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エトワールの賢者  作者: 沢村茜
第六章 人間の国
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名前を捨てた女神

「じゃあ、エリスも?」


 セリア様は頷いた。


「そのことは一部のものしか知らないけど、そうよ」

「全く気付かなかった」

「それもそのはずよ。エリス自身は今のところ全く花の民の力を使えないし、エリスも知らないんじゃないかな」


 ルイーズはそういうと微笑んだ。


「王妃は使えるの?」

「昔は使えたと聞いたことがある。でも、今は全く使えない」


 ルイーズはセリア様を見る。彼女は首を縦に振る。


「私も完璧に知っているわけじゃない。ただ、ソレンヌの祖父はルナンの領主に見初められて、嫁入りしたとは表向きには言われていた。けれど、目的は彼女の中に流れる花の国の民の血であったらしいわ」


 私は事情が呑み込めず、ただ、セリア様を見つめる。

 セリア様は唇に手を当てると、考えを巡らせているかのように、ゆっくりと言葉を綴る。


「ソレンヌの祖母はそこそこ裕福な家の娘で、エスポワールによく遊びに来ていた。昔はもっとエスポワールも平和でね、花の国とも交流があったの。そして、ソレンヌの祖父、当時のルナンの領主は、彼女の血を血族の中に取り入れようとした。その血に利用価値があるかもしれないと考えてね。どうせ子を作るなら、特別な血を持つ娘のほうが得だろうと考えたようよ」


 利用価値という言葉に胸が痛んだ。

 結婚は好きだからだけでするものだけではない。

 家族や様々な事情が絡み合い、することだってある。

 だが、セリア様の告げた言葉はあまりに悲しいものだった。


「あの家は豊かで、彼女は何不自由ない生活をおくれたわ。ただ、一つ、彼女を家から出さないことを覗いてはね。ただ、二人の子供には花の国の民の力は発現しなかった。けれど、その長子の娘であるソレンヌだけは違った。彼女は幼いころから力に目覚めたの。それに目を付けたのが、ラウールの祖父、すなわち当時のエスポワール王だったの」


 私の中で過去の出来事の輪郭が明確になっていく。

 最終的に王はクロエ様のほうが利用価値が高いと思ったのだろう。


「それなのに、なぜ花の国を滅ぼそうとしたの?」

「これから先は私たちの推測でしかないけれど、ソレンヌはクロエと王が出会ってしばらくして花の国の民の力を失っているの。だから、その力を取り戻そうとしたのか、もしくは花の国の王を取り込むことで自分の価値をあげようとしたのかもしれない。ただ、願いが叶わなかったから、ああいう結果になった」


「力を失う?」


 私は自分の手を見る。

 そんなことってあるんだろうか。


「たまにあるらしいわ。いわゆる借り受けた力だから、植物が当人を拒否したら、その力自体が扱えなくなる。他の容姿がよく似た人間、エスポワールの人と何ら変わりがなくなるわ」


 セリア様はそう言葉を綴った。

 彼女なりに自分を特別なものにしようと必死だったのだろうか。

 やってきたことはほめられたものではないけれど。


「今、国に入ろうとしているのは」

「王になれるのは花の国の民の血を引くものだけ。王妃にもその可能性があるし、エリスも例外ではない。ただ、二人は力を持っていないからこそ、現在生き残った花の民の中で、シモンという少年がもっとも確率が高いとみているのかもしれない。彼女はおそらく知らないんでしょうね。王族の血を引く人間が二人も生き残っていることに。いえ、サラが生きていることは察しているかもしれない。けれど、彼女を見つけ出すことができなかった。だから、シモンという少年に標準を合わせた」

