王女の病
薬屋の前にある道を突き当りまでまっすぐ行き、そこから右手に曲がる。そこから二番目の角を曲がるとすぐわかるとおじさんは言っていた。
そのおじさんの言葉通りに歩いていくと、大きな建物がそびえたつ。城には敵わないが、辺りの民家とは明らかに広さも外観も違う。
私はその家の前まで行くが、呼び鈴の前には立てず素通りする。
なんといえばいいのか分からなかったのだ。
せめてローズがここにはいったという証拠があれば。だが、攻め込んでもアルバンとジャコを私がどうできると言うのだろう。この世界の人間でない私が、この国の法律で守られるのかも分からない。
その時、バイヤール家のカーテンが空いているのに気付いた。
辺りを見渡すが、人気はない。それとなく中を伺い、それからどう出るか決めようとしたのだ。
足音を忍ばせ、もう少しで窓にたどり着くという時、首筋に冷たいものが触れた。
「動くな」
低い声。相手は男だ。
視線を動かし、冷たいものの正体を確認する。鈍く銀色に光る鋭利な刃物が目に入る。
思わず悲鳴を上げそうになるが、必死にこらえる。
心臓がけたたまし鼓動を鳴らす。
「お前は何者だ」
私は名前を言おうとして、躊躇する。ローズが誘拐された現状で、素直に名前を名乗っても良いか分からなかったのだ。
「では、聞き方を変えよう。どこの町に住む人間だ」
黙っているわたしに業を煮やしたのか、言い方を変えてきた。
だが、答えられるわけもない。それに、そういう聞き方をするということは、調べる手段をもつという可能性もある。素直に答えるのがどうにかしている。
言い訳を模索するがうまい言葉が思いつかない。
男の気配が近くなる。彼は私の耳元で囁いた。
「お前は妖精の国の関係者だな」
その言葉を聞き、血の気が引いた。
私が妖精の関係者だと見抜いたのは、恐らくアルバンとジャコの関係者だと思ったのだ。私は意を決する。
もう否定しても仕方ない。
「そうよ。私は、妖精の国から来た。ローズを返して貰いに来たの」
「ローズ? 妖精の女王の娘か?」
「そうよ。あなたたちが誘拐したのよね」
彼は眉根を寄せる。
「人に聞かれたくない話なら、もっと小声で話せ。お前が暴れない限りは手荒な真似はしない」
彼は私の問いかけには答えず、私の首筋に充てていた短剣を引く。私が振り返ると、艶やかな茶色の髪をした男性が立っていたのだ。
肌が程良く日に焼け、唇は燃えるように赤く、鼻筋がすっと伸びる。年齢は私より若干年上だろうか。だが、その表情には妙な雰囲気がある。一瞬、今の自分の状況を忘れて見とれてしまう程、顔立ちの整った男性だ。だが、彼の握るナイフと背中に携えた剣の鞘を見て、心を引き締める。
「詳しい話を聞こう。お前の役に立てるかもしれない。だが、一緒に歩くと目立つ。この通りをまっすぐ進み、三番目の角を曲がったところにある民家に入れ。赤い花が目印だ」
その男はそう言い残すと、私が歩いてきた道を歩いていく。私に指定した道とは違う。
この場で逃げるべきだろうか。このまま城の外に出てしまえば、リリーと妖精の国に逃げ帰れる。だが、それでは根本的な解決にはならない。
知らない男の人に指定された場所に行くのが怖いという気持ちはある。だが、ここで動くしかない。
私は覚悟を決め、男の指定した民家まで行くと、赤い花を確認して扉をノックした。
ドアがあき、ほっとしたのもつかの間、強面の男が扉をあける。男はぎらついた瞳で私を見つめた。
「あの」
恐怖で言葉が出てこない。
逃げるという選択肢を選ぶべきだったと思った時、
「ブノワ、怖がらせたらだめじゃない」
彼の脇から小柄な女の子が顔を覗かせ、男を肘でつく。
男はのっそりとした動きで扉から離れる。茶色の髪を右耳の下で一つに結っている。強面の男とは対照的な、小柄で可愛い感じの女性だ。
「ごめんなさいね。ブノワは小心者だから、初対面の人を威嚇するところがあるの。で、何か用ですか?」
にっこりとほほ笑むが彼女の言葉は事務的だった。
私は怖い視線から逃れられ、ほっと息づく。
「さっき、茶色の髪をした人にここに来いって言われたんですけど。これくらいの身長で」
腕を使い、彼の身長を体現する。彼の名前を聞いておかなかったことを後悔する。
「また、あいつは。分かった。中に入って待っていてね」
彼女は苦笑いを浮かべると、私を家の中に通す。そして、入ってすぐにある部屋に通した。そこには長机が並んでおり、自由に座って良いと告げる。彼女は部屋を出て行き、一人取り残される。
流れでここまで来てしまったが、見知らぬ人の家に一人。
今頼れるのは自分だけなのだということをまざまざと実感する。
そう思った時、国を発つ時に見た小さな妖精を思い出したのだ。
鞄をあけると、彼女も起きていたのか目が合う。
「アリア。何かあったら助けてよね」
「何でわたしがそんなことをしなくちゃいけないの?」
「でも、魔法とか使えるんだよね。それに手助けするといったのはあなたでしょう」
