彼女の言葉に誰も聞く耳を持たない。
「ローズ様、危ないので動いてください」
「こんなことをしたらダメです。彼女は私に何もしていないじゃありませんか」
その言葉に彼らは怯むが、弓を下すことはない。
「説得なんて無理だよ。まずは攻撃の意志がないことを伝えた方がいい。怪我をしたくないなら、大人しくしていてね」
リリーが私の耳元で囁く。
「蔦よ」
彼女がそう囁くと、私の手に冷たいものが触れる。地面から生えてきた蔦が私の体に巻き付いていた。
私には現状が呑み込めないが、リリーに言われたとおり、今は大人しくしようと決めた。
「こうしておけば大丈夫でしょう。人間は多くが魔力を持っていないし、手足を抑えられると何もできないの」
だが、周りの視線には冷ややかさと恐怖が入り乱れている。
「リリー、お前はなぜ人間を庇うんだ? もしかして、半年前の襲撃もお前が手引きをしたんじゃないか?」
「私がそんな事をするわけないじゃない。何を言っているの?」
周囲に集まった人の声に、彼女が怒りを露わにした時、長身で長い髪をした人がリリーの前に立つ。碧の目をした長身の男性だ。
さっきまで騒いでいた人々が一気に静まり返る。
リリーはあっけにとられ、その人を見上げると、頭を下げた。
ローズ以外は皆、頭を下げてしまい、怒号も聞こえなくなる。
彼が一目置かれているということだけは分かる。
「ローズ様、その者は?」
「森で倒れているところを見付けたの。話を聞こうとしたら人間が、アルバンとジャコがやってきて、その場においておく事も出来ずにつれてきたの。残しておいたら殺されていたと思う。もし、問題があるなら記憶を消して人間の里に帰します」
彼は冷たい目でもう一度私を見た。美しい顔立ちに見据えられ、ドキッとする。彼は私に冷ややかな視線を浴びせている事を除けば。その美しい顔が逆に威圧感となる。
「事情は分かりました。女王様がお話があるそうです。そちらの人間も交えて」
「分かりました。直接お母様のところに行っても良いでしょうか?」
「私が送ります」
彼の視線がローズから私にそれた。
「人間の女、女王様に何かしたら、命はないと思ってください」
突然、見知らぬ場所に連れてこられて、蔦で全身を縛られた私が何を出来るというんだろう。
私は心の中で突っ込むが、この場は大人しく頷く事にした。
彼が何かを呟くと、私達の足もとが白く光る。私が驚きの言葉を上げる前に、目の前の群衆や青い空が姿を消す。
私のすぐ傍にはリリーとローズがいて、二人は深々と頭を下げた。あの怖い人はその一つ前に立ち、彼も頭を下げている。その奥には輝くような金の髪を足元まで伸ばした女性の姿があった。彼女はピンク色のふんわりとしたドレスに身を包んでいる。透ける素材にラメが散りばめてあるのか、きらきらと輝いて見えた。
私は彼女の顔をしかと見た時、思わずため息を漏らした。それくらい彼女は美しかった。透き通るような肌に、燃えるような赤い唇に通った鼻筋。その狂いのない容姿には現実味のなさを感じるほどだ。彼女は私と目が合うと長いまつ毛を震わせ、優しく微笑む。
「アラン、ありがとう」
その言葉に、さっきの冷たい男が僅かながらに笑みを浮かべる。
その奥には純白の壁があり、何か模様のようなものが掘られている。
私は頭を下げようとしたとき、頭を下げようとしたとき、何かがごつりとぶつかり、私はバランスを失いその場に転がった。いや、転がったというのは正しくない。その場に宙刷りになったように引っかかったのだ。転ばなかったのは、四方に何かガラスのように固いものが張り巡らされていたため、床と平行になる形で、私の体が宙ずりのようになっていた。私は手足を縛られているので自分で起き上がったり、動く事も出来ない。
ごんという音がしたのか、リリーとローズが振り向いた。そして、リリーが噴き出しそうになるのを私は見逃さなかった。
ローズは戸惑いを露わにし、アランをちらっと見た。彼は相変わらず冷めた目で私を見る。
「お母様、起こして差し上げても良いですか?」
ローズの言葉に、彼女は頷いた。
先程から話の中にだけ出てきたお母様はこの人なんだろう。確かにローズに目鼻立ちが似ている。彼女が大人になれば、目の前の女性のようになるのではないかと想像できる。
「蔦も解いて大丈夫よ。リリー、気を使ってくれてありがとう」
リリーが照れたように笑い、私を縛っていた蔦が姿を消す。私は手足が自由になり、やっと体を起こした。でも、私を囲む透明の箱はいまだ健在だ。
「手荒な真似をしてごめんなさいね。この国の妖精は人間に過敏になっているのよ。悪い人間ばかりではないとは分かっていても、身内が傷ついたり、殺されるとどうしても感情が先走ってしまうの」
私は内容がつかめないながらも、言っている意味は分かり頷いていた。
「あなたの事情について説明をして下さるかしら」
正直に話をして良いのかという迷いはあるが、嘘を吐いても仕方ない。私は日本という国に住んでいて、学校帰りに変な黒い穴の中に吸い込まれたという話をした。その女王は変な顔をするばかりだ。
「あなたは違う世界から来たというの?」
「そうだと思います」
彼女にも日本という国を知っているかと問えば、ノーの返事が返ってきた。
「あなたが嘘を言っているようにも見えないし、困ったわね」
彼女は顎に手を当て、しばらく考える。
「しばらくこの城に住んでも良いわ」
「そんな、危険すぎます。人間の手先かもしれないのに」
アランが強い口調で女王に語りかける。
彼女がちらりと彼を見ると、彼は口を噤んだ。
「でも、町に住まわせるわけにもいかないわ。人間の国に行くなら案内が必要よね。今は傭兵が辺りをうろついているから、うまくいけば保護してくれるかもしれないけど、殺されるかもしれない。だから、みすみす彼女を外に出すのも危険だと思うの。人間にも私達に危害を加えない人もいるのだから」
その言葉に男の人は反論はしなかったが、苦い表情を浮かべる。
「ただし、変なことをしようとしたら、命の保証はできないわ。それで良いかしら?」
私はとりあえず頷いた。変なことというのは、この国の人を傷付けたりといったことだと文脈から察したためだ。
「部屋はリリーの隣で良いかしら。あのフロアならアランもローズもいるし、何かあっても対処が出来るでしょう。ローズ、まずは案内してさしあげなさい」
ローズは私の手を取り、引っ張る。リリーも私の背中を軽く叩いた。
いつの間にか私を取り囲んでいた透明な箱が消えたようだ。
私は女王様に頭を下げると、二人に連れられて、その部屋を出た。