「サラって誰なんですか? セリア様も知っているの?」


 セリア様は頷いた。


「そろそろすべてを話してもいいんじゃない? あなたは国に帰るまでは話をしないと決めていたみたいだけど、全てを受け入れられる環境にはあると思うわ」


 セリア様はアリアを見る。アリアは唇をきゅっと結んだ。

 彼女の目にはいつもより多くの光であふれ、今にもその光の欠片が零れ落ちそうだ。

 彼女の瞳は私に一つの核心を与えるには十分だった。


「アリアがサラなの?」


 その問いかけに、再度アリアは唇をきゅっと結ぶ。


「そうよ。私はあなたのお父さんの妹なの」


 妹ということは叔母さんだ。だが、彼女は叔母と呼ぶには若すぎる。


「年の離れた正真正銘の妹よ。私を生んですぐに、両親はすぐに亡くなったけどね。そして、同時にソレンヌが国を滅ぼそうとしたときに、彼女を国に招き入れた張本人なの」


 彼女は大げさに肩をすくめる。


「それはあなたも知らなかったんでしょう。もう自分を責めるのはやめなさい」


 セリア様はいつになく強い口調でアリアをいさめる。


「知らなかったでは済まされない。私がいなければ、こんなことにはならなかった。あなたのお母さんだって、私がいたからこの世界に来ることになって、美桜を巻き込むことになった。私が悪いの」


 アリアの目から涙が毀れおちる。

 その涙はエペロームで神鳥の前で見せた涙を彷彿とさせた。

 彼女とソレンヌの間に何があったのかは分からない。

 だが、彼女はずっと攻め続けてきたのだろう。

 おそらく国が滅びたとされる、十七年前からずっと。


 彼女はその人生の大半を罪悪感とともに生きてきたのだろうか。


 そんなことはないと言いたかった。

 私はこの世界に来て楽しかったし、幸せを感じた。

 人を信じることもできたし、前向きに考えるようになれた。


 だが、私には過去に何があったのか分からない。だから、私には言えなかった。

 お母さんのことも、人の話や写真でしか知らない。この世界のことをどう思っていたのかも、お母さんは私を頑なに産もうとした以外は何も残さなかったのだ。


「教えてくれてありがとう。名前はどう呼べばいい?」

「アリアでいいわよ。私はもう死んだの。サラと名乗るつもりは一生なかった」


 彼女はそう口にすると黙り込んだ。

 セリア様やルイーズはそんなアリアを見て、暗い表情を浮かべていた。



 窓をあけるとバルコニーに出る。心地よい風が私の頬を撫でていく。

 足音が聞こえ、振り返るとルイーズの姿があった。


 彼女は私と目が合うと会釈する。


「黙っていてごめんね。アリアさんのこと」

「うんん。きっといろいろあったんだろうね」


 あの話のあと、アリアは一人になりたいと言い姿を消した。

 なんとなくアリアはノエルさんのところにいっているのではないかという気がした。


 自分の過去を語った彼女はまるでガラス細工のようだった。強い力で触れば砕け散ってしまいそうなほど、繊細に感じられた。


「私もサラ王女のことは噂でしか聞いたことはなかったんだけどね。彼女はエトワールの女神だと呼ばれていたの」

「女神?」

「どんな魔法もいともたやすく使いこなせて、花の国の民としての力も随一で、賢く、思いやりに溢れた奇跡のような存在、すなわち神様のような王女だとね」

「分かる気がする」


 私のなかの彼女のイメージはまさしくそんな感じだ。

 ときどき子供っぽいこともあるけれど、決して人を傷つけたりはしないし、エペロームのときのように自分の身を挺して命を助けようともする。


 私はそんなアリアがやっぱり好きで、彼女の心を救うためには花の国に戻るしかないのだろう。

 そこに彼女の心を救える何かが残っているのかは分からないが。

 だが、シモンはブレソールに連れていかれ、ルナンには二度と入れなくなってしまった。

 海王も見つからない。

 ふと、セリア様の言葉が頭を過ぎる。


「王妃の祖母がエスポワールに来ていたと言っていたけど、どうやって行き来していたんだろう」

「それは伏せられていたけど、花の国の王の力を借りていたらしいわ。アリアさんのお父さんのね」


 花の国の王の力。それは植物に起因するものなのだろう。

 アリアは何か知っているのかもしれない。

 だが、彼女が何も言わないというのは王位についていない人間には使いこなせないものなのだろう。

 あのときに、要塞を開けられなかったことが、今になって悔やまれる。

 お父さんは期待していたのだろうか。神鳥に導かれた私とアリアがあの要塞をあけることを。

 それができなかったからこそ、シモンもまきこんでしまったのだ。


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