そう思ったのはリリーたちが魔法を使えるからだ。
「使えるわ。でも、あなたを助ける義務もない。私は空気と同じよ。ないものとして扱ってくれて良いわ」
話が違うし、何で私についてきたんだろう。
やっぱり自分でどうにかするしかない。
その時、扉があき、さっきの女性と、私をここに招いた男が入ってくる。
私は慌てて鞄を閉じた。
女性は水を出すと、そのまま出て行った。
「さて、詳しい話を聞こうか」
男は私の正面に座ると、鋭いまなざしで私を見る。
整いすぎた顔が逆に恐怖心を与え、言葉がスムーズに出てこない。
だが、何とか心を落ち着け今の状況を説明しようとした。
でも、そこで頭を過ぎるのが、どこから言えばいいのかということだ。違う世界から来たと言えば、さっきの続きとなる可能性も否めない。
「私、記憶がなくて森の中にいたのを妖精に助けられたんです。それで彼女たちが私の面倒を見てくれたの」
嘘をついているからか、心臓が嫌な鼓動を刻む。
彼はぴくりと眉を寄せた。
とりあえず信じてもらえただろうか。
彼が嘘に気付かないことを祈りつつ、彼女と一緒に住むようになった。だが、森をでかけた時にアルバンとジャコにつかまり、王女が身代わりとして連れていかれたのだ、と伝える。
「事情は分かったが、なぜおまえは、バイヤール家の前にいた? バイヤールに誘拐されたという証拠でもあるのか?」
「証拠はありません。妖精さんから、金持ちしか雇えないくらいにお金の高い用心棒と聞いて、バイヤールさんが金持ちだと知ったの。だから」
「短絡的な思考の持ち主だな。この国には彼と同じくらい豊かな人間は複数いる」
彼はため息交じりにそうつぶやく。バカにされたんだろうか。
彼は頬杖をつき、水に手を伸ばす。
私もなんとなく水を飲む。
妖精の国の水を飲みなれているからか、体に入ってくるときの入ってきやすさが違う気がした。妖精の国の水は躊躇いもなく入って来るのに、この国の水は喉に少しつっかえた感じがする。
「妖精の国と比べて、この国の水についてどう思う?」
私は予期せぬ質問に驚きを露わにする。
「妖精の国のほうが水はおいしいと思います」
彼は私を見て、屈託のない笑みを浮かべた。驚くほど可愛い笑い方だった。さっきまでの怖いというイメージが一掃される。
「最近、バイヤール家にアルバンとジャコが出入りしているという噂がある。怪しい動きをしているとは思っていたが、妖精の国近辺をうろついていたとはな」
彼は眉根を寄せ、難しい顔をする。
彼は警察みたいなものだろうか。一市民という割には物事に精通している気がするし、バイヤール家に肩入れしているようには見えない。
「その王女の娘を取り返せば、お前は妖精の国に帰るのか?」
「帰ります。でも、彼らの要求をのむ事は出来ません」
「要求?」
「ローズを返すのに、王女の病を解く方法を教えろ、と」
「王女の病を治した物には褒美を取らせる。それが国の出した声明だ。そして、バイヤール家には王に取り入りたい理由がある」
私が椅子から立ち上がるのと同時に、ドアが開く。
そこには金髪の男が立っていた。見た事はないが、目の前の細身の男よりは体つきががっしりしている。目の前の男と系統は違えど、すごく綺麗な顔をした男の人だ。掘りが深く、鼻筋が通っている。私達より明らかに年上だと思える落ち着いた雰囲気を放っている。男は青い瞳で私を一瞥すると、隣の男を見て、深々と息を着いた。
「ラウール様、またこのようなところに」
金髪の男は茶髪の男の腕をつかんだ。
「さあ、帰りましょう」
「悪いな。俺には用事が出来たんだ」
「エリス様のことであれば、国中にお触れを出しております。いずれ、何物かが知恵を授けてくれましょう。私達がここでどうあがいても、今までティエリの治療薬は作れなかったんです。今は待つしかありません」
ティエリという名前を聞き、私は首をかしげる。
「それでもう三ヶ月だ。何人の薬師に当たったんだ。あいつもそろそろ限界だ。あいつだけはどんなことがあっても助けてみせる」
私はメモを取り出し、目を走らせた。やはりそこにはティエリと記されている。
「エリス王女は病気なんですか? 薬屋のおじさんは妖精の呪いだと言っていましたが」
「呪いの噂は知っているが、正直妖精たちにそこまで出来る能力も、メリットもあるとは思えない。過去にティエリと名付けられた今のエリスと同じ症状を訴えた病気があったんだ。だからエリスの治療法と合わせて、ティエリの治療法も募集している」
エリスって、この人王女様を呼び捨てにしていいんだろうか……。
私もローズのことを呼び捨てにしているので人の事は言えないが。
何かの縁だろうか。だが、王女の病気を治せたらアルバンとジャコの要求も叶えられる。私にはそれが唯一の打開策に見えたのだ。
「私、ティエリの治療薬を作る方法を知っているかもしれません」
その言葉に、男二人は目を見張った